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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

黒の隼(オスカー)

昭和20年(1945年)8月。

日本は間違いなく敗戦の道を突き進んでいた。

日本軍にかっての勢いはなく、今やアメリカ軍の物量と質に完全に押され続けている。

新聞には玉砕という文字が続き、日本各地も爆撃に晒され始めていた。

その現実から導かれる答えは誰の目から見ても明らかであり、じりじりと押され続ける現実に、誰もが勝てないと判っていた。

だが、それでも誰も戦うのを止めることはない。

それは、もはや国の為という事を建前としていたが、それ以上に、自分の大切な人たちが殺されるのを防ぐため、そして生き残る為であった。

だからこそ、生き残る為、守る為に、誰もが無駄とわかっていても戦い続けていたのである。

武藤貞義二飛曹。

彼もそんな人々の一人である。

父親は海軍の飛行機乗りであったが、ラバウルで戦死。

母親はその後を追うように亡くなり、彼には妹しか残されていなかった。

だから、母方の祖父母はすでに亡くなっていたため、父方の祖父母に妹を預けると、彼は軍に志願する。

どちらにしても徴兵されると判っていたから、それならばと志願して父親と同じパイロットの道を進んだのだ。

それは日本を守る為というより、ただ妹を守りたいという強い思いがそうさせ、そして彼は日本陸軍のパイロットとなった。

その腕前は、父親譲りという訳ではないが、同期の中では抜きんでており、それ故に彼は防空隊へと配属された。

彼にあてがわれたのは、キ-43 一式戦闘機である。

通称『隼』と呼ばれたその機体は、陸軍の主力機として華々しい活躍をした戦闘機であり、戦後調査したアメリカ軍は『落とすことも出来ないが落とされもしない飛行機』と評価した。

それは、低高度での高い格闘性能とある程度の防弾性能により落としにくく、そして隼の貧弱な武装によって味方も落とされにくいという意味である。

しかし、実際に戦ったイギリス軍やアメリカ軍のパイロットの中では、零式艦上戦闘機、つまりゼロ戦よりも高い評価をする者も多かった。

だが、それはあくまでも低高度での戦闘の場合である。

高高度に関しては、隼はその能力をほとんど失ってしまった。

高高度に対応していない非力なエンジンと高高度対策していない機体では、利点である小回りのきく格闘性能は失われ、問題であった武装の貧弱さをより大きくした。

そして、いま日本を襲うのは高高度で編隊を組み進んでくるB-29とその護衛機である。

彼らは、高高度を我が物顔で飛んでいく。

喘ぐように止まりかけるような発動機を積む機体は一機もない。

つまり、今や隼はかっての強さを発揮する機会を失ってしまったのである。

だが、新型の四式戦闘機疾風はまだ生産が追い付かず、鍾馗と言った高高度対応できる機体の多くはベテランパイロットの多い部隊に優先的に配備され、新人の多い彼の部隊には、旧式の隼が配備されていたのであった。


「なんだぁ?ニヤニヤしやがって。彼女からの手紙か?」

そう言って同期の原口二飛曹が揶揄ってくる。

「違うって。妹からだよ。日曜日に佐賀の方に疎開したって連絡が来たんだ」

武藤二飛曹がそう言って返事をすると、周りで同じように本を読んだりして待機任務だった仲間たちが声をかけてくる。

「そうか。確か武藤の所は北九州だったな。最近、アメ公の爆撃があるって話だったから、これで安心だな」

そう言ってきたのは、津上一飛曹だ。

「ええ。これで安心できますよ」

「そう言えば、お前の所は、妹……だったな」

小隊長である風間飛曹長がそう言ってくる。

「はい。父はラバウルで戦死し、母は病気で……」

「そうか。なら、お互いに大事にしなければな」

「ありがとうございます」

少ししんみりとした雰囲気になる。

誰もが国元に親兄弟がいる。

家族がいるのだ。

そして、暫く会っていない家族の事を思い出したのだろう。

だが、すぐに原口二飛曹がニタリと笑う。

「そういや、武藤(おまえ)の妹さん、美人か?」

怪訝そうな顔で武藤二飛曹が答える。

「ああ、妹は母親似だから……」

そう言ってすぐにまさかという表情になった。

「おい、ちょっと待て……」

その言葉と表情を見て、原口二飛曹はにこやかに笑うと口を開く。

「紹介してくれ。お前の妹というのはマイナスだが、美人なら彼女にしたい」

お茶目な口調でそう言われるとなんか腹が立つ。

「お前には、絶対紹介せん」

そう言い切ると、その様子がおかしかったのか周りが笑う。

その結果、さっきまであったしんみりとした雰囲気がかき消された。

どうやら、そんな雰囲気を何とかしたかったから言ったのか。

普段ならそんな軽口を言わない同僚が、そんな事を言った理由が頭に浮かんだ時であった。

警報のラッパが高らかに響く。

『敵編隊が北上している。恐らく北九州工業地帯が目標と思われる。各機出撃せよ』

その命を受け、仲間たちは表情を引き締めて機体に向かい、準備できた機体から離陸し、部隊の隼が次々と飛び立っていく。

そんな中、鮮やかに飛び立つ機体が一機あった。

尾翼に43と描かれたその機体、それが武藤ニ飛曹の機体だ。

機敏な動きで上昇していく隼。

その動きは他の機体よりも一際抜きんでていた。

だが、それも限界がある。

高度五千を超えたあたりで発動機はせき込むようになり、じりじりとしか高度は上がらない。

しかし、それでもやらねばならない。

そして、やっとの思いで上がった先に待っていたのは、高度八千を当たり前のように飛ぶB-29の編隊と護衛戦闘機であった。

「くそっ」

部隊の隼がそれぞれ攻撃を仕掛ける。

誰もが死にたくない一心で戦う。

それは武藤二飛曹も同じだ。

護衛戦闘機の合間を抜き、遂にB-29の一機に近づくことに成功する武藤二飛曹。

「落ちろっ」

その言葉と共に引きちぎらんばかりに機銃の引き金を引き絞る。

だが、やっとの思いで放った銃撃を受けてもB-29は火を噴くどころか何事もなかったかのようにドンドンと先に進んでいく。

そしてお返しとばかりに襲い掛かる銃撃。

隼のような7.7ミリの豆鉄砲ではない。

12.7ミリの銃弾が雨あられのように飛んでくるのだ。

「くっ」

機体をなんとか動かしてかわすものの、一端とはいえ離れて距離をとってしまっては、高高度という領域では隼で追撃することは不可能だった。

悔しさと怒りが心の中を染め上げたものの、それでも武藤二飛曹の心の中ではほっとした気持ちがあるのも事実だった。

今日も生き残れた……。

それに、北九州に住んでいる妹は祖父母の家族と一緒に佐賀の方に疎開したと連絡があった。

つまり、今の編隊が爆撃したとしても妹は無事だという事だ。

傍から見れば、自分の家族さえ無事ならそれでいいのかと言われそうだが、誰だってそうだろう。

ただ口に出さないだけだ。

彼はそう思っていた。

ゆっくりと高度が下がり、隼が本来の力を取り戻していく。

せき込んでいた発動機は本来の動きを取り戻し、さっきまでヨタヨタとしか飛べなかった隼は、名の通りの機敏な動きを見せている。

一機も撃墜出来なかった事は残念だが仕方ない事だ。

彼はそう自分自身に言い聞かせた。


だが、二日後、その事を彼は後悔することとなる。

二日後に送られてきた電報で知ったのは、妹の死であった。

あまりにも信じられない報に、彼は慌てて祖父母たちに連絡を入れた。

そして彼は知る。

あの日、妹が八幡の家に戻っていた事を。

彼女は、疎開する際に入れ忘れてしまっていた兄の荷物を取りに帰ったというのだ。

その妹が戻った日、その日は、そう、彼が一機も落とせなかった日だ。

生きていてよかったとほっとした日だ。

あの編隊は、八幡を空襲したのである。

後に『八幡大空襲』と呼ばれることとなる空襲で、その日、221機のB-29が来襲して45万発を超える焼夷弾を投下したのだ。

もしあの時、一機でも叩き落せたらもしかしたら妹は助かったかもしれない。

そんな事はあり得ないとわかっている。

だが、可能性は時にあまりにも残酷だ。

それは人を苦しめ、後悔を引き起こし、怒りの炎で自分を焼き尽くす。

なんで……あの時、ほっとしたのだろう。

あの時、もっと戦っていれば……。

一機でも落とせていたら……。

じわじわと心が、精神が病んでいく。

だが、それは誰も止める事は出来ない。

何故なら、心は他人が知る事は出来ないものだから。

なにより、本人さえも自分の心は図り切れていないのだから。

「大丈夫か?」

周りが彼を心配してそう声をかけてくる。

だが、その言葉でさえ、彼にとっては毒であった。

なぜ、俺の妹だけが死に、お前らの家族が生きているんだ?

なぜ?なぜ?なぜ?……。

そして再び戻ってくる。

そう、俺が必死になってやらなかったからだ。

死ぬ気でやらなかったからだ。

生きていたいと願ったからだ。

その思いが、ますます自分自身をより追い詰めていく。

それは悪循環であったが、その悪循環を抜け出すことは他人ではできない。

自分でやるしかない。

大抵の場合、時間が全てを解決するはずだった。

人は、時間が過ぎ忘れるという事で救済されるのだから……。

だが、それさえも今は適わない。

『敵機来襲っ』

サイレンと共にそう報告が入る。

もう失うものはない。

いいだろう。

お前らを殺してやる。

死んでも構わない。

絶対にお前らを殺す。

その思いが、彼を黒く染め上げていく。

黒く黒く、どす黒く……。

「無理しなくてもいいんだぞ」

そう言われたが、今の彼をそんな言葉で止める事は出来ない。

彼は愛機と共に飛び立った。

黒い怒りと真っ赤な思いに染まって。

そう、それは死をかけての戦いだ。

だが、現実は残酷だった。

歯牙もかけないとは今の有様を言うのだろう。

どんなに怒りに満ち満ちても、どれだけ必死になっても、高高度という領域ではなすすべもなくただ引き離されていく。

くそっ。

くそっ。

口から洩れる言葉はそれだけだ。

無念が、悔やしさが、心を締め付けていく。

遠ざかっていく敵編隊を睨みつける彼の目は血走り、浮き上がった血管と怒りに震える表情はまるで鬼が宿ったようであった。

力があれば……。

あの連中に、怒りを、憎しみを思い知らせれる力があれば……。

願う。彼は心底そう願う。

それは決して神には届かない願いだろう。

そう、決して届いてはいけない願いだ。

だが、神でなかったどうだろうか。

ぞくりっ。

寒気が彼を襲う。

そして頭に響く声。

『その願い、叶えてやろうか?』

しわがれた老婆のような声。

いや、それは声と言っていいだろうか。

まるで悲鳴のような音と言っていいだろう。

それが偶々、言葉に聞こえた。

そう感じさせる声色だった。

「誰だ……」

ゆらりと彼がそう呟く。

『誰でも構わんだろう?』

その言葉に、彼は笑った。

その顔に浮かんだのは乾いた自暴自棄の笑みだった。

「そうだな。なら、叶えてくれ」

『対価は憤怒と怨嗟に満ち染まり切ったお前の心と身体だ』

彼は迷いなく即答する。

「構わない。願いが叶うなら」

しわがれ声でソレは笑った。

『いいぞ。では、先に報酬をいただこう』

この言葉と同時に、かって武藤貞義という人であったモノは、ただの血と肉になり果てた。

膨らんだ肉体ははじけ飛び、コックピットの中を紅く染めていく。

キャノピーの隙間から血があふれ出し、機体を紅く染める。

だが、それで終わりではない。

弾けた肉と血は次々と増殖し、機体の隙間に流れ込み、隼の機体の中に広がっていく。

ドクン。ドクンっ。

脈打つ肉は増殖して隼を満たしていき、ジュラルミンの機体が悲鳴を上げた。

増殖する肉と血が増え続け、機体の中を圧迫していったからだ。

遂に限界を超えて機体が割れる。

だが、割れた先にあるのは肉だ。

赤黒い脈打つ肉が形を成していく。

それは主翼だけではない。

エンジンカウルが、機体が、全てがあふれ出た肉によって別の形へとなり、銀色だった機体は奮恕のよって染められたかのように黒くなっていく

それはある意味、生まれ変わる為の儀式だったのかもしれない。

そして、増殖が収まった時、そこにはかって隼だったものはない。

隼だった機体のかけらを身にまとった別の存在があった。

挿絵(By みてみん)

『やっと、やっと、手に入れたぞ。新しい身体だ』

ソレは、ニタリと笑みを浮かべると自分の身体を確かめるかのように動かす。

『ふむふむ。なかなかいいではないか』

そう言って、ふと見上げる。

その視線の先にあるのはいくつもの点。

そう、B-29を始めとするアメリカの爆撃機隊だ。

『ふむ。契約もある。だが……』

目らしきものが細められる。

『それとは別に、貴様らは気に入らん。誰彼なく殺しおって』

ソレはそう呟くように言うと、一気に爪の生えた手のようになってしまった主翼を広げた。

一気に加速し上昇する。

そのスピードは、普通のレシプロ機では無理な速さだ。

滑るように爆撃隊の上空に辿り着くと、まるで鷹が獲物を狙うかのように一気に降下して最後尾のB-29に襲い掛かった。

対空機銃を潜り抜け、B-29に張り付くと機体に腕を振り下ろして爪を食い込ませる。

まるで紙切れのように簡単にB-29のジュラルミンの機体を引き裂いた。

『脆いわ』

そう言うと、次々と引き裂いていき、遂に搭乗者のいるブロックまでたどり着く。

ニタリ。

ソレは笑った。

邪悪な笑みを。

恐怖に陥っているB-29の乗組員の一人を捕まえるとかぶりついた。

飛び散る血と肉。

久方ぶりの食事だ。

だが、それでもソレは思う。

あの、武藤とかいう男の方がうまかったと。

だが、悪くはない。

遂に機体か軋み、取りつかれた最後尾のB-29が火を噴く。

残念だ。全員食えそうにない。

だが……。

視線を前に向ける。

その先には、まだいくつものエサが詰まった獲物が飛んでいる。

次と行くか。

ソレは、そう切り替えると燃え始めたB-29から飛び立ち、その前のB-29に憑りついた。

さぁ、久方の食事を楽しもうではないか。


その日、北九州に向かった爆撃隊は、護衛のムスタング2機を残して全滅した。

なんとか帰還したパイロットは、恐慌状態のあまり当日は報告できない有様で、何があったのかを司令部が知るのは二日後であった。

パイロットは、怯えた顔で言う。

「悪魔だっ。あそこには悪魔がいる」

そんな馬鹿なと司令部は一蹴したが、三日後に北九州爆撃に出撃した爆撃隊もとんでもない被害を受けて戻ってくる事となった。

その爆撃隊の生き残りも言うのだ。

『黒い(オスカー)のような悪魔がいた』と……。

仲間は奴に食われた。

もう二度と行きたくない。

誰もがそう述べたのである。

その報告に、まさかと思うが、それでも信じられない司令部は、三度爆撃隊を向かわせる。

しかし、結果は同じであった。

三度も全滅に近い被害を出したことで、ついに司令部は北九州への爆撃を中止する。

表向きは、目標が大阪や東京の大都市に変更になったからというのであったが、実際に北九州の爆撃が下火になったのは、生き残った者達が言う『黒い(オスカー)』のせいであった。

それは噂話となり語り継がれる事となる。

日本を守るために現れた銃撃しても撃墜出来ない神の化身ではないかと言われている真っ白なゼロ戦と共に。

日本を守るために、アメリカ軍機に襲い掛かる悪魔のような黒い(オスカー)として。


全身図

挿絵(By みてみん)


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