第6話 朝食
翌朝、外から帰ったヒュウガは鼻をくすぐる芳香に気付いた。
ハーブと肉の焼ける匂い。
奇妙に思ったヒュウガが厨房に向かうと、そこには食事を作っているフローレンスの姿があった。
「寝てりゃいいだろ。まだ朝も早いぜ?」
「そう言う貴方は、夜明け前からどこへ行ってたの?」
「稽古さ。狩りに出ない以上、身体動かしとかないと鈍っていけねぇ。」
フローレンスはフライパンでソーセージを焼きながら、鍋でスープを作っている。
その手際の良さを見て、ヒュウガは内心舌を巻いていた。
「手際いいな。ただ間者をやってただけじゃなさそうだ。」
「ええ。色々と仕込まれた。
私は侯爵の『お気に入り』だったから。」
「色々……ね。」
ヒュウガは何かを悟った風に、口の中でつぶやいた。
フローレンスはそのつぶやきを背中で聞いて、はっきりと答える。
「そう。私は侯爵の愛人だった。」
「吹っ切れたかい?」
「もう隠しても仕方ない。
むしろ隠していたら何かと不利益が多いと判断した。」
「不利益が多い、ねぇ……。
まあ、半年は共同生活だ。
そうしてもらうと、コッチは助かるが……。」
「家主に嫌われたくない。
だからこうして食事も作っている。」
彼女はそう言って、焼いていたソーセージをスープの中に入れ、鍋に蓋をした上でかまどに薪をくべた。
「もうすぐできる。待ってて。」
少し手の空いたフローレンスに、様子を見ていたブランが足元にすり寄ってきた。
フローレンスは少しだけ驚いた仕草を見せたが、すぐに表情を戻し、ブランに声をかける。
「どうしたの?」
ブランは『お座り』の姿勢を取って、ゴロゴロと喉を鳴らしながらフローレンスの顔を見つめている。
ヒュウガが喉の奥で笑いながら、彼女に声をかけた。
「腹減ってんのさ。
ちょっと待ってな。」
ヒュウガはのそのそと厨房の奥にある食糧庫に向かう。
彼は地下にある食糧庫から獲物の鹿を選び、肋の辺りを蛮刀で叩き切った後、皮を剥いで戻っていった。
「この辺が好物でな。
少し火で炙ってやると滅法喜ぶ。」
そう言うと、ヒュウガはかまどからフライパンを下げ、強い火が出ているところで肉を炙り始めた。
すぐ隣でフローレンスが、不思議そうな視線をヒュウガに向けている。
「どうした?」
そんな視線に気付いたのか、穏やかな声でヒュウガが尋ねた。
「ずいぶん不用心ね。」
「ん?」
「火や高温の液体、刃物もかなりあるこの場所で、不用心過ぎる。」
「そんな場所を先に選んだのはソッチだぜ?
それに言ったはずだ。もうキナ臭いのはゴメンだってな。」
フローレンスは黙り込んで、スープの鍋を見つめ始める。
一方、ヒュウガは骨付きの肉に火が通ったことを確認すると、肉を皿に盛り、座り込んでいるブランの前に差し出した。
「さ、飯だ。
まぁ、しばらくは休業になる。お前ぇも少し食う量減らさないとな。」
ブランは顔を勢いよくヒュウガへと向け、恨めしそうな視線を投げかけてきた。
「そんな顔すんな。
今年は特に雪が早いらしいから、狩りに出られる日がもうなくなりかけてる。
加えてフローレンスもいる。コイツを放っては行けんだろう?」
「私は別に構わない。」
しゃがみ込んでブランを諭すように言っているヒュウガの背中から、フローレンスが声をかけてきた。
その彼女に、ヒュウガは顔を向けることなく答える。
「俺が構うのさ。
もしヤベぇのがやってきたらどうする?
足ケガしてたらとても逃げ切れねぇぞ?」
「そんな追手は来ない。」
「追手じゃねぇよ。熊や狼が出るのさ。
薪を取ろうと外に出た時、鉢合わせたらどうすんだ?」
息が詰まるような声をかすかに上げ、フローレンスはヒュウガの背中を見つめた。
ヒュウガは立ち上がりながら、フローレンスに言う。
「ここは、お前ぇさんが今まで生きてきたお屋敷の中とはまるっきり違うんだ。
森と山の常識が優先されて、次いで村の常識だ。
お屋敷の常識なんざ忘れちまえ。
そうでもしないと、生きるのに疲れちまうぜ?」
「森と山の常識……具体的には?」
静かなフローレンスの声を聞き、ヒュウガはゆっくりテーブルにつきながらさらに語る。
「まずは生き残る事。そのための最善を尽くす。
時には非情の判断もあるが、一番は同行者と協力することだ。
一人じゃできん事も、二人ならできるかもしれねぇだろ?」
フローレンスの視線はヒュウガの顔から動かない。
ヒュウガの言葉は続く。
「他は下手に自然を刺激するなってトコが肝要だな。
特に獣どもを刺激して、人の味を覚えさせると後がヤベぇ。
こういった森や山が隣接している里なんかはそれが顕著だ。
だから、十分に準備せず『森に行く』なんて言おうもんなら、村人連中にまず怒鳴られる。
山も同様だ。雪山がどんなもんかは、はっきり身に染みただろう?」
「そうね。少なくとも命は落としかけた。」
ブランが、クゥ……と、喉の奥で心細そうな声を上げ、フローレンスに寄り添ってきた。
彼女はそんなユキヒョウの様子に目を細め、頭を優しく撫でる。
「お前ぇさんも、そんな表情ができるんだな……。」
「どういうこと?」
フローレンスは再び無表情になって、ヒュウガに向き直る。
ヒュウガはそんな彼女へニヤリと笑ってこう答えた。
「なに、お前ぇさんの笑顔ってのが、見たくなってきたのさ。」
「そろそろ良い頃合い。」
フローレンスはヒュウガの言葉を無視して、スープの鍋の前に立つ。
味見をしている彼女の背中を見つつ、ヒュウガは苦笑いをしてパンの籠へ手を伸ばした。