第59話 華と雫
華の唇が近づいてくる。
「……なにしてるの?」
誰かの声で振り返ると、雫だった。
気まずい。
いや、雫は俺のことを何とも思ってないとしても、さすがにこれはイヤだろう。
華はパンパンと膝を叩くと、何食わぬ顔で立ち上がった。
「なんでもない。光希君に話を聞いてもらってたの」
雫は目を細めて俺と華を交互に見渡すと、口を開いた。
「ふーん。ま、いいけど」
雫が俺に無関心で良かった。
雫は俺の隣の席にすわった。
華は静かな向かい側だ。
三者面談のような配置で、話が始まった。
「雫。永井くんなんだけど、どんな子なの?」
雫は視線を逸らすと、腕を組んだ。
「色々手伝ってくれるし、普通に良い人だよ。でも、なんで、そんなこと聞くの?」
華も言葉を返す。
「なんとなく、あの子はやめといたら? ねっ、光希君もそう思うでしょ?」
え。おれ?
いきなり、こっちに振るのはやめて欲しい。
「ま、まあ……」
すると、雫は俺を睨んだ。
こわい……。
「ってか、光希くん、信くんのこと何も知らないよね?」
信くん?
あ、永井の名前か。
『俺も雫のことが好きでした』的な作戦で雫に話を聞いてもらおうと思ったけれど……。雫ママとのキス未遂を目撃された今となっては、俺が何を言っても、まったく説得力がない。
雫は続けた。
「根拠は? 根拠もないくせに信くんを悪くいうの? そういうの最低なんだけど」
根拠はある。
だけれど、「永井は俺の友達の七瀬をセフレ扱いしてた最低野郎だ」なんて言えるはずがない。
すると、雫は続けた。
「ほら。永井くんが悪いなんて証拠ないんじゃん。2人の話なんて聞きたくない!!」
そういうと、雫は自分の部屋に行ってしまった。
……気まずい。
「んじゃあ、俺、そろそろ帰ります」
「そうね。連絡先教えてもらえない? 雫のことで連絡することがあるかもしれないし」
「あ、了解っす」
華のアドレスを登録すると、俺は玄関に連れて行かれた。
「ね。さっきの続き……する?」
「しませんからっ。あ、でも」
「ん?」
俺は、華を抱きしめた。
ふわっと、太陽の匂いがした。
「あの……辛いこととかあったら、華さんの話聞きますんで。ガキだし、それくらいしか出来ないけれど」
身体が離れると、華は言った。
「ありがとう。まずは、呼び捨てにして欲しいな。それに、敬語もやめて欲しいかも。それと、さっき、ドキドキしちゃった。こんな年上女でごめんね」
「華さん、……華も自分を卑下するのは禁止。華は可愛いし綺麗だし、自信もって」
雫のことで来たのに、華と仲良くなってしまった。いや、でも。やっぱり、大人の女性は良いなぁ。
って、今はそんなことをしている場合ではないか。雫の家を出ると、俺は雫にメッセージを送った。
「永井さんのことで、どうしても話しておきたいことがあるんだけど」
すぐに返信がきた。
「何? わたしは話すことなんてないんだけど」
気まずい。
やっぱり、かなり怒っていらっしゃる。
「会って話せないか?」
「無理」
そりゃあ、そうか。
会って話した方がいいんだが、仕方ない。
「そっか、あのな。永井さんなんだけど、付き合わない方がいいと思う」
すると、予想通りの反応だった。
「は? なんで光希くんにそんなこと言われないといけないわけ? っていうか、この前、告白されて、わたし付き合うつもりだし」
「やめた方がいいって!! 詳しくは言えないけど、俺の知り合いで、あいつに遊ばれた子がいるんだよ」
「それ、誰の話?」
七瀬の名前は出せない。
「いや、名前は言えないんだけど」
「ほら。言えないってことは嘘なんじゃん。なんでそんな嫌がらせするのか理解できないんだけど」
そういうと、一方的にトークルームを閉じられてしまい、その後のメッセージは既読スルーされた。
その日以降のバイトは最悪だった。
雫は話してくれないし、永井さんも、以前のようにヘラヘラと笑わなくなった。
いや、永井さんについては、今の状況がむしろ素なのかも知れないが。
雫と永井さんは、同じ日に休みを取ることが多くなった。きっと、付き合い始めたのだろう。
俺が知っている永井さんが、イレギュラーであって欲しいと願うしかない。
そんな日々がしばらく続いた頃。
夜に突然、メッセージが届いた。
雫からだった。
「わたし、騙されちゃったみたい。最悪……」