第四十七話 やっぱり君は(7)
「坊ちゃま」
昼食が出来たことを知らせるローザの呼びかけに、魔法陣を眺めるジェットは気付かない。ローザは呆れた顔でジェットの肩を叩いた。
「わっ、なんですか?」
「昼食が出来ましたよ」
時計を見やったジェットはもうこんな時間かと呟き、もそもそとパンを咀嚼した。
「……何をお考えなんですか?」
「いや、別に。何でもないですよ」
何度問いかけても同じ答えが返って来るだけ。ローザはそのことに気付いている。それでも質問を止めないのはジェットに心を開いてもらうためだ。自分はお節介焼き、もしくは嫌な女だと思われているかもしれないが、それでも歩み寄るのを止めるわけには行かないと思っている。
私は会長のように頭が良くないからダメなのかな、と心の中で愚痴った。そして頬杖をついて取り留めのない事を考え出した。
「行ってきます」
「え、ああ、どこに行かれるんですか?」
玄関からした声がローザを思考の世界から現実に引き戻した。彼女がぼんやりしている内にジェットは食事を終え、魔法陣を書かれた紙束を持って玄関に立っていた。
「あれ、さっき執務室にって言いましたけど」
「あ、そうでしたか。行ってらっしゃいませ」
私も大概じゃない、とローザは洗い物をしながら思った。
執務室に着いたジェットは、いつもの手順を踏んで入室した。
「はい、ノルマです」
「お疲れ様。ちょっと待っててね」
シャルリーンは魔法陣のチェックをしながらも、ジェットの様子がおかしい事に気がとられちらりと彼の方を見た。いつも通り煙草を吸っている彼だが、心ここにあらずだった。
冒険に行った先で精霊に会ったことは、ルルから聞いている。賢い彼の事だから、もたらされた断片的な情報だけで出自の秘密に気付いてしまったかもしれない。何はともあれ、しっかり話を聞こう。シャルリーンはそう判断した。
「ジェット君」
どうやらジェットにはシャルリーンの声も聞こえていないようだった。もう一度、今度は大きな声で名前を呼ぼうと彼女が息を吸い込むと、ジェットが不意に口を開いた。
「シャル、あのさ」
「……なんだい?」
ジェットがシャルリーンにため口を使うのは、怒っている時だけだった。それに、彼の声がまるで別人に聞こえたので彼女は警戒した。ジェットが事務所に来てから初めて建前抜きの喋り方をしていると、彼女はそう思った。
「俺、冒険者になるよ」
シャルリーンの心臓が跳ねた。数十年前の忌々しいアイツとジェットが重なって見えたから。髪の色が違えば顔もあまり似ていない。瞳の色だって違う。しかし、煙草の吸い方と眼差しだけは瓜二つだった。
中指と薬指で煙草を深く挟み込み、顔を片手で隠すような吸い方。そして遠くを見つめる、希望に満ちたあの眼差しが。
「あ、いや、俺今なんて言いました?いやその口が滑ったというか…」
「あは、あはは」
シャルリーンは大声で笑った。慌てふためくジェットが可笑しかったからではない。
そしてその笑い声はどこか乾いていた。寂しさを含んでいた。
「笑った笑った。ジェット君、本気で冒険者になりたいのかい?」
ジェットは視線を右往左往させると、観念したようにため息をついた。
「ええ。どうやら、そうみたいです」
「いいよ。なりなよ」
「え、良いんですか?」
「言ったって止まらないだろ、どうせ」
「じゃ、じゃあ――」
彼が興奮気味に喋り出そうとした所をシャルリーンが立ち上がって手で制した。そしてジェットが座っているソファまで歩いた。
「ただし!条件を一つ提示させてもらう」
ジェットは生唾を飲み込んだ。無理難題を吹っ掛けられる覚悟を決めた。
「……なんですか?」
「学校に行ってもらう」
「がっ、学校?」
彼にとって学校は嫌いな場所の一つである。つまらない授業を何時間も受けさせられ、その上意味不明なルールが支配する場所だと思っているからだ。
少しだけ、冒険者になるのを止めようかと思った。
「ぐぐっ……わ……分かり、ましたっ!!行きますよ、クソ!」
「そんなに嫌がることないだろう!?」
「しかし、ううん。勉強あんまり好きじゃないですから、俺」
「勉強?何か勘違いしてるよ君」
「え?」
「君に行ってもらうのは冒険者科だよ。所謂お勉強は、騎士科や貴族連中の仕事さ」
ジェットの顔が露骨に明るくなった。あれ、この子ってこんな性格だったっけ、とシャルリーンは疑問に思ったが、とにかく話を続けることにした。
「この城下町から西にずっと行ったところに、前線都市ラッツバーグって街がある。学校もそこにあるんだ」
「ええ、知ってます」
「よろしい。十二歳から入学できるから、それまで待ってもらうよ。一先ずじっくり考えるんだ。良いね?」
「はい!」
シャルリーンは、ジェットが安全に生きる道を選択してくれるのを少しばかり期待して条件を伝えたが、どうやら徒労に終わりそうだと思い苦笑した。
ジェットは返事をしたら小遣いも受け取らずに走って出て行ってしまった。恐らく入学に向けて何か対策しようという魂胆だろう。実のところ入学資格は特にないのだが、シャルリーンは面白そうなので放っておくことにした。
彼女はテーブルの上の煙草を一本拝借し火を付けた。そしてソファにどっかりと腰かけ、天井を仰ぎ見た。
「フー……。やっぱりお前の子だ。似なくていいとこばっかり似ちゃったぜ?アラド――」
煙草を灰皿に押し付けた。
「やっぱなし。お前の名前なんて呼んだら口が腐るよ」
取りあえず、一章完結です。




