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第28話 七瀬の家

 

 ことり先生から、合唱会の曲目が送られてきた。ショパンの夜想曲第2番だった。


 よりによって、この曲か。

 普通、もっとポップスとかなんじゃないの?

 セレクトがしぶすぎでしょ。


 これは昔に紫乃を勇気付けたくて、内緒で練習した曲だ。

 

 少しは練習したことがある曲なので、負担は少ないが、当時のことを思い出してしまう。正直、聴くだけでも辛い曲。


 どうしよう。

 今からでも断りたい。


 すると、花鈴と目が合った。


 「俺のピアノみたいの?」


 花鈴は大きく頷く。


 「うん。おにーちゃんのカッコいい所をみたい♡」


 紫乃に贈った時でも大して弾けてなかったし、……むしろ、幻滅されそうだが。


 花鈴と、ことり先生が望んでいることだ。

 できれば、期待に応えたい。


 俺が親指を上に持ち上げて、OKの意を示すと、花鈴は嬉しそうだった。


 とはいえ、うちには紙ピアノしかない。

 しばらく机に敷いて練習してみるが、全くもって上達が実感できなかった。


 おじさん風にお金にものをいわせてレッスンを受けるのも、高校生の俺には無理だ。


 やっぱ、弾ける人に教えてもらうしかないよな。そういえば、翔が七瀬は弾けると言っていたっけ。


 そこで、七瀬にお願いすることにした。


 「…〜という訳で、七瀬の家にはピアノがあるって聞いてさ。週末だし、明日、練習させてくれないかな?」


 「うん。いいよ。アタシは弾けないけれど……それでもよければ」


 次の日、七瀬の家に行くことになった。

 七瀬の家は、バス停から山を登る。


 5月といえども、坂道を登ると汗が吹き出してくる。しばらく登ると、カーブから景色が綺麗に見えることに気づいて、俺は足を止めた。 


 風が気持ちいい。


 俺が住む街は、ここから見ると、思ったより小さく見えた。


 

 「七瀬に頼れたってことは、俺も少しは変わったのかな……」


 道端の岩に座って、昔のことを思い出した。


 俺は人に頼るのが苦手だ。

 なんだか遠慮して悪い気がしてしまうし、それなら自分でやった方が早いと思ってしまう。


 普通の夫婦なら一緒にテレビをみたりして、色々話すのだろうが、ウチでは、紫乃のピアノの練習を聞きながら話すことが多かった。


 あの時は、ショパンの幻想即興曲を弾いていたっけ。


 ピアノを弾きながら、紫乃は言った。


 「光希は人に頼られたい?」


 「あぁ。みんなに頼られて、大切な人の助けになりたい」


 「だったらさ、まず、君が頼らないと。練習しよう。わたしに頼りたいことはないの?」


 「うーん。じゃあ……」


 …………。

 ……。


 汗が引いたので、また歩き出す。


 そこから10分ほどで七瀬の家が見えてきた。

 到着して驚いた。そこは庭も広く中世の貴族の屋敷のような家だったのだ。どうやら七瀬の家は、かなりのお金持ちらしい。まぁ、グランドピアノがある家が、貧乏な訳はないか。


 インターフォンを押してしばらく待つと、ドアが開いた。七瀬はワンピースのドレスのような服を着ていた。


 俺の中では、日本人がこの手の服を着るのは発表会と結婚式に参列する時くらいかと思っていたのだが。


 セレブは、普段着もドレスらしい。



 「お前の家、金持ちだったのな」


 そういうと、七瀬は寂しそうな顔をした。


 「家が広くても、1人が余計に寂しいだけだよ」


 「って、1人暮らしのお年寄りじゃな……」


 俺は言いかけて、言葉を止めた。

 七瀬の言うことを否定できないと思ったからだ。

 

 あっさりOKしてくれたから、てっきりご両親がいると思ってたのだけれど、俺1人だし、まずかったかな。


 長い廊下を歩きながら思った。

 たしかに、この家に1人は寂しい。


 それにしても、七瀬が本物のお嬢様とは。

 

 七瀬は知らないと思うが、彼女は、陰ではヤリマンだと噂されている。確かに七瀬は男子には人気があるし、男に媚びるような態度を取ることが多い。だから、同性からのヒガミもあるのだろう。


 (七瀬がセレブだと知ったら、嫌がらせが加速しそうだな)


 「ご両親って、どんな仕事してるの? ってか、ご不在なのに俺が上がらせてもらって大丈夫だった?」


 「会社を経営してる。って、そんなことアタシには関係ないし。それに両親ともアタシには無関心だから。問題ナシ」


 七瀬に演奏用の個室に通された。

 個室といっても、うちのリビングほどの広さがある部屋だ。


 部屋の中心にはグランドピアノ。

 生活感のないインテリアが並ぶ。


 音楽用の部屋たろうか。

 ドアも分厚く、窓のサッシも二重になっている。

 

 「調律はしてあるから、自由に使ってね」


 そういうと、七瀬はお茶を淹れてくれると言って出て行った。


 俺は部屋の中を見渡した。棚には、数々の賞状やトロフィーが飾られている。その中に、子供の七瀬が満面の笑みでクリスタルの楯を抱き抱える写真も飾られていた。


 ピアノは弾けないと言っていたが、やはり、弾けないのじゃなく、弾きたくないってことか。


 七瀬が戻ってきて、テーブルにティーカップをならべる。すると、指がもつれたらしく、七瀬は持っていたティーポットを落としてしまった。


 ガシャーンという音がして、陶器のポットは派手に割れた。辺りには鋭利な破片が散乱して、湯気がたちのぼった。


 「ごめん、すぐ片付けるから」


 七瀬は、破片を素手で拾おうとした。


 (ピアノをするなら指は大切にしないと)


 一瞬、紫乃の言葉が脳裏をよぎった。

 

 前にもこんなことがあったのだ。

 あれは確か。


 紫乃はピアノの先生をしていて、年長さんくらいの女の子を教えていた。名前は忘れてしまったけれど、亜麻色の髪の可愛い女の子。特にその子を可愛がっていて、自宅でレッスンすることもあった。


 ある日、その子が飾り皿を落として割ってしまったことがあった。きっと大切なものだと思ったのだろう。その子が咄嗟に皿を拾おうとしたら、紫乃が言ったのだ。


 「ピアノをするなら指は大切にしないと」


 俺は棒立ちしてしまい何もできなかった。だが、遠回しに俺が非難された気がして、不満を持ったのを覚えている。でも、まあ、今思えば、紫乃が圧倒的に正しい。ああいう時には咄嗟に動かないとダメだ。


  

 「ピアノをするなら指は大切にしないと」


 そう言って俺は七瀬の手を退けた。

 指先同士が触れると、七瀬はハッとしたように、俺を見た。


 七瀬も綺麗な亜麻色の髪だ。

 それに、あの子も今頃は高校生だろう。


 (……まさかね)


 そんなはずはない。瞳の色が違う。あの子は真っ黒だったが、七瀬は髪と同じ明るい亜麻色の瞳をしている。


 すると、七瀬は言った。


 「……エッチしない? この部屋、防音室だし、ベッドはないけどソファはあるよ。男の子って、そういうの……興奮するんでしょ?」


 七瀬は、下から俺を見上げ、おれに媚びるような目をしていた。

 

 俺はすごく悲しくなってしまった。

 七瀬のことを、紫乃が可愛がっていた子と重ねてしまったんだと思う。だから、そんなことを言ってほしくないと思った。



 ビシッ!!


 俺は七瀬にデコピンをした。


 「いたぁーい。なにすんのよ!!」


 七瀬は両手で額を押さえた。

 

 「お前が、アホなこと言い出すからだろ」


 すると、七瀬は言った。


 「アタシ、ヤリマンとか言われてるじゃん。光希もやっぱ、簡単にヤレるって思ってるんでしょ? だから、今日来てくれたんでしょ……」


 「んな訳ないじゃん」


 すると、七瀬は半べそになった。


 「ぐすっ……、だって、誕生日に来てくれるなんて、そうとでも思わないと期待しちゃうじゃん」


 あ、七瀬は自分の噂のこと知ってたのか。

 それよりも、誕生日だと?


 やばい。初耳だ!!


 元飯塚君よ。

 いつものことながら、君の引き継ぎは適当すぎるんだが。君の日記、自分のことしか書いてないし。


 さて、プレゼントとか用意してないし。

 どうしよ。


 七瀬は悲しそうな顔をしている。


 この子、明らかに自己肯定感が低いタイプだよね。男に媚びるような態度をとるのも、きっとそのためなのだろう。


 嫌われたくないから下手したでにでる。下手に出るからナメられる。簡単にヤレると思われる。

 

 このがらんとした屋敷を見ていれば、その理由も、なんとなく分かる気がした。


 きっと、孤独な子供時代を過ごしたのかな。

 なら、せめて。誕生日くらいは賑やかにしよう。


 俺は翔に緊急招集のメッセージを送った。


 そして、バースデープレゼントはデートしながら、こそっと準備しようと思った。


 「七瀬。これからデートしない?」


 七瀬は困ったような顔をした。


 「え。でも。光希。期間、あまりないんでしょ? それにいいの? アタシなんかと出歩いたら……」


 「別に、1日や2日じゃ変わらないよ。それよりも、お前の誕生日の方が大切だし。それに、七瀬みたいな美人と歩くのがイヤなわけない」


 「え。でも……」  


 煮え切らないなぁ。

 派手めの雰囲気だけど、基本、極度に内気なんだよ。この子。


 だから、ちょっと攻めてみることにした。

 前俺のときに、一度言ってみたかったセリフがあるのだ。


 ふっ。

 生まれ変わった今の俺ならできる。


 「七瀬。お前、さては、俺のこと好きだろ? だったら出かけようぜ?」

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