第16話 父さんとの話。
「ちょっと来い!! 光希っ!!」
親は耳を掴まれて、部屋から連れ出された。
野太い掠れた声。
太くてガサガサした指。
なんだか懐かしいな。
すると、父さんと目が合った。
「お前、何ヘラヘラしてるんだ? 自分の立場が分かってるのか?」
生前は嫌いだったこの声も。
聞くことが叶わなくなった今では、心地よく感じた。
まぁ、父さんは相当にお冠で、俺はリビングに連れて行かれて、正座させられた。
父さんは、俺の目の前に椅子を置いて座っている。腕を組んで、足を組んで、俺を見下ろしていた。
「お前なぁ。花鈴ちゃんは、お前の叔父さんから預かってる大切な娘さんなんだぞ」
相変わらず理不尽だ。
「いや、だって。同じ部屋だからそうなるんだし。俺は別の部屋にして欲しいって言っただろ」
「なんだ? お前は同じ空間にいたら、ところ構わず女性を襲うのか?」
「いや、話をすり替えるなよ。そういうことじゃ」
すると、父さんは眉ひとつ動かさずに言った。
「つべこべ言うな。ダメって言ったらダメなんだ」
ああ。
この感じ。
父さんだ。
高校の頃なら、きっと俺は、この時点で逆ギレして部屋から飛び出したと思う。
でも、今は少し違う。
父さんは、父親としての役割を果たしているだけなのだ。
父親の役割は、息子の尻を叩いてでも、息子を鍛え上げること。自分が生きている間に、たとえ、自分が嫌われてでも、息子に生きる術を与えることなのだ。
それは、息子を説得して納得させることよりも優先される。まさしく「つべこべ言わずに、言われたことをやれ」なのだ。
……まぁ、単に男性は女性よりも口下手なだけなのかもしれないが。
でも、そう思えば、父さんの俺を打ちのめすような態度も、ある程度は理解することができた。
高校や大学のうちに、そう思えていれば。父さんとの時間も、もっと違ったのかも知れない。
だけれど……。
実際には難しいよ。
でも、こんなことは、少し調べれば本に書いてあることなのだ。だから、あの頃の俺が、もっと父さんのことを理解しようとしていれば、少なくとも、知識として知ることはできたはずだ。
それなのに、俺は、自分は嫌われているのだと決めつけて、父が亡くなる前に、あんな不貞腐れた態度をとってしまった。父さんとの時間は限りあるものだったのに。
親不孝な息子だった。
「ごめん、父さん」
すると、父さんは余計に怒った。
まぁ、それはそうだよな。
でも、ずいぶん遅くなっちゃったけれど。
伝えられてよかったよ。
せっかく父さんと話せるのだ。
将来の夢の件。相談してみるか。
医者になると言うとは、医学部に通うということだ。きっと、両親には何千万円という負担を強いることになる。
老後の貯金も崩させてしまうかもしれない。
いや、きっとそうなる。
だから、俺だけで決めることはできない。
先生に話す前に、父さんに話すのが筋だろう。
でも、生前の父さんは、俺が進路の相談をすると、良い顔をしなかった。やれ「甘えてる」だの、やれ「なにも分かってない」だの。
まともに取り合ってくれなかった。
だから、また説教されそうだ。
でも、言わないと。
きっと、元飯塚君なら、こんな時でも勇気を出して言っただろうから。
俺は頭を下げた。
すると、父さんは言った。
「光希。なんのつもりだ」
「父さん。おれ医者になりたいんだ」
俺は、父さんの顔を見るのが怖くて、頭を上げられなかった。
「それで?」
「だから、医大行ったら金、沢山かかるし。レベル下げてでも、奨学金とれる学校狙うから。でも、とれるか分からないし。だから……」
「そうか」
「そうかって、いいってこと?」
「好きにしろ。だが、奨学金のためのレベルをさげることは認めない。お前は医者になってしたいことがあるんだろ? なら1番の大学にいけ」
「ありがとう。おれ、頑張るから」
「話はそれだけか? じゃあ、俺は寝る。そこのコップ、片付けておけよ」
俺は顔をあげられなかった。
父さんは、口調も声のトーンも、いつもと同じだった。認めてはくれたけれど、どんな顔をしていたんだろうか。
分からないや。
次の日の朝、父さんは居なかった。
配膳の手伝いをしていると、母さんが言った。
「昨日、父さんと何を話したの? あんたと話してから急に機嫌が良くなって。前から楽しみにしていた日本酒を開けてたわよ?」