第37話 ことりのお願いごと
合唱会の日が近づいてきたある日。
俺は七瀬の家で練習させてもらっていた。
鍵盤蓋をしめると七瀬は言った。
「いいんじゃないかな。お疲れ様」
結局、七瀬がピアノを教えてくれた。
七瀬は面倒見もいいし、丁寧で、人に教える仕事が向いてそうだなと思った。
「ありがとうな。七瀬のおかげで、なんとかなりそうだよ」
すると、七瀬は舌をペロッと出していった。
「ご褒美ちょうだい♡」
俺はまだ何も答えていないのに、七瀬は俺の周りを回ってスンスンしだした。この前、桜良に良い匂いと言われてから、俺の匂いを嗅ぐことにハマっているらしい。
2人きりの無音の防音室で、七瀬が嗅ぐ音だけが響く。ある意味、性行為よりも淫靡だと思った。
しばらくすると、七瀬はモジモジし出した。
「はぁ。いいにおい♡」
別に、嗅がせるくらい構わないんだが、放っておくとエスカレートするんだよなぁ。
「七瀬、ストップ!!」
「……ケチ」
放っておくと、七瀬は股間の方まで嗅ぎ出すのだ。
ピピピピ
タイミング良く、ことり先生からメッセージが届いた。
「大変なの。クラスの男の子と女の子が揉めて、ある女の子がボイコットするって言い出しちゃった」
まじかよ。
どうせボイコットするなら、男がいなくなればいいのに。
次の日、ことり先生に呼び出された空き教室にいくと、ことり先生はポツンと座っていた。あれっ、髪色が変わっている。
「先生」
「ことりって呼んで♡」
「あの、困ってるとか」
「ねぇ。なにか気づかない?」
そう言うと先生は、自分の髪の毛を撫でた。どうやら、髪色に気づいて欲しいらしい。前は黒に近かったが、きつね色に近い。先生の柔らかな雰囲気とよくマッチしている。
「えと、先生。髪色変えたんですね」
先生は頬をぷくっとさせた。
なにやら不満そうだ。
「それだけ?」
「よく似合ってます」
「そっかあ。嬉しい♡」
この不毛な会話は何なんだ。
「あのー……、用事ないなら帰りますけど?」
「あーっ。そんなこと言わないで!! 来てくれてありがとう!!」
「んで、どうなってるの?」
「あのね。あらましは送った通りなんだけど、ある女の子が、最近休みがちになっちゃって。合唱会も休むって言い出したの。そうしたら、他の女の子も出ないとか言い出して。でも、ことりは、せっかくだし、全員揃って合唱会したくて」
自分を名前で呼ぶ29歳。
……いや、あえて何も言うまい。
突っ込むだけで、世界中の女性を敵にまわしてしまいそうだし。
不登校の原因は、もしかすると、イジメかな。
「先生は、事情を知らないんですか?」
「んー。分からないけど、何かトラブルがあったみたい。今日はその子も来てるから、これからお話したいなって。光希くんも来てくれる?」
「わかりました。他ならぬ、ことりのお願いだし。でも、俺がいたら迷惑なんじゃないですか?」
「いや、生徒目線の意見も欲しいし、いてくれた方が助かるんだ」
「先生、副担任でしょ? そんなことまで大変ですね」
「いま、担任の先生が体調を崩しちゃってるからね。わたしが頑張らないと」
そっか。
そう言うことなら、俺も力になりたい。
ことり先生の後について廊下をあるく。
2人で会う時とは違って、先生はスカートスーツを着ている。膝くらいまでのフレアスカート。
踏み出すたびに、先生の後ろ髪が揺れて、先生のヒップが存在を主張する。ミディアム丈のスカートなのに、肉感的なこのエロさ。俺は、ことり先生の後ろ姿が好きだ。
目的の教室の前に立つと、先生はノックした。
「はい」
粒の揃った綺麗な声だ。
引き戸を開けると、教室の中は暗かった。
椅子にポツンと女の子が座っていた。