第58話 バイトの先輩
バイトを始めて一週間が経ち、色々と分かってきた。もちろん、バイトの内容もだが、それ以外の部分、たとえば、人間関係なんかについてだ。
雫の周りには、先輩が2人いて、どうやら雫は、その片方のことが好きらしい。やはり、母さんが言った通りで、雫は俺のことは割りかしどうでもいいみたいだ。
そして、今日は意中の先輩と俺と雫でシフトに入っている。
彼の名前は、永井 信。近隣の大学に通う19歳だ。身長は180くらいでガタイがいい。一見、優しそうな風貌だが、俺はコイツのことがキライだった。
向こうは忘れているようだが、俺はすぐに分かった。こいつは、前にショッピングモールで七瀬に絡んできた男だ。だから、俺はコイツがクズだと知っている。
「んで、雫ちゃん。そこはね……」
「はいっ、いつもありがとうございます!!」
永井と雫の会話を眺めながら、俺は七瀬との一件を思い出していた。
(この男、女の子をセックスの道具くらいにしか思ってないんだよな。どうせ雫のことも……)
「飯塚君。きいてる?」
永井は俺に笑顔で話しかけてきた。その笑顔を見ると、裏の顔を知っている俺ですら、こいつは善人なのではないか、と騙されそうになる。
ある日のバイトで、雫は定期券を忘れた。
きっと、明日の通学で困るであろう。雫の家を知っている俺が届けることなった。
雫の恋愛の邪魔をするつもりはない。でも……。俺自身も、永井について話すいい機会だと思った。
雫の家につき、インターフォンをならす。
「……あら、この前のカレじゃない。ごめんね、いま、雫はいないの」
出てきたのは、お母さんだった。雫は不在らしく、俺が定期を置いて帰ろうとすると、お茶でも飲んで行ってと言われた。
ダイニングテーブルに座り、雫のお母さんが準備してくれるのを待つ。
……ほんと、綺麗な人だ。
前俺のせいなのかな。
俺って高2なのに守備範囲が広すぎる気がする。
しばらくすると、雫のお母さんが向いに座った。
「紅茶でよかったかな? それでね。ちょっと、光希君だっけ? 君に聞いてみたいことがあったの」
「あ、お母さん。なんですか?」
「お母さんって、なんか自分が老けた気がしちゃうかも。わたし、華っていうの。名前でいいよ」
「じ、じゃあ、華さん」
すると、華さんは両肘をついて俺を見つめてきた。
「さん……もちょっとやだな。ちゃんとか、それか呼び捨てでもいいよ」
そう言われても、20歳以上も歳上の女性を呼び方になんて出来ない。
「さすがに、それはちょっと」
すると、華さんは笑った。
どうやら、俺はからかわれているらしい。
「ごめんっ。かわいくてつい。それでね。バイトの永井くんについて、教えて欲しいの」
「え。それって」
「わたし、ちらっと挨拶したことがあってね。でも、なんていうのかな。永井くんって、なんだか違和感があるのよね。まあ、雫が仲良い人を悪くは言いたくないんだけど」
どうしよう。
俺も他人の恋愛に首は突っ込みたくないし、雫の好きな人を悪くは言いたくない。それに、そのまま話せば、七瀬の話もすることになりかねない。
それはちょっとイヤだった。
「俺もです。永井さんはちょっと裏があるというか。雫さんからすると、年上だし、慎重に見極めて欲しいです」
「そうよね。わたしもなんだか心配で」
華さんは、さすがに経験値が高いのだろう。本能的に、クズ男が分かるのかも知れない。もっとセンサーの感度が上がったら、俺も排除されそうだ。
「俺がなんとかしますんで、安心してください」
詳細を語らずに安心させるには、それしかないように思った。
「うん。ありがとう……」
華さんは涙ぐんでいた。
雫と2人暮らしで、娘が心配でも相談する人もいなくて、きっと華さんも不安だったのだろう。
「じゃあ、俺はそろそろ」
「あ、わたしがやるから。置いておいて。っ、キャッ」
華は急いで立ちあがろうとして、バランスを崩した。俺が咄嗟に支えようとして手を伸ばすと、華の腰を抱きよせるようになってしまった。
華と目が合う。
「華さん。よく頑張りました。えらいぞっ」
俺は華の頭を撫でた。
こんなガキに頭を撫でられるのは、屈辱だろうか。怒られちゃうかな。
だが、華の反応は違った。
目を擦って泣き出してしまった。
30代で娘を1人で育て上げるには、苦労が多かったと思う。いつ離婚したのかは知らないが、肩身の狭い思いをすることも多かったのではないか。
だから、たまには。
誰かに褒められてもいいと思う。
前俺の経験があるから、どうしてもそう考えてしまう。
俺は繰り返した。
「華はすごい女性だと思う。すごく頑張ってるし、綺麗だし……」
すると、華は俺の胸に顔を埋めた。
「光希くんに、呼び捨てにされちゃった」
「すいません」
「ううん。嬉しいの。こうして男の人に支えてもらうのは久しぶりだから。若い子のいい匂いがする」
華は顔をあげると、口をこちらに向けた。
形のいい唇が、半開きになっている。