第3話 奴隷
ゴリ……ゴリ……と、薬研で薬草を擂り潰す音が部屋の中に響く。
物静かに瞑想でもしているような雰囲気のフローレンスと、同じく無表情で車を挽くヒュウガ。
不意にヒュウガが口を開いた。
「奴隷……だったんだな。」
「知っていたの?」
表情を変えることなく、フローレンスはヒュウガに尋ねる。
「ああ。
奴隷は家の物ではあるが、家族じゃない。
だから、姓は名乗らせない。
そう言うしきたりだったな。」
「詳しいのね。」
「ちょいと、マウルにいたからな。」
薬研を挽く音がやけに大きく聞こえる。
そんな沈黙を先に破ったのは、フローレンスだった。
「変に不機嫌なのは、私が奴隷だから?」
「違ぇよ。」
「じゃあ、どうして?」
「許せねぇのさ。
そんな身分を残してるマウルがよ。
人ってのは、誰だって幸せになっていいんだ。
奴隷なんて物を残してんのは、その考えを真っ向から否定してるも同様だぜ?」
「ごめんなさい。言っている言葉の意味が解らない。」
ゴリ……と、ヒュウガの手が止まった。
「どういう意味だ?」
「奴隷は生まれついて奴隷。
幸せとか考えるものじゃない。」
「そういう思考停止が問題なのさ。
飼い慣らされちまった証拠だ。」
舟の中の擂り潰された薬草を、ヒュウガは布に塗り付けていく。
「今のマウルは階級社会が極北まで進んでやがる。
貴族はどこまでもやりたい放題に対して、平民は自堕落に惰性で生きている。
割食ってんのは奴隷とされた連中だ。
まともに働かない奴らを養っているにも関わらず、扱いは最悪ときた。」
薬剤を塗り終えたヒュウガはおもむろに立ち上がり、ベッドに腰かける。
「お前ぇさんもそこから逃げ出した口じゃないのか?
帝国なら、もっとマシな生活が……。」
「そうじゃない。
私は別に逃げ出した訳じゃない。」
「どういうことだい?」
「仇を討ちたい。
だから国境を越えてきた。」
ヒュウガは口を噤んで、左の足首に巻いた包帯をほどき、あてがっていた黒ずんだ布を剥がした。
そのまま新しく、薬を塗った布を貼り付け、包帯を手際よく巻いていく。
「レオンハルト・フォーゲル。」
ピクリ、と、包帯を巻く手が僅かに止まった。
「遺跡工学の権威。
この男から遺物の兵器を奪い取って、仇を討つ。」
「ムチャクチャだな。」
「どういうこと?」
包帯を巻き終えたヒュウガの言葉に、フローレンスは無表情ではあるが、どことなく不機嫌そうな声音で尋ねる。
ヒュウガは薬研を持ち上げながら、フローレンスに言った。
「その……あー……レオンハルトだったか?
その男、聞いた話じゃ魔導士なんだろ?
ただの女じゃとても太刀打ちできんし、色仕掛けも効かないらしい。
そんな手合いから、どうやって奪い取る?」
「体術には自信がある。」
「魔導闘法相手でもやれるのかい?」
かすかに、だが確かに、フローレンスの顔に焦りが浮かんだ。
ヒュウガは言葉を続ける。
「俺にゃお前ぇさんが誰の仇を討ちたいのか、そして仇が何者なのかはわからねぇ。
でもな、これだけは言える。」
「仇討ちは下らないとでも?」
口調は変わらず。だが、視線は射抜くようなものを見せ、フローレンスが言葉を投げつける。
ヒュウガは薬研を抱えて扉まで行くと、振り向いてこう言った。
「俺が言いたいのは、しばらく待て、だ。
まず足を治すのが何よりだし、その化け物に頼らなくていい方法だって見つかるかもしれん。
帝国は自由だ。違法でなきゃ何でもできる。
無論手段は選ばにゃならんが、それでもやり様を探すには十分すぎるだけのものがあるんだからな。」
その言葉を聞いたフローレンスは、何も言わずに瞳を閉じた。
それを見たヒュウガは、苦笑いを浮かべさらに語りかける。
「で、何が欲しいんだ?
魔導銃か? 光の剣か?」
「巨人。」
短く答えるフローレンスに対し、ヒュウガの顔から苦笑いが消えた。
彼はそのまま無言で扉を開き、部屋を出て行く
残されたフローレンスは、再び横になり、毛布の中へと潜り込んでいった。