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愛鳥が時と海を越えて伝えてくれたこと

作者: Y

 実家に住んでいた頃、私はメスのセキセイインコを飼っていた。

 名前は「菊ちゃん」。私が23歳の時にペットショップからお迎えした子だ。


 私は菊ちゃんを大事に飼育した。毎日話しかけ、欠かさず放鳥(飼い鳥をケージから出して遊ばせること)して可愛がった。

 菊ちゃんの体調が少しでもおかしいと感じたらバスと電車を2時間かけて乗り継いで、県境にある鳥専門病院まで連れて行った。


 私に大事にされていることを菊ちゃんは理解しているらしく、菊ちゃんは私によく懐いていた。

 たとえば放鳥時、私がトイレに立とうとすると、大慌てでついてくる。

 菊ちゃんの目をかいくぐって隣室へ移動すると、「どこへ行ったの!?」とばかりにピーピーと鳴いて騒いで私の姿を求める。

 そうして私が隣室から戻ると、菊ちゃんは大喜びで私の肩まで飛んできて、嬉しそうに私の顔を見上げるのである。


 他にも「菊ちゃんが私に懐いていたエピソード」がいくつもあるが、キリがないので全てを紹介するのはやめておく。


 菊ちゃんの可愛らしさをどんな言葉で表現したら良いか、見当も付かない。おそらくペットを飼育した経験のある方なら、この気持ちをお分かり頂けるのではないだろうか。





 菊ちゃんをお迎えしてから8年後、私は結婚を機に移住することになった。


 移住が決まって真っ先に頭に浮かんだのは「菊ちゃんを連れて行くかどうか」である。


 私が移住するのは実家から海を越えた、飛行機で1時間の距離の場所。飛行機以外の交通手段は無い。


 当時、菊ちゃんは両足を傷めており、踏ん張ることができない状態だった。

 ペットは飛行機では貨物室に積まれる決まりである。踏ん張れない菊ちゃんが貨物室に入れられたら……飛行機の動きに合わせてケージの中をコロコロと転げ回ることだろう。


 「菊ちゃんは飛行機での移動に耐えられない」と判断した私は、菊ちゃんを実家に置いていくことにした。苦渋の決断である。


 引越し当日、菊ちゃんに「バイバイ」と声をかけたが、菊ちゃんは黙ってこちらを見つめるだけだった。


 菊ちゃんを置いて移住した私は、慣れない土地での生活に四苦八苦した。

 言葉が違う。習慣が違う。文化が違う。

 移住してからというもの、ずーっと毎日忙しくバタバタしていた。

 忙しい中でも時々実家の母に連絡し、菊ちゃんは元気かと尋ねた。元気にしていると聞かされるたび、安心し、また忙しい日々に身を投じた。


 新しい土地に順応していくに従い、私が実家に連絡を入れる回数は減っていった。

 新しい土地、新しい家族、新しい生活を受け入れれば受け入れるほど、私は実家での日々を忘れていった。

 菊ちゃんのことを思い出すことも、めっきり減っていってしまった。





 やがて引っ越してから1年が経った。

 私は実家に連絡を取らなくなった。菊ちゃんのことはたまには思い出すが、様子を聞くために母に電話しようとは思わない。なんとなく思い出してはふわっとそのまま忘れていく。


 忙しかった日々も少しは落ち着き、私は夫との二人暮らしを満喫していた。

 私は実家でどうやって暮らしていたかをすっかり忘れた。


 実家の存在、菊ちゃんの存在を忘れて、移住先での日々を過ごす。


 そんなある秋の日の夜、不思議なことが起きた。


 その日、夫と一緒に就寝していた私は夜中に突然、目が覚めた。


「なんだ?」と思ったのもつかの間。菊ちゃんと過ごした記憶が唐突に、菊ちゃんをペットショップからお迎えした瞬間から順番に蘇り始めたのである。


 ペットショップの飼育ケースに入れられた菊ちゃんを撫でる記憶。お迎えを決め、ケースに入れられた菊ちゃんを自宅まで運ぶ記憶。菊ちゃんをケージに移そうとしたけど、怖がった菊ちゃんがなかなかケースから出て来なかった記憶……。


 次から次へと鮮明に、「思い出している」のではなく「いまリアルタイムで経験している」かのように、菊ちゃんと過ごした記憶が、経験が、映画を見ているように視界いっぱいに再生されていった。


 一体何が起きているのだろうと戸惑う私の目からは、ボロボロと涙がこぼれ落ちていく。目前に再生される菊ちゃんとの思い出を眺めながら、私は涙を流し続けた。


 なんで泣いているのか自分でも分からない。ただただ、菊ちゃんの記憶を順番に思い出しながら、涙をこぼし続ける。


 思い出の再生は菊ちゃんとの出会いから別れまで、一通り続いた。


 再生が終わった後、ふと天井に目をやると、今度は菊ちゃんが天井を左から右へ翔け抜ける姿が見えた。菊ちゃんの姿はキラキラと輝いている。


 実家にいるはずの菊ちゃんの姿が見えるわけがないし、輝いているはずもない。しかし私はハッキリと克明に、輝く菊ちゃんを見た。


 菊ちゃんの姿は右を見ても左を見ても、どこを見ても現れた。キラキラと輝きながら、菊ちゃんは我が家を縦横無尽に羽ばたいている。


 夢を見ているのだろうか。現実とは思えない光景を目にしながら、私は自身の正気を疑った。しかし夢にしては意識がシャープだ。


 私はトイレに行ってみた。寝室からトイレまでの道のりにも輝く菊ちゃんは現れ、パタパタと翔けていく。


 自身に起きている不思議な現象に戸惑いつつトイレで用を足し、私は布団に戻った。


 一体どうしたというのだろうと困惑しているうちに眠気が訪れ、私は周りを飛び回る菊ちゃんの気配を感じながら再び眠りについたのだった。





 翌朝、私はすぐに「久しぶり。菊ちゃんは元気?」と母にメールを送った。

 数時間後、母から返信が来る。メールには「この春に死んだよ。寿命だったんだよ」と書かれていた。


 ああ、やっぱり。私は驚かなかった。昨夜の不思議な経験で、うすうす察していたのである。


「そう。昨日、菊ちゃんが現れてね。菊ちゃん、自分が死んだことを報せに来てくれたんだね」


 わたしは母に返信し、携帯をテーブルに置いた。


 この春に死んだということは、私は半年も菊ちゃんの死を知らずに過ごしていたということだ。菊ちゃんはいつまで経っても私が自身の死に気づいていくれないから、時と海を越えて教えに来てくれたのだろう。


 菊ちゃんが死んでから、今年で11年が経つ。


 私は今でも「菊ちゃんを実家に置いてきたのは間違いだったのではないだろうか」と悩んでいる。

 どうすれば菊ちゃんにとっていちばん幸せだったのか。私は彼女に何をしてやれたのか。


 答えは出ないが菊ちゃんは今頃、天国で幸せに暮らしていると信じている。

 大切な愛鳥を置いてきてしまった私は、天国へは行けないかも知れない。しかし菊ちゃんのことだ、私が天国へ行けなくても、優しい誰かに天国でずっと可愛がってもらえるだろう。

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