第8話 断罪
激痛が、ゲシノクの目を覚まさせる。
その痛みが左足から来ていることを認識するのに、かなり時間がかかった。
うつ伏せのまま、身体が動かない。
動かそうとすれば、左足からの激痛がより強くなる。
「ご生憎だな、長官殿?」
顔を何とか上に向けると、そこには五つの顔があった。
狼の顔、ニヤニヤ笑いの男の顔、無表情な女の顔、獅子の顔、そしてユキヒョウのような魔獣の顔。
「な、なんで!?
『障壁』があったのに!!」
激痛に顔をしかめつつも、疑問をつぶやくゲシノク。
ゴウがその疑問に優しい声で答えた。
「『障壁』とて、全ての脅威を無にできる訳ではない。
受け止められぬ程の一撃なら、『障壁』も無意味。
まして、『回路』によるものならば、制限時間もあるだろうて。」
呆然とした表情のゲシノクに、ヒュウガの肩を借りたシヴァが語りかける。
「ま、こうなっちまったら、本気で年貢の納め時ですぜ?
なによりアンタ、やり過ぎた。
ツケは払わにゃならねぇ。
大きけりゃ大きいほど、な。」
恐怖にぜぇぜぇと喘ぐゲシノクの前で、ヒュウガがコートの懐からフローレンスの短剣を取り出し、それを彼女に手渡した。
「お前の仇だ。
煮るなり焼くなり好きにするといい。」
ゴウのマントを羽織ったフローレンスの顔が怒りに歪む。
一歩ずつ歩み寄る彼女に向け、ゲシノクは狂ったように叫んだ。
「待て! 待ってくれ、『妖』!!
見逃してくれるならなんでもする!
そ、そうだ! ボクの愛人になるといい!!
何でも買ってやる! 美味しいものも食べ放題だ!!
な、な、素敵だろう!?」
ひきつった笑いで命乞いをするゲシノクを見たゴウは、大きくため息をついた。
「やれやれ、三流はどこまでいっても三流か。
今時ここまで無様な命乞いをするヤツなんぞ絶滅したと思うとったが……。」
フローレンスがその短剣を突き立てようと、大きく振りかぶった瞬間、その彼女の耳に何かが聞こえてきた。
同時に、その場にいる全員が耳を澄ます。
その音の正体に、いち早く気付いたフローレンスは、短剣を手から滑らせた。
短剣は、サクリ、という音と共にまっすぐ地面に突き刺さる。
「やめた。」
「どうした?」
訝しげにヒュウガはフローレンスに尋ねた。
彼女は静かに目を閉じて、改めて音に耳を澄ます。
「私より、もっとふさわしい執行人が来ているから。」
すぐそこまで近寄っているその音は、最早誰の耳にも明らかだ。
野犬の遠吠え。
周囲をざっと見まわせば、月光の下ギラギラと輝く目が、あちこちの茂みに見え隠れしている。
「イヤだっ! イヤだぁぁぁぁぁぁっ!!」
状況に気付いたゲシノクが、蒼白と言うだけでは飽き足らぬほどに真っ白な顔で恐怖を爆発させた。
「イヤだ……イヤだ、イヤだ、イヤだ、イヤだ!!
地獄なんて行きたくない!!
ボクは天国に行くんだ!!
おい『妖』! 今すぐボクを殺せ!!
そうすればお前の罪を許してやる!
早くしろ!!」
支離滅裂な言葉をゲシノクはフローレンスへと吐きかける。
だが、当のフローレンスは冷徹な視線を投げかけ、ひとことだけつぶやいた。
「私をその名で呼ぶな。」
それだけ言うと、フローレンスはきびすを返して小屋のあった広場を後にする。
ブランは心配そうに、彼女の後について一緒に森へと入っていった。
続いてシヴァがゲシノクをニヤニヤと見下ろして言う。
「お前ぇさん、天国へ行けると思ってたのかい?
安心しな、どう転んでもテメェは地獄行きさね。」
それだけ言うと、肩を貸していたヒュウガを押しのけて、フローレンスと同じ道をよろよろと歩いていく。
「ヒュウガ、何をしている。」
皆と同じく、この場を離れようとしているゴウが、ヒュウガに声をかけた。
「頼む……頼むよ……『羅刹の黒狼』。
お願いだからボクを殺して……。」
どこまでも憐れな声で哀願するゲシノクに、ヒュウガは、ただどこまでも冷酷な視線を投げかける。
そして、彼もまたきびすを返し、皆の後を追って歩き始めた。
背後からは、命乞いと罵詈雑言の混じった声が響き渡っている。
そこそこに進んだところで声が止んだ。
同時に野犬の唸り声が一際大きくなったかと思うと、草むらから一斉に何かが飛び出してくる音が聞こえてくる。
ヒュウガの耳に悲鳴が届いた。
ヒュウガが少しだけ振り向くと、そこには何か黒いものが寄り集まった、悍ましい小山がもぞもぞと蠢いていた。




