第三十三話 通り雨
エリアスはここ数日間、少年と護衛の男を尾行していた。尾行と言っても、エリアスは標的と戦って殺すのを専門にしているので、ただ変装して遠巻きから眺めていただけだ。依頼主の部下から貰った情報通り、街はずれの岩山に出入りしていることは分かったが、何をしているのかは高度な隠蔽魔法のせいで確認できなかった。
時刻は夕暮れ。赤い髪の少年と護衛の男が、仲良さそうに談笑しながら人気の少ない道を歩いている。エリアスはそれを、寂れた教会の屋根の上から見下ろしている。
今日、今、ここで、男を殺し、少年を攫う。そのことを考えるとエリアスはたまらない気分になった。標的が金髪、鷲鼻、三十歳前後であることしかエリアスは知らない。得意な武器も魔法も不明。しかしそれが興奮に拍車をかけた。
二人が教会の前を通りがかった瞬間、エリアスは自由落下に身を任せた。空中でナイフを作り出し首を掻こうとした刹那、男と視線がぶつかった。
(気付かれた)
凶悪な笑顔を浮かべナイフを空振り、地面を転がって間合いを取った。
『暗転、消音、隠蔽』
エリアスにはその呪文の意味は分からなかったが、立ち上がったときには既に少年の姿は消えていて、魔力を探知することすら叶わなかった。
『火炎よ』
エリアスの視界が真っ赤に染まった。男は温和そうな顔をしていたので、どこか彼の実力に対して高を括っていた。しかし、彼の反応速度、少年を逃がす判断の速さ、容赦ない戦法を目の当たりにして、認識を改めた。
なんて、素敵な人。
エリアスは顔を覆っている火炎に拳を振りぬき、その拳圧で炎を男の手元まで押し返した。
「速く逃げろ!!!」
男のこめかみに汗が伝う。そして彼は新しい呪文を唱えだした。このエリアスの異常性に対抗しうる手段を生み出すために。
「あなたの名前は?」
火傷など微塵もない綺麗な顔で、エリアスは爽やかに笑って問いかけた。
『限定召喚、参號』
空中から何かを引き抜きながら、彼は質問に答えた。
「アレックス・デルクレールだ。お嬢さんは?」
「エリアス・バレット。ちゃんと覚えてから死んでね?」
その何かは、意匠が凝った剣だった。波打った刀身の長さは60㎝ほど、大きな鍔は十字の形をしていて刃の根元に髑髏の装飾がなされている。
「善処するよ」
アレックスが剣を構えるや否やエリアスは彼に向かって疾走した。走りながら何本もナイフを生成しては、アレックスに向かって投げかける。彼はそれを涼しい顔で回避し、剣で弾いたが、内心驚愕していた。
(切れ味が良すぎる!ただの魔法で作ったナイフじゃないな…)
叩き落としたその一本が地面に深々と、柄まで突き刺さった。直撃すれば致命傷になることを覚悟しつつ、しかしアレックスは退かない。人間に出せるスピードを遥に凌駕してこちらに迫る少女をしっかりと両目で捉えている。
十本目を叩き落とした時、両者の間合いが重なった。エリアスは時間の流れが急激に遅くなったように感じた。この時を彼女は待ち望んていた。生きるか死ぬかの瞬間にしか訪れない、この感覚。これのために生きていると断言できるほどに。しかし、往々にして甘美な時間は瞬く間に過ぎ去るもの。だから彼女は、その両手を何度も赤く染め、全身を刺青で彩ってきたのだ。
「シィッッ!!」
鋭く息を吐いてアレックスの喉笛にナイフを突き出した。全速力で踏み込んだ。確実に殺した、今にも鮮血が噴水のように飛び出てくると確信した。
「あ?」
アレックスは全てがスローモーションになった世界の中で、一瞬だけエリアスを上回るスピードを生み出し、跳んだ。確かに彼女は速かった。しかし、この男は最初から人間の範疇で闘っていない。
二年前にダッチマン商会に引き抜かれるまで、彼は魔獣と殺しあっていた。冒険者の道にふさがる相手は殆どが四本足だ。速いと言っても、精々が二本足。
捻りを加えながら前方に半回転したアレックスは、天地が逆さになった視界の中で、自分の攻撃が必中することを悟った。狙いは首。空中で捻りを一気に開放し、プロペラのように剣を振りぬいた。
「あでっ」
確かに当たった。そのはずが、首を刈り取った感触が無い。着地と同時にエリアスの方に振り向いた。
「今の凄いね!逆さになって斬るのかぁ…」
アレックスは覚悟を決めた。どうやって空中で体を捻れば良いのか試行錯誤しているこの少女を、人だと思わない覚悟だ。
刃を確認したら、エリアスに当たったと思われる部分が欠けていた。それなりに貴重な一振りをまるで通り雨に合うように傷つけられて、怒りを通り越して笑いが込み上げて来た。
「フフフ、コツは僕を倒したら教えてあげるよ」
「んーん、もう出来るようになったと思うから。じゃ、殺すね」




