名探偵より悪意と憎悪を添えて 4
翌日、放課後の校舎の屋上にて。
依頼人に捜査の報告を行う時、時間場所は自由に指定できる。勿論、学生という立場上、幾許かの制限はあるが、私はできる限り応えるようにしている。
そして、御殿場さんが指定したのは、放課後の校舎の屋上だった。
「お待たせしました」
と、私は屋上の扉をゆっくりと開け、御殿場さんに声を掛ける。同級生ではあるが、依頼人へと礼儀として敬語で接する。
「……良いのよ。私こそこんな所に呼び出してごめんなさいね」
こんな所――義妹が自殺した屋上で報告を聞きたいという気持ちは分からないでもない。事件が発生した場所であるため、本来は立ち入り禁止になっている。先生方に見つかれば、探偵活動の露見以前に生徒指導室送りになるか、重くても停学処分を受けることになるだろう。
「ここに来るのは本当に久し振りなの。以前は義妹と一緒に風景を眺めてたわ」
「そう、私も。ここでストレスが溜まると、ここで景色を眺めてね……」
そこまで言って、これ以上は本当に余計なことを口にしかねないので咳払いをして自分の話を打ち切る。これ以上は停学処分では済まされない。
「……それで、本当に真相が分かったの?」
「その前に改めて確認させてほしいのだけど」
くどいかな、とは思ったが、この再確認だけはどうしてもしておきたかった。鵜飼さんは親切心から説明をするべきではないと言っていたが、私の場合はまた違う理由だった。
「まず間違いなく貴女が望むようなことにはならないと思うけれど」
「勿論よ。私はこの事件の真相を知りたいだけなの」
なるほど、貴女の決意は固い訳か――であるならば、ここから先は自己責任だ。
忠告はしたからね。
『事件は知っているが、現場を見た訳じゃない』
七ツ役さんに話を聞いてから、他の生徒達にも聞き込みを進めたが、全く同じ証言だった。
思えば、飛び降り自殺というショッキングな事件の割には、噂程度しか出てこなかった。所用で当時学園にいなかった私はそんなものなのか、とも思っていたが、学園にいた鵜飼さんや七ツ役さんまで詳細を知らないというのは不自然だ。
屋上から下は学園の敷地――造園が広がる。昼食などで生徒が立ち入ることはあるが、流石に大勢の視線が集まるような場所ではない。授業後で廊下を生徒達が歩いていたにも拘らず、目撃者がほとんどいなかったというのは偶然だろう――いくら廊下側からの死角を通過したのだとしても、角度によっては目撃されることは十分に有り得た。
「御殿場さんは屋上から落下して、造園に設置された、開けられたマンホールを通過、下水道へと姿を消したの」
「そんな……それじゃあ、目撃者が少ないのは……」
「壁の裏側を通過したから、廊下側からだと死角になって見えなかったのだと思う。勿論、見たって人はいるかもしれないけれど……何せ、一瞬のことだったでしょうから」
「……………………」
御殿場さんの顔色が青を通り越して、真っ白になる。捜していた義妹の顛末がまさか下水道の中とは想像できない、したくもなかっただろうから――それでも真相を最後まで聞く覚悟は変わらないらしい、口元を押さえたまま話の続きを促した。
「飛び降り自殺……ということなの? 義妹はやっぱり……」
相談を持ち掛けられた時は、その可能性なんて信じられないといった様子だったが、改めて経緯を説明されると、否応にも納得させられてしまうのだろう。私達の元に来たのは一種の現実逃避だったのかもしれない。目付きは鋭く、近寄り難い印象が少なからずあった彼女の目元には涙が溜まっていた。
「自殺……と言えば、まあ……ある意味その通りなのよね。この場合は」
「え……?」
探偵であるから、という訳ではないにしても、つい遠回しな言い方をしてしまった。戸惑いで涙が止まった御殿場さんがこちらを見た。
中等部一年――十三歳の頃から探偵の活動をしているから、もう四年になるのか。その年月の中で、依頼人に直に報告、推理を披露する機会はそれなりにあったが、正直なところ、私はそれが得意ではなかった。人とのコミュニケーションが苦手な訳ではなく、どうにも相手の期待に副えるような報告をするというのが苦手だ。
今回のように。
「貴女の期待には副うことはできないでしょうけど、これから語る真相を端的に表すなら――」
「……………………」
「殺人事件、ということになるかしら」
あなたが殺したのよね――淡々とした口調で、私は語り掛けた。
直後、前頭部に強い衝撃が走った。
***
カツカツ、と屋上から階段へと下りる靴音が響く。半ば急ぎ気味で、しかしそれを気取られないように努めてゆっくりと歩こうとして、上履きに掛かる力が強くなっている。
鉢合わせした相手に違和感を与えまいとしているが、そもそも訓練も何も積んでいない女子高生にそんな技術がある訳がない。
だから、こうして実際に対面しただけで、彼女の顔面は死人のように白くなる。
まるで幽霊を目の当たりにしたかのような表情――心底心外だが、理解できないことはない。
「なっ……何で……あなた――えっ……?」
「さあて、何ででしょうね?」
リアクションが面白くて、可愛いのでついはぐらかすような笑みが零れる。別に取って食らうつもりはないのに、どうして怯える少女を目の当たりにすると、こんなにも嗜虐心を擽られるのか。
「ところで……腕を後ろで組んでいるようだけれど、階段を降りる時はちゃんと手摺を掴まないと危ないわよ? 走りづらくはないの?」
御殿場さんは後ろで腕を組んだ姿勢のままビクッと大きく身を震わせた。普段であれば、階段を走って降りるようなことは先生方に見つかれば口煩く咎められることだろうが、私は別にその点についてとやかく言うつもりはない。
階段を走って降りるのに、その姿勢だと動きづらいんじゃないか、と疑問を抱いたから確認したまでのこと。
まるで私から腕を隠しているように見えてしまう。
「べ、別に……そんなことは……?」
忙しなく両眼を上下左右に動かす御殿場さん。どうやら見た目程メンタルは強くない様子、いや、単純にこういった状況にまだ慣れていないだけか。
「そうそうあるものじゃないわよね――探偵に追い詰められる犯人側の経験なんて」
「……ぁ、なあ……っん、で?」
唇が緊張で乾き、疑問を上げることすら難しいのか。
しかし、『何で?』か――何に対する疑問なのか、少し考えてしまう。
どうして、私が犯人だと分かったのか――これは自白と同意なので、証拠を突き付ける手間が省けて良いな、と思った。
いや、これじゃないか。勿論分かっている。
「何で自分が殺した相手が目の前に立っているのか、でしょう?」
ビクッ、と再び御殿場さんの体が大きく震える。これから私が何か言う度に同じようなリアクションを取るのだろうか――最初は小動物を眺めているようで面白かったが、あまりにも繰り返されては飽きてしまうかもしれない。
「白を切ってもらっても構わないのよ? むしろ、いつまでも怯えられてはつまらないから、いい加減反撃の姿勢を見せてもらいたいものね」
「……………………違う、わ」
「ん? 何ですって?」
御殿場さんの口から漏れ聞こえたのは、犯行否認の言葉だったかか――もう少し面白くなるか、と口角が上がる。
「……話が、違うわよ……こんなの……!」
「……は?」
「私が求めたのは義妹の飛び降り自殺の真相よ! あの子が自殺した理由を知りたかっただけ!」
「……いや、殺人事件だったのだから、犯人当てまでがセットでしょ」
呆れつつ、最後の抵抗に対して少し付き合うことにした。
「依頼内容が変わってるわよ」
最初に聞いた時は『御殿場りょうかの死の真相』だった――それが今彼女の口から出たのは『御殿場りょうかの飛び降り自殺の真相』に変わっている。単なる解釈の相違か――いや、彼女の狼狽を見るに、もっと単純な理由だ。
「今回の事件の犯人は貴女よ――御殿場さん」
***
「何で……そうなるのよ……。私は依頼人なのよ!? あなた達に! 死体が見つかっていない以上、依頼さえしなければ――真相解明なんて墓穴を掘るような真似する訳ないでしょ!」
鬼気迫る表情で御殿場さんが階段を下りて、私の目の前まで接近する。背中に隠していた腕はその中で露わになってしまっているが、気付いていないのだろう。目の前のことに対処するだけで頭がいっぱいになっている。
「それ、何かしら?」
だから、私は御殿場さんが不自然な格好になってまで隠そうとしていた腕を指して訊ねる。
制服の右腕の袖が引き裂かれ、大胆に肌を露出させている。そして、肌には蚯蚓腫れの線が三本。
「これは……」
今更になって気付いたのか、目を見開いた御殿場さんが慌てて右腕の傷を隠した。
何とも惜しい、というのが探偵として犯人である彼女に下した評価だ。
彼女の犯行は正直なところ大胆で、面白いものだが、当然ながら初犯故に経験があまりにも乏しい。アイデアは良いのに、それに実現させるだけの技術が無い。
むしろ、ここまで上手く事が運んでいると言えるだろう。余程の悪運が彼女に味方している。
「ついでに、そのまま両方の腕を良ーく見せてほしいわね。私の予想なら、注射痕があると思うのだけど」
落下地点を誤認させるための大量の血痕――それを用意するために、自身から何回かに分けて、抜き取った血。その注射針の痕。
事件発生から時間の経過で治っているだろうが、それでも素人が刺した針の傷痕だ。見れば分かる。
「……………………」
「どうしたの? その腕の傷も含めて見てあげる。犯人じゃないって証明にもなって、貴女には得しかないじゃない」
先程までの逆上や反論が嘘のように、御殿場さんは口を開かなくなった。生憎と探偵の推理に対して、犯人に黙秘権は存在しない。反論を止めることは、自白と捉えられても仕方が無い行為だ。
だから、私はゆっくりと彼女に近付き、先にボロボロになった右腕の袖から捲った。三本の蚯蚓腫れと――
「犯人は自分の血を現場に撒いたのよ。限界ギリギリの量の血を何度かに分けて抜いて、落下地点を誤認させるために地面に撒いた――致死量の血溜まりを残して、飛び降りた本人が、死体が消えたように見せかけたの」
警察が思っていたよりも動かなかったのは、犯人にとって予想外だったのかもしれない。あれだけの惨状で、死体が無くても、自殺として断定されたのだから。天運は自分に味方したと、錯覚してしまう程に。
「……それは違うわよ」
やがて、観念したようにポツリ、と御殿場さんは口を開いた。
「いくら死体が無いからって、普通自殺とはならないでしょう? 裏で親が警察に手を回したの」
調査の中では出てこなかった情報だ――だからといって、然程の驚きはなかったが。
繰り返しになるが、この学園に通う生徒のほとんどは名家や社長令嬢のような富裕層だ。当然、その両親からは問題を起こさないように厳しく躾けられているはずだ。
事件は勿論のこと、自殺など論外だ。
「まあ、そうでしょうね」
私は首肯する。
「私の父はまあ……典型的なお金持ちって感じでね。世間体ばかりを気にして、臭い物に蓋をする悪癖があるのよ」
御殿場さんはそう言って、苦笑しつつ、私から距離を取る。
「十郎さん……私達は親同士が再婚して繋がった姉妹というのは話したわよね?」
「ええ、仲がとても良かったんでしょう? 自殺の原因や予兆が分からない程に」
おかしな話だ。七ツ役さんから拝見した資料によると、それこそ自殺の理由になり得る情報がそれなりに出てきたというのに――警察に手を回したが故に、あれだけの情報があったにも拘らず、自殺として処理された訳だが。
だが、身近だった義姉がそれに気付かないというのはどうなのだろう?
「いつ死のうとしていたか……は確かに、分からなくとも動機だったら分かったはずじゃない?」
私から距離を取った御殿場さんは、背後に立っていた。背中越しに、彼女の気配を感じ取りながら、話を続ける。
「だから、貴女が知りたかったのは――求めた真相っていうのは、もう少し深いところよね」
彼女の顔は見えない。それでも、どんな表情をしているのかは大体想像が付く。
「どうして涼花さんが自殺しようとしていたのか、でしょう?」
御殿場りょうかさん、と改めて私は名前を呼んだ。
返事は無かったが、どんな表情をしているかは想像が付いている。
殺意に満ちた双眸でこちらを見据える――獲物を捉え、嗤う鬼のような形相に決まっている。