第三十一話 聖女現る
「消音と暗転切っていいよ」
「やべぇ!に、逃げ――」
座席から立とうとした俺の肩がシャルリーンにしっかりと掴まれた。
「窓の外、しっかり見ていなよ」
「え…?」
やけに自信満々な笑みを浮かべているので、ついついその指示に従ってしまった。ヘルホーンと呼ばれたその魔獣はスピードを落とすことなく、依然こちらに向かって爆走している。そういえば、鹿は車を恐れない習性があり、よく衝突事故を起こすのだと前世で聞いた覚えがある。ならばきっと、こいつも鹿なのだろう。牙のような物が見えたが、気のせいだと思いたい。
「うわっ、と」
ブレーキがかけられた。減速につれて車輪の回る音の間隔が広がっていく。ヘルホーンも木の幹の様な脚をドカドカと踏み鳴らして減速に対応する。
ガシュ、と扉が開く音がした。まだ列車は止まっていない。砂埃のなかを疾風のように駆ける人影が窓の外に映った。その人影は、雲の中から飛び出てくるジェット機の様なスピードで、ヘルホーンの顔の前まで跳びあがった。
「うあ、死ん――」
「すいません、コーヒーを二つ」
「え!?うあっ」
雷鳴と共に閃光が走った。目がちかちかするし、耳鳴りがする。なんとか窓の外を見たら、ヘルホーンは俺よりも重症患者なようで、白目を剥いて痙攣しまくっている。電撃を出す魔法が直撃したのだ。
「うん、何度飲んでも美味しいね。ほら、ジェット君の分」
「あ、どうも…」
シャルからコーヒーを受け取った。対策とは、こういう事だったのか。
「アレが冒険者さ。ウチのギルドのね」
「あの人は、冒険者の中でも強いんですか?」
「強くはないね」
シャルリーンは煙草に火を付けながら軽く思案するそぶりを見せた。
「中級下位だったかな、彼は」
「あ、そうですか…」
走っている列車から飛び降りて、その列車よりデカい鹿の化け物に勝つ男が、中の下とは。しかも冒険者は目当ての品を回収するトレジャーハンターで、戦闘だけを極めた人種じゃない。
「俺、まだまだですね」
「何言ってるんだい、五歳児がいっちょ前に」
「笑うこたぁ無いでしょう!」
「いーや笑うね。さっきのお返し」
「大人げない会長だよ全く」
「子供に大人の何が分かるのさ?」
「少なくともシャルさんが子供っぽいタイプなのはわかります」
「あーあ、舐められたもんだね私も」
「ウフフ」
俺もシャルさんも弾かれた様に隣の列の席を見た。さっきまで誰も座っていなかったその席に、声の主はいつの間にか座っていた。ただの女の声ならばここまで気にすることは無い。珍しいな、と思って終わりだろう。
「ごめんなさい、楽しい会話が聞こえてきてしまって、つい」
そこには、世界を3周やり直してようやく見つかるかどうか、と言って過言じゃないような美女が居た。陶器の様な白い肌、長い手足、そしてこれまた長い白髪。しかしそこからは不健康な気配はしない。むしろその逆、神官の帽子を被ってはいるが、彼女はきっと魔性の人だ。
「これはこれは、教会の聖女様にお目にかかれるとは光栄の至りにございます」
「――嘘は、いけませんことよ?」
この女の声をずっと聴いていてはいけない気がする。まるで、耳から脳を支配されてる気分だ。
「これは申し訳ない、卑しい商売人の職業病です。できれば神様に治していただきたいんですがね、何度祈っても治らないのですよ」
「フフフ。あなた、とても面白いお人なのですね。そこのお坊ちゃんは、いえ、それともお嬢さん?ごめんなさいね、とっても可愛らしいお顔をしているから。良ければお名前を教えて下さらない?」
「ジェット、です」
彼女の笑顔を見ると、心が温かく包み込まれるような感じがしてくる。まごうことのない絶世の美女なのに近寄りがたいとは思わない。むしろ、付き従いたくなる。この女性の持つカリスマ性に俺の人生を全て捧げたくなってしまう。
「そうですか、素敵なお名前ね」
「ありがとう、ございます」
「ジェット君、私、以前貴方にお会いしたことがある気がするのですが、勘違いですかね?」
「聖女様、この子は拾い子なのですよ。きっと勘違いですよ」
「そうですか?」
「ええ、そうですよ」
「私には、どうしても…ああ、失礼しました。まだ名乗ってすらいませんでしたね。ジェット君、私は――」
「聖女様!どこにおられるのですか!?」「返事をしてください!聖女様!」
「あらいけない、迎えが来てしまいました。楽しい時間を、どうもありがとうございました」
「いえ、こちらこそ」「ありがとうございました」
彼女は失礼致します、と言い残すと裾の長い服をひらひらとさせて関係者の居る車両に移りに行ってしまった。しかし扉に手を掛けたところで振り返って、俺に目を合わせた。振り返った時、帽子に装飾してあるいくつもの宝石が窓から差し込む日光でキラキラと輝いた。
「ジェット君、貴方と再会する日は、きっと近いでしょう。不思議と、そんな気がするのです」
会釈を一つしたら、彼女は今度こそ行ってしまった。
「あの、シャルさん」
「悪いことは言わない。あの人のことは忘れなさい」
珍しく真剣なトーンだ。~しなよ、ではなく、~しなさい、か。俺は黙って頷いた。
「彼女は聖魔教会の聖女、平たく言えば巨大宗教団体の幹部だね」
シャルは窓の外、平原の遠くを睨みつけながら、煙草に火を付けた。
「神など居ないよ、この世界には。」
「仮に居たとしても、それはきっと死んでるのさ。とっくのとうに、遠い昔にね」




