第53話 少女の夢⑤
一輝の家の間取りはよく知っている。
声がしたのは風呂場の方だ。
廊下を駆け、突き当たりを左に曲がる。
脱衣所のドアを開けると、花鈴がいた。
花鈴はぺたんと尻餅をついて、必死に何かを指さしている。指の先には、ゴキブリがいた。
(なんだ、ゴキブリか)
俺は安堵し、足元に落ちていたスリッパで、ゴキブリを引っ叩いた。すると、ゴキブリはぺったんこに潰れて、スリッパに貼り付いた。
花鈴は身体の向きをかえ、今度は俺を指差した。俺は花鈴と目が合った。
自然と視線が下にいく。すると、花鈴のタオルは、はだけていて色々と丸見えだった。丁寧に足を開いているので、見えてはいけないものまで見えてしまっている。
花鈴の指先は震えていた。
そして、口を開けると、音もなくパクパクした。
そのうち、足を閉じて泣き出してしまった。
どうしよう。
いきなり告白とかしたら、ビックリして許してくれるかな?
いや、不法侵入の変質者に告白されても、嫌悪感が増すだけだ。
花鈴は言った。
「ひっく……、こわいぃ。あっちいって!!」
俺は弁解する猶予も与えられず、脱衣所から締め出された。
しばらくすると、脱衣所の中から話し声が聞こえてきた。……警察に通報しているのかも。
今回のループはここでエンドっぽい。
初回より酷い終わり方だ。
りんりん。
俺は鈴を摘んで睨みつけると、何度か振った。
(3,000円もするのに、全然効果ないじゃないかよ!!)
すると、花鈴出てきた。
「兄貴から電話かかってきた。知らなくてごめんなさい……」
「え?」
「兄貴にアナタのことを話したら「花鈴が心配で突撃を頼んだ」って教えてくれた。だからゴメンなさい」
機転をきかせてくれたのだろうか。
一輝、グッドジョブ。
これで花鈴が話を聞いてくれるかも知れない。
「そ、そうなんだ。俺、すごく心配でさ。花鈴ちゃんが無事で良かったよ。……それより、早く服きなよ」
花鈴は自分の胸元をみると口を開け、またバタンと戸を閉めた。
「あのー」
中から花鈴の声が聞こえる。
「え? どした?」
「服を持ってきて欲しいんですけれど。部屋の引き出しの2番目の段に……、あ、それと一番上は絶対に開けないでください」
開けないでって。
大人のオモチャでも入ってるのかな。
俺は了解すると、花鈴の部屋に入った。
懐かしい花鈴の匂いがする。
俺は、ベッドで枕を抱きしめて転げ回りたい衝動を抑えて、ミッションを遂行することにした。部屋を見渡すと写真が並んでいて、俺が見たことのない表情の花鈴が写っている。
その中の一枚は、一輝と花鈴が並んで写っていた。
(この写真いいな)
俺は写真を撮ってスマホに保存すると、着替えを持って脱衣所に戻った。
「これ」
すると、戸が20センチくらい開き、服を受け取ると、またすぐに閉まった。
「あの。1段目開けてないですよね?」
「あぁ。開けてない。棚の上の写真、すげー良かったから、スマホにもらったけど良かったかな」
「別にいいですけど……、悪用とかしないでくださいね」
「了解っ」
「それと、ちょうど買い物行くところだったんです。良かったら付き合ってもらえませんか?」
俺は花鈴の買い物に付き合うことにした。
この展開は、今までのループにはない。
と、いうか。
花鈴が相手してくれる展開は初めてだ。
ラストチャンスになるかも知れない。
俺は自分に気合を入れた。
家から出て、並んで歩く。
聞くところによると、近所のショッピングモールに服を買いにいくところだったらしい。
話の内容は、一輝のことばかりだった。
(こいつ、お兄ちゃん大好きツンデレ妹なのか)
花鈴が俺の顔を覗き込んで、不思議そうに首を傾げた。
「ん。いや、なんでもない」
そういえば、最後のループの時に、一輝が変な事言ってたな。たしか、花鈴にも止められたとかなんとか。
俺は聞いてみることにした。
「それで、花鈴ちゃん。もしかして、一輝に試合を休むように言った?」
「え。なんで分かるんですか? ボク、兄貴がすごく無理をしてる気がして心配で。心配すぎて変な夢までみるし」
「どんな夢?」
「あの、ボクにそっくりな女の子が出てきて、色々言うんです」
「それって、自分が出てきただけなんじゃないの?」
「いえ。その子、ブレザー着てたし違うと思います。おにい……、兄貴が倒れるかも知れないから、休養させろって」
「そっか。それは心配だね」
花鈴は俺の顔をみると、少し間を置いた。
「それと、あなたの顔を見ていて思い出したんですけど、兄貴の親友が訪ねてきたら、話を聞いてやれって……」
ブレザーって、都護夜高のかな。
だとしたら、向こうの花鈴、ナイスアシスト。
俺が花鈴の買い物に付き合っている間。
花鈴は気さくに話しかけてくれて、気づいたら腕を組んできて。
向こうの花鈴と一緒にいるようで楽しかった。
世界が違っても、魔女じゃなくても。
花鈴は花鈴らしい。
もし、ループが終わっても、この世界に残留することになったら、花鈴と付き合いたいな。こっちなら、従姉妹じゃないし普通に付き合える。
俺がそんなこと考えていると、花鈴が足を止めた。その視線の先には、青色のピアスがあった。
「それ欲しいの?」
「いや、見てただけです」
欲しそうだ。
こっちの花鈴も嘘が下手らしい。
「店員さん、このピアスください。プレゼント用で」
花鈴は目をまん丸にした。
「え。ボクに? 買ってもらう理由がないです。あの。お金だします」
俺は花鈴を制止すると、店員からピアスを受け取り、花鈴に渡した。
「これ……。ちょっと早いけど、誕生日おめでとう」
花鈴は受け取ると、さらに驚いた顔になった。
「なんでボクの誕生日を知っているんですか?」
向こうの世界で、俺は花鈴の誕生日プレゼントを探していたからな。花鈴の誕生日は7月23日。奇しくも、一輝が倒れた日と同じだ。
だから、すぐに覚えられた。
「ブレザーの花鈴に教えてもらったんだよ。それに、花鈴が欲しいものを教えてくれてありがとうな」
「……変な人ですね。でも、ありがとうございます」
花鈴は、笑顔になった。
買い物をしながら、色々な話ができた。
俺も一輝の体調を心配している事、一輝に決勝に出ないで欲しい事を伝えると、花鈴も協力してくれることになった。
花鈴はプレゼントしたピアスをすぐにつけてくれた。耳を触りながら、ニコニコしている。
「いじりすぎて、なくすなよ?」
「絶対になくさないし」
喜んでくれたようで良かったよ。
花鈴は元気で甘えん坊で、ブラコンで。
俺は、こっちの花鈴も好きになっちゃったみたいだ。
決勝戦前日の夕方。
花鈴に頼んで、一輝を連れ出してもらった。
公園で3人で話す。
一輝は大切な用事だと思ったのだろう。
俺と花鈴を見ると、真剣な顔をした。
「で、何か用か?」
俺は、頭を下げた。
「無理なこと言ってるのは自分で分かってる。でも、明日の試合、休んでくれ」
一輝は顔をしかめた。
「おいおい。無茶いうなよ。俺らは明日のために高校3年間、必死に練習してきたんだぜ? お前が言ってるのは、東大目指してきたヤツに、受験当日に休めって言ってるようなもんだ。それに、チームを裏切れるわけないだろ」
そうだよな。
無理を言ってるのは百も承知だ。
でも、承知してくれないと、お前はもう野球ができなくなっちゃうんだよ。
「わかってる。でも……。せめて、190球を超える前に降板してほしい……」
俺はさらに深く頭を下げた。
「いやいや、わかってねーからそんな無茶言うんだろ」
一輝の声は、イラついていた。
「ボクからもお願いっ」
横をみると、花鈴も頭を下げていた。
花鈴は続ける。
「ボク、ずっと恥ずかしくて言えなかったけど、兄貴のこと大好きなんだ。いつも、優しくしてくれてすっごく感謝してるし、だからだから、すっごく心配で……ひっく……」
花鈴は泣いていた。
こっちの花鈴も泣き虫らしい。
それにしても、向こうの花鈴が、何かを一輝に伝えたかったって言ってたけれど。もしかして、感謝を伝えたかったのかな。
だとしたら。
言えて良かったな、花鈴。
すると、一輝は特大のため息をついた。
「わーったよ。2人がそこまで言うなら、きっとそうした方が良いんだろ。花鈴の誕生日に甲子園をプレゼントしたかったんだけどな、ま、当の本人が出るなって言うなら仕方ないか」
花鈴のブラコンも大概だが、一輝もシスコンなのか。
「じ、じゃあ……」
「ああ。出ないとは言えないけれど、途中で降板するよ。190球だっけ? ……それは約束する」
「ありがとう」
すると、一輝は俺をみてニヤニヤした。
「それにしても、てっきり。花鈴と付き合いたいとでも言うのかと思ったぜ」
「なっ、そんなわけないだろ」
一輝は、俺の袖のあたりに視線を向けた。
すると、俺の袖は、いつの間にか花鈴につかまれていた。
一輝はニヤニヤした。
「そっか。まあ、光希なら全然かまわねーけどな」
なんにせよ良かった。
これで、一輝の死の運命は回避されるだろう。
一輝は寄るところがあるというので、俺は花鈴を家まで送ることにした。
帰り道を2人で歩く。
花鈴の口数は少なかった。
……一輝のことで疲れちゃったのかな?
すると、花鈴が立ち止まった。
「今日は本当にありがとう。ボク1人だったら、兄貴は話を聞いてくれなかったと思う」
「いや、おれの方こそ助かったし」
花鈴は右手を握って胸のあたりに添えると、少しだけおどおどした様子で、俺をみた。
「あのね、ボ、ボク。光希くんのこと好きになっちゃったみたい。一緒にいると、すっごくドキドキするの。あのね、よかったら付き合ってくだ……」
ズキンッ
俺は突然の頭痛に襲われた。
この感覚はループする時のやつだ。
え。
なんで?
俺は今回も失敗したのか?
でも、これだけは。
俺は、花鈴に青い鈴を渡して言った。
「おれも好きだから!!」
直後、頭がグルングルンして、視界が真っ暗になった。
チリンチリン……。
…………。
……。
「……光希……」
目を開けると、見慣れた天井が見えた。
横をみると、花鈴がこっちを心配そうに見ていた。
「大丈夫? なんか光希が死んじゃう気がして、すごく心配だったの。目が覚めて良かった……」
花鈴の目は青かった。
俺はループを脱したらしい。
……そっか。
花鈴は、願いを叶えられたんだ。
ちゃんと、一輝に想いを伝えられたもんな。
俺は目の前の花鈴を抱きしめた。
「な、なんだよぉ?」
「別に理由なんてなくても、いいだろ」
あっちの花鈴。
俺のことを好きになってくれて、ありがとう。
「な、今日。買い物に付き合ってくれない?」
俺は花鈴を買い物に誘った。
最後のループと同じように、一緒に服をみて、ランチをして。そして、こそっと、花鈴が欲しがった青いピアスを購入した。
俺が夢の中で経験したことを花鈴に話すと、花鈴は普通に信じてくれた。
「そっかそっか。そんなことあったんだ。夢の中のボクは、兄貴に伝えられたんだね」
「あぁ。あ、これ見てみて」
俺は花鈴に、向こうの世界で撮った写真を見せる。
不思議なことに、こっちに戻っても、スマホに保存した写真や預かった手紙は残っていた。……まぁ、これほど不思議な経験をしてのだ。一つくらい不思議が追加されたところで、どうってことはない。
あの後、向こうの世界がどうなったか分からない。でも、きっと幸せに過ごせたのだろう。
だって、花鈴に見せたその写真には。
少し大人びた一輝と花鈴と俺が、笑って写っているのだから。
(後日談)
神社の巫女さんか誰だったのかは分からない。でも、桜良に預かった手紙を渡すと、泣き出してしまった。花鈴にそのことを話すと、桜良のお母さんは何年も前に亡くなったと教えてくれた。
あの夢は、誰の夢だったのかな。
俺かな。
花鈴かな。
それとも……。
まあ、誰でもいいのかも知れない。
これは俺が経験した、不思議な夢の話。
※イラストは花鈴です。
戻れたお礼に、2人で神社にお参りに行きました。