第5話 新学期の朝。
ピピピピ。
電子音。
無機的なくせに胸がざわつく。
嫌な音だ。
俺はもぞもぞと布団から起き出し、カレンダーを見た。今日は4月6日。始業式の日だ。
スマホを開いて確認すると、俺は1階のダイニングへおりた。すると、コーヒーとベーコンを焼く懐かしい匂いがした。
「おはよう。母さん」
母さんはエプロンで後ろを向いていた。
「おはよう。光希」
俺は周りを見回す。
「……父さんは?」
「仕事よ。今日から出張なんだって」
そうか。
親父は、いつも居ないもんな。
「そうか。大変だな」
俺がそう言うと、母さんは首を傾げた。
「あれ? いつもみたいに悪態つかないの?」
高校の俺はそんなだったっけ?
……そうかも知れない。
親父は仕事人間で、俺を母さんに任せきりだった。そんな親父を、俺は好きじゃなかった。
「家族のために頑張ってくれてるんだ。悪態なんかつくわけねーだろ」
俺が返事をすると、母さんは、フフンと笑った。
「そかそか。光希も大人になってきたか。でもね、お母さんへの言葉づかいは直そうね?」
俺は、手を振ると脱衣所に行った。
震える声を堪えて、洗面台に両手をつく。
鏡にうつる俺は。
ひどい顔をしていた。
「せっかく母さんに会えたんだぞ? 俺はなんて顔をしてるんだよ。もっと笑えよ。光希」
俺は拳を軽く握って、鏡の中の無愛想な俺にコツンとした。
頬を両手で引っ張って、むぎゅーとする。
すると、まだ若い俺の頬は、ぷるんと弾けて戻った。
……よし。笑顔だ。
歯を磨いて、髪の毛を整えて。
まだ薄いヒゲを剃って、ダイニングに戻る。
すると、トントントンと懐かしい包丁の音がした。20年以上ぶりにその音は心地よくて。ずっと聴いていたくて、俺は惚けてしまった。
「光希。ぼけーっとしない。手伝うの」
母さんは俺の方を向いて、フライパン返しを振りながら言った。
「わるい」
俺は皿を受け取り、いつもより丁寧に「いただきます」をすると、久しぶりの母の料理を食べた。
目玉焼きと近所のスーパーで安売りしているベーコン。いつもの変わり映えのない味。
でも、一口食べるごとに、涙が勝手に出てしまいそうになった。
ごちそうさまをして、食器を下げる。
「母さん、ありがとう。皿は俺が洗うよ」
すると、母さんは俺をみて驚いた顔をした。
そうか。ガキの頃の俺は、そんな手伝いもしてなかったのか。
少し照れくさく感じながら、母さんと横に並んで皿を洗う。俺が洗い終わった皿を、母さんが拭いてくれた。
母さんは、俺に肩をトントンとぶつけてきた。
「なんだか、大人になった光希と過ごしているみたい」
そう言うと母さんは、笑顔で目を拭った。
この2年後、俺が大学2年の時に母さんは亡くなる。その運命は変えられるのだろうか。
でも、秘薬の効果は1年。
だから、母さんの運命に俺の手は届かない。
きっと、母さんと俺の縁は、確定事項で変えられないのだろう。
だから、少しでも。
この時間を大切にしたい。
朝食を済ませて、慌ただしく制服を着ると、インターフォンがなった。
ドアをあけると、柚乃だった。
俺と同じ都護夜高校の制服を着ている。
今日から新学期。
俺の2度目の高3がはじまる。