第三十二話 異常者、現る
鉱山の麓にあるもう一つのスラム街に名前は付けられておらず、ただ貧困街と呼ばれている。その街のヘドロの様な闇の中を更に潜ったところに犇めいている襤褸小屋の一軒に、とある少女が住んでいる。前の住民が残した足の折れた椅子や机、ぬいぐるみが壁際に押しのけられ、中央に置かれた椅子にその娘は座っている。娘は棒の先に針の束を括り付け、それを自分の腕に刺している。小刻みに繰り返される上下運動の結果描かれたいくつもの模様が、彼女を彩っている。それは、決して自分自身を美しく見せるために彫っているのではなく、また威嚇のためでもない。傷痕、火傷の痕、縫った痕。それらに意味を込めるために彫っているのだ。標的との甘い時間を、忘れることの無いように。
「依頼だ」
ノックも無しにドアを開いた男が冷たく言い放った。少女は何も言わず、針を持った左手で扉を指さした。男の握っているドアノブの上に、やけに綺麗な字で「午前一時から二時の間のみ営業」と書いてあった。男の懐中時計は十二時五十七分を示していた。文句を言ってやろうと思ったが、娘の左手に巻き付いている紫色の大蛇、それに突き刺さっている7本のサーベルの図柄が男の口をつぐませた。
男は刺青ごときに驚いた自分に苛つきながら煙草を咥えた。しばらくして丁度懐中時計の針が真上を指した瞬間に、娘は男と目を合わせた。
「内容は?」
あまりにも普通の少女の声で話しかけて来たので、男は面くらった。しかし、これ以上こんな小娘に動揺させられてはメンツが持たないと思い、心を持ち直した。
「子供を一人ウチの指定する場所に攫って来てほしい」
「殺ししか受けないから、他を当たってね」
娘は淡々と刺青の道具を片付けながら答えた。
「話は最後まで聞け、野良犬が。狙いはダッチマンだ」
「どういうこと!?」
年頃の少女が他人の恋愛話に首を突っ込むが如く、その可愛らしい両目に好奇心を光らせて話題に食いついた。気持ちの悪いガキだと思いながら、男は説明を始める。
「シャルリーン・ダッチマンはお前でも殺せないが、あの女は商売敵だ。死んでもらえないのなら話し合いで手を引いてもらうしかない。だから最近あの女が連れまわしてる子供を攫ってみようと、ウチの社長は考えた」
「じゃあ私はあの人と戦れないんじゃない。喜んで損した」
娘は少々機嫌悪そうにぼやいた。
「さっきも言ったが、最後まで聞け。その子供についてる護衛の男はダッチマンの護衛でもある」
「うん」
「つまり、強いんだよ!ダッチマンほどじゃねぇがな。十五歳の小娘なら本来逆立ちしても勝てねぇだろうが、お前はそうじゃない。楽しむには丁度良い相手じゃないか?」
この少女、名前をエリアス・バレットと言うが、本名は彼女自身しか知らない。殺し屋を十四歳の誕生日に開業してから現在までの一年間は、野良犬やナイフと呼ばれている。エリアス自身はどうして皆刺青のことを言わないのかと内心不思議に思っているが、親は自分で殺したし気に入る人間は殺し合う相手だけなので、心情を打ち明ける相手は居ない。
「そうねぇ、楽しそう。受けるわ」
エリアスは笑った。普通の女の子のように笑った。ただ、男からすればその笑みは偽物だった。顔の筋肉が収縮して皮膚が動いているだけのように感じたのだ。彼女に対して恐怖が芽生えたのが分かり、それが悔しかったので何か捨て台詞を吐こうと思ったがしかし、またもや何も言うことが出来なかった。
月光が窓から差し込み、エリアスを照らした。黒髪を後頭部でお団子にまとめているが、刺青とは違って雑な仕上がりだった。顔と髪型は爽やかなのが全身に描かれた数々の有機物、無機物達とコントラストを生んで、異様な狂気を男に感じさせた。
「詳細は追って連絡する。次は部下を行かせる」
「じゃあね」
男は帰り際、煙草をエリアスの家に投げ捨てて帰ろうとした。しかし、腕が何かに突っかかって振り下ろせない。どうしたことかと自分の腕を見やると、いつの間にかナイフが上着に刺さっていて、扉に縫い付けられていた。
「ッッ!!てめぇ!!」
「はははっ!外に捨てて」
ナイフは魔力を固めて出来ていたようで、気付けば空気に溶けて無くなっていた。男は悪態をつきながら足早に家を出て行った。
エリアスは背もたれに体を預けて、ギィギィと音を立てて揺らした。
「あー…ふふ」
興奮を抑えようと自分を抱きしめ足を組み替えたりしても、昂りが収まらない。
「ふふ、フフフ、あぁー…はぁ」
まだ見ぬ戦いに妄想を膨らませ両目をギラギラと輝かせながら、エリアスは眠れぬ夜を過ごした。
「はぁー、うククク。あぁー、早く…」




