第三十六話 闘争、逃走
あの女の子は、何なんだ。
「ハァ、ハァ、クソッ」
空から降って来たと思ったら、いきなりアレックスさんと戦い始めた。顔に炎を食らっても平気そうだったし、彼の慌てようから察するに俺を守りながらの戦いは厳しいのだろう。だからこうして走って逃げているのだが。
「そもそも、どこに行けば…」
この街は十年ほど前に感染症が流行って以来人の数がめっきり減ってしまった、所謂ゴーストタウンだ。シャルリーンが働いている街までは、身体強化をして走っても三十分はかかる。彼に危機が迫り助けが必要になっても、応援を呼ぶのが間に合うだろうか。もし間に合わないなら、俺がどうにかするしかないのか?
(それが無理だからアレックスさんは俺を逃がしたんだろうが!)
中途半端な正義感で助けに入っても犠牲者が二人に増えるだけだ。今の俺に出来ることをするんだ。
もう五分は走っただろうか。街を出る最短距離を探すために、酒屋の看板が建ててある三階建ての屋根の上によじ登った。
「……良し」
逃走経路の目途は直ぐに立った。オレンジ色に燃える街をもっと見ていたいが、そんな余裕はない。
「とんだ災難だ、全く…ん?」
屋根から飛び降りようとしたとき、背後で何かが強く光った気がして振り向いたら、暖かい風も吹いてきた。気のせいか?それにしては何か不穏な気配が…。
「え…?なん、だ、これ?」
ぞわりと鳥肌が立った。この世の物とは思えない狂気の魔力。俺の感知能力はあまり高くない筈なのに、はっきりと感じ取れた。それにこの感じは、まさかさっきの女の子の魔力か?
「こんなの、勝てるわけねぇだろ」
アレックスさんの強さはここ数日の稽古で嫌と言うほど味わった。俺は彼の実力を全て知っているとは思っていないが、それでもどう考えても無理だ。
助けは、どうする?そうだ、急がなければ。間に合わないのに?じゃあどうしろってんだ。間に合わなければ、彼は死ぬぞ。死ぬ。
「あ、あ…マジかよ」
血の気が引いていくのが自分で分かった。心臓が早鐘を打ち呼吸が浅く、速まっていく。早く決めなければ。早く決断しなければ。なのに頭の中が混乱して、立ち尽くしてしまった。死が、ここまで重いとは。俺は今まで、ぬるま湯の中にいたんだと痛感した。
「どうする、どうする、クソ。クソクソクソ。クソッたれが!!!」
今から助けを呼んでも彼は死ぬ。俺が助けに行けば俺も彼も死ぬ。俺はアレックスさんを見捨てるかどうかを決めなければいけない。答えは分かっている筈なのに、どうしても両脚が動いてくれないのだ。
俺が、本心では助けたいから?だから足が動かない。いや違う。責任を負えないからだ。見捨てた事実を背負って前を向ける強さが無いから今、俺は何もできずにいる。ああ、こうやって失っていくのだろう。大事な時に何も決められずに、下らないプライドのせいで、俺はまた空っぽになっていくのだ。
ふと、イェスパーさんの顔が思い浮かんできた。彼はいつも、判断力が大事なのだと言っていたっけ。全くその通りだ。
「イェスパーさん俺は…どうしたら…」
彼ならこんな時何て言うだろうか。彼は強い人だから、「君は重荷に思う必要はないんだ」と言ってくれるかな。
「いや、違う…」
以前イェスパーさんは、なぜ自分が牢獄に入ったのかを言っていた。その時彼は、なんて言っていたっけ。
『僕はね、強くなかったからここに居るのさ、ジェット君。仲間を見捨て強かに生きる強さが無かったんだよ。でもねぇ、後悔はしていないよ。自分を貫いたんだ。弱くたって、自分を見失わなければ満足できる』
「たとえ、そのせいで死んだとしても」
彼は、そう言っていた。俺はどうする。弱い俺は、どうする。
「クソッたれが…やってやる!」
屋根から飛び降りて建物の一階に転がり込むと、急いでバックパックを逆さにして中の物を出した。
「考えろ考えろ考えろ考えろ」
水筒、ガラスペンの入ったケース、煙草、魔法陣の描かれた紙、魔法陣の教本、ナイフ。
「考えろ、考えろ、考えろ…考えろ……」
あの謎の力、黒い魔力がまた出てくれれば少しはマシに戦える筈だ。最初に出たのが、母さんの魔力に当てられてキレた時。次が、酒飲んで煙草吸って、その上でキレた時。いや、後者の時はイラっとはしたが、実際そこまで怒っていたわけではない。ならば、怒りと酒と煙草があれば、高い確率であの力を引き出せるのだろうか。
「酒をどうするか…あ!」
そうだ、ここは酒屋じゃねぇか!辺りを見渡すと大量の酒類が陳列されてあった。十年以上手入れされてなくても、強い酒なら腐ることは無い。急いで探し出そう。
「強そうな酒は…ん、これなんかどうだ?」
ガラス製の細長い容器に、緑色の液体が入っている。色的に体に良さそうだし、これに決めた。コルクがされているのでナイフでボトルネックを斬った。
「ング、ング、ぐあぁーー!!つええ!!」
ハーブが沢山使われている酒の様だ。煙草に火を付け、咥えながら水筒の中身とハーブの酒を入れ替えた。
そしてバックパックに荷物を入れ直して、あの狂気を感じる方向に向けて走る。作戦はもう考え済みだ。後は、やるだけやってやる。
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