第10話 葉桜の通学路。
バタバタと準備をして、一緒に朝食をする。
母さんと花鈴が並んでいるのを見ていると、なんとなく、俺も幸せな気持ちになる。
(もし、妹がいたら。きっとこんな感じだったのかな)
3人で向かい合って座って、急いで食べる。
本当の家族みたいだ。
頬をリスのように膨らませている花鈴を見ると、母さんは笑顔になった。
母さんは、花鈴のことを気に入っているらしかった。一生懸命に食べている花鈴をみて、母さんは口を拭いてあげたりしている。
「花鈴ちゃん。お母さんは元気? ご両親2人とも海外を飛び回ってるから、寂しいわよね」
花鈴は食パンを詰まらせたらしく、喉の下のあたりをトントンとしながら答えた。
「んぐっ……。は、はいっ。いまは、スイスにいると思いますっ!! お母様の実家があるから、立ち寄ってくるみたい」
母さんは両手でマグカップを持つと、コーヒーをすすった。
「スイスかぁ。わたしも行ってみたいわぁ。花鈴ちゃん。ここを自分の家だと思っていいからね。それにしても、ママに似て美人になったわねぇ。さすが北欧の血が入ってるだけのことはあるわ」
花鈴は手の平を横に振った。
「そんなことないですっ。でも、賑やかなの好きだから嬉しいです」
なるほど。
花鈴には海外の血が入ってるのか。
ハーフ、いや、クォーターくらいかな。
少し青みがかっている灰色の瞳もそのせいなのだろうか。どうりで色白で美人なわけだ。
そして、人懐っこい性格。
母さんが気に入ってるのが、なんとなく分かる気がした。
これからしばらくは一緒に住むのだ。
とりあえず、嫌われないようにしないとな。
食事を終えて花鈴と家を出る。
今日は、柚乃は部活があるとかで、迎えには来ていない。俺は内心、ホッとしていた。
2人が出会ったら、どんなことが起きるのか。
想像するだけで胃がキリキリする。
自転車に一緒に乗ると、花鈴が抱きついてくる。空を覆う葉桜のトンネルからは、春の匂いがした。
花鈴は葉っぱを指さして言った。
「ねっ。おにーちゃん。葉っぱからいい匂いがするよ。わたし、桜餅食べたくなっちゃった♡」
「あぁ。葉桜の匂いは俺も好きだよ」
花鈴は俺の背中に顔をつけた。
「えっ。聞こえなーいっ。わたしのこと好きだって? もう。仕方がないなぁ。お母様、お付き合いを許してくれるかなぁ」
俺からみえる花鈴の唇は、少し綻んでいるように見える。この子の言うことは、どこまで本気なのか分かりづらい。
高一になったばかりの花鈴は、柚乃や七瀬よりも少しだけ背が小さい。だから色々と背伸びしているのかも知れない。
下を向くと、真っ白な花鈴の指先が見えた。
叔母さん譲りかな。
綺麗な肌。
「花鈴。叔母さんは、どんな案件でいってるの?」
叔母さんの仕事を知らないとか不自然すぎるし、遠回しに聞くしかない。
「うん。お母様は、中世ヨーロッパ史の論文発表だよ。現地の大学の客員教授もしてるし。あのね、17世紀の山村部の民間伝承の研究で新しい発見……」
ふむふむ。
叔母さんは学者さんなのね。
「へぇ。民間伝承って魔女とか?」
俺がそう答えると、花鈴の声のトーンが上がった。
「おにーちゃん。知ってるの? スイスは一説には、最後まで魔女が残っていたと言われてるんだよ。邪眼信仰の影響なんだけど、スイスの魔女の直系は青灰色の眼を持つと言い伝えられてるの……って、こんな話、つまんないよね?」
花鈴は多弁になった。興味がある話題らしかったが、1人で自己完結すると、ご機嫌になって鼻歌を口ずさみはじめた。
魔女の眼の色?
そういえば、紫乃もそんな話をしていたような……。たしか、赤がどうのとか。
くそっ。
魔女とか突拍子がなさすぎて、紫乃は大人の厨二病なのかと思って聞き流してしまった。今さらだが、ちゃんと聞いておけば良かった。
しばらく自転車で走ると、花鈴の鼻歌が知っているメロディになった。
「あ、それ。エドガーの愛の挨拶でしょ?」
「すごい。おにーちゃん。詳しいんだね」
知ってるもなにも、紫乃が大好きだった曲だ。忘れられるはずがない。
あれは、なんでもないある日の晩。
俺は缶チューハイを飲んでいて。紫乃はピアノを弾きながら、俺に話してくれたんだっけ。
「……これね。ある作曲家が、最愛の妻に送った曲なの。その人はね。奥さんをずーっとずーっと大切にして、今も一緒にお墓に入ってるんだよ? 私達も、そんな夫婦になりたいな♡」
……俺だって、そんな夫婦になりたかったし。
久しぶりに、紫乃のピアノを聴きたくなってしまった。気づけば、目の辺りが重い。
……身体は若くなったのに、涙腺はおじさんのままみたいだ。
花鈴、さっき魔女がどうのとか言ってたし、もしかしたら、紫乃となにかの関係があったりするのかな。
カマをかけてみるか。
「なぁ、花鈴。お前、魔女って本当にいると思うか?」
花鈴は俺に抱きついたまま答えた。
「うーん。わたしには分からないなぁ」
そんな都合よくはいかないよな。
でも、花鈴は魔女に詳しそうだ。
せっかく紫乃が教えてくれたことを、俺はあまり覚えていない。スピリチュアルなものに興味がなかったからだ。
でも、紫乃の話を忘れてしまうことは、2人の思い出が、どこかにこぼれ落ちていくようで寂しい。
……ごめんね。紫乃。
だから、だから。
花鈴からまた教えてもらえたらいいなって思うんだ。
すると、花鈴が背中をトントンとしてくれた。
「おにいちゃん……心が泣いてるよ。迷子なのかな? 迷子は辛いけど、寄り道は良いものだよ。思わぬ発見があったりする」
「……これは、お母様に教えてもらったおまじない。きっと心が落ち着くから」
花鈴はそう言うと、また鼻歌を口ずさんだ。
「Aevum Fatum Somnium 寄り道が君に幸せを運んでくれますように」
辛いことは沢山ある。
だけれど、葉桜が舞うこの道は、きっと幸せに繋がっているのだろう。