第7話 過去
「悪かったな……。」
人気のない路地裏で、ヒュウガが不機嫌な顔を見せてフローレンスに語りかける。
「折角の雰囲気を全部台無しにしちまった。
本当ならもう少し色々買ってく腹だったが、こんなんじゃ気が乗らねぇ。」
フローレンスは無言のまま、荷物を持って歩くヒュウガの後をついていく。
「今日の所は酒を買って帰る。
お前ぇさん何が好みだ?」
気まずそうな微笑みを浮かべて尋ねてきたヒュウガに、フローレンスが一言つぶやいた。
「『時計塔の英雄』……。」
ヒュウガの顔から微笑みが消える。
「全て思い出した。
ヒュウガ・アマギ。気功術という特殊な戦闘法を用いる『時計塔の英雄』の一人。
親友であるレオンハルト・フォーゲルと共に時計塔のテロ事件を終息させた人間。
でも、その人間はその場で死んだと報告にあった。
そうなると、貴方は何者?」
「その当人で間違いねぇよ。
ある手筈で、ちょいと裏方に回ったのさ。」
「だとしたら、これも繋がってくる。
『影の兵士隊』に突然現れて、王国で様々な破壊工作を行なった、黒い狼の獣人。
騎士や近衛兵などではなく、前身も何も解らない謎の兵。
それも貴方だということで認識していい?」
フローレンスがいつも見せる、鋭い視線。
だが今回は、ヒュウガもそれに負けぬほど冷徹な視線を投げかけている。
かつて見せた『仕事中』の眼だ。
「そこまで知ってるたぁ、お前ぇさん女狐どころじゃねぇな?
相当深ぇところまで踏み込んでやがる。
一体何者だ?」
「言ったはず。シャーワイユ侯爵の『お気に入り』だと。」
「まあ確かに、諜報部の頭目張ってたカミソリ殿の懐刀となりゃ、相当ヤベぇヤマにも首を突っ込むか……。
しかし、あンだけ派手に暴れてやりゃ、普通証拠をでっちあげてでも開戦の口実にしそうなモンだが……よくその気にならんかったな?」
「それこそ貴方たちの目的だったと侯爵は踏んでいた。
尻尾をちらつかせて宣戦布告を引き出し、徹底的なダメージを与えて休戦。
荒廃した国土はマウルに押し付け、帝国は静観しつつ、国力を蓄え直す。
大方の戦略はそんなところだと。」
「さすがはカミソリ殿……見事な読みだよ。
コッチとしちゃ、先に攻めさせた方が大義が立つ。
一方的に攻め込んでくるなら、そりゃ侵略だからな。
だから俺ぁわざと尻尾の影を残しつつ、軍事基地の破壊工作を行なっていった。
王国の挑発とはちょいと毛色は違うが、それでもそいつをマルっと見破っていたってんだから、やはりマウルはおっかねぇ。」
口調こそ軽いものの、ヒュウガの視線はどこまでも冷たく、鋭い。
フローレンスはその視線にたじろぐことなく、真っ向から見据えて答えていく。
「マウルの諜報を侮らない方がいい。
確かに帝国は技術に優れているが、人の運用についてはマウルの方が上。
大きなテロ事件の裏側では、情報収集のため、かなりの人員が動いている。」
「直接、間接の関わりもある上で、だろ?
ったく……どれだけの間者が潜り込んでんだか……。」
「帝都だけでも、数千は紛れ込んでいる。
他にも主要都市ごとにやはり千人単位。
検問は賄賂に厳しいけど、流入する人には比較的無頓着だから、綿密に準備をしておけば十分に誤魔化せる。」
「ま、こんなご時世だ。
疑わしきを全部ふン捕まえてたら、監獄がパンクすらぁな。」
ヒュウガは独り言のように言って、首を左右に振った。
「どうするの? 私も突き出す?」
「いや、そんなこたぁしねぇよ。」
「どうして?」
「今のお前は間者じゃない。少なくとも、『今は』な。
それに怪我をしている。
ま、いずれにしても女を売るような真似したら、男として恥だ。」
「恥なんてことを考えたら、諜報はやっていけない。」
「それこそ言ったはずだぜ? あんなキナ臭い商売はもうゴメンだってな。
俺ぁ狩人だ。人は狩らねぇよ。」
「でも、さっきは強盗どもを蹴散らした。」
「人を狩る気はねぇが、外道は許せん。
抵抗もできねぇ人間を平気で斬るような連中を見逃しちゃ、今まで奪ってきた命に申し訳が立たねぇ。そう思うのさ。」
ヒュウガはそれだけ言うと、寂しそうな微笑みを見せてきびすを返す。
ゆっくりと歩いていくヒュウガの背中に、フローレンスが声をかけた。
「待って、もう一つだけ買いたいものがある。」
「なんだよ?」
「場所は解っている。すぐ済む。」
フローレンスはそう言うと、大通りに向けて歩き出した。
大通りに出てすぐの一角、フローレンスは作りの良い店に入っていく。
「化粧品屋?」
看板を見て、怪訝な顔をするヒュウガ。
程なく、フローレンスが一包みの紙袋を持って店から出てきた。
「何を買ったんだ?」
ヒュウガの問いに、フローレンスが静かに答えた。
「口紅と香水。よく使っていた物があったから、今の内に買っておく。」
「そうかい。」
ヒュウガはそれだけ言うと、町の外れに向けて歩き出した。
フローレンスもまた、ヒュウガについて歩きだす。
ゆっくりと歩くその背中に、フローレンスは今まで感じた事のなかった『信頼する心』が、おぼろげではあるが、胸の内に芽生えていることに気付いていた。