第二十九話 お前の母ちゃん
「おい、ちょっと台になる物持って来てくれ。腕の長さが足らんだろう」
ドリアンがそう言うと、やじ馬がそそくさと持って来てくれた。俺はそいつに礼を言うと、椅子の上に立ち台に肘を置いた。
「坊主、特別ルールだ。俺の腕を少しでも動かせたらお前の勝ちにしてやるよ」
「ふ~ん?後悔しないでよ?」
ドリアンのぶっとい右腕が台の上に準備された。手を握ろうにも、大きさが違い過ぎるので彼の親指を握るような形になった。
「フーー…」
灰皿に煙草を投げ捨てた。準備万端だ。何故だろう、いつもより魔力がコントロールしやすかったし、なにより力があふれ出てくる感覚がある。魔眼でドリアンの魔力を見てみたら黄色だった。にやりと歯を見せて、左手で髭をさすっている。
「二人とも準備は良いか?」
「うん」「へへっ、いつでもいいぜぇ」
鼓動のスピードが速くなっていく。審判が咳ばらいをして、心臓のギアが一つ上がった。息を吸い込んで、もう一つ。
「――――始めッッッ!!!」
「うらぁ!!!」「おお、強いじゃねぇか」
駄目だ、びくともしない!まるで地面に突き刺さった鉄骨を押してるみたいだ。こっちは歯を食いしばっているのに、彼は余裕綽々で俺に顔を近づけて来た。
「お家に帰ってママに泣きついたらどうだ、悔しいよぉ~ってな!」
やじ馬どもがゲラゲラと笑い声を上げた。ドリアンもそいつらと一緒になって笑っている。
「おい、ドリアンっつったよな、おっさん」
「なんだ?ギブアップか?」
「口がくせぇんだよ!ボケ!」
身体の奥底から力が溢れてくる。それはドロドロで黒々としていて、俺のオレンジ色の魔力と混ぜ合わさった。初めての感覚だったが、急速に体に馴染んでいった。
「ん?なんだ、急に…」
魔力で強化してある台やテーブルがミシミシと音を立てだした。ジョセフ達が供給する魔力を増やしても、一向に止む気配がない。
「お?お!?おお!?」
ドリアンが魔力の量を増やし始め、ついには全開になった。しかし俺の力はとめどなく溢れてくる。
「おい、ドリアンさんよ」
「お、お前、ぐぐ、一体…」
ドリアンの汗が髭の先からしずくになってテーブルに垂れている。いつの間にやじ馬の声も静かになった。
「後悔するなって言ったの、覚えてるかよ」
「ぐぐぐ、クソ、クソ、うあああ!!!」
テーブルの端を掴んで、腕に全体重をかけても、じわじわと腕に角度がついていく。でもまだだ、まだ終わらない。
「坊主!俺の負けだ!力抜けってばよぉ!」
「あははは」
以前、イェスパーさんに言われたっけな。ただ闇雲に筋力を強化するのではなく、関節や腱を強化しろと。そうすれば限界を超えるような力を出すことが出来るのだ、と。ようやくこの魔力をコントロールできるようになってきた。
「あんたのママは、まだ生きてんのか!?」
彼の手を内側に巻き込むようにして思い切り倒したら、生木をへし折るような音がした。
「うがぁ!!!」
ドリアンは酒場の床に音を立てて倒れ込み、肩を抑えて苦悶の声を上げている。やじ馬たちは、まさに開いた口が塞がらないといった様子だ。
「金、持ってくよ?」
「あ、ああ」
賭けた金が入っているバケツを貰った。
「はい、ロニーさん。勝ったよ?」
「おう、ありがと、よ…」
「おい、坊主ぅ…お前さん、ホントに人間かぁ?」
右肩を抑えたドリアンがなんとか立ち上がって俺に質問してきた。当たり前じゃん、と返事をすると、彼は乾いた声で笑った。
「坊主、名前は何だ?」
「ジェット」
「よっしゃ」
ドリアンは無事な方の手でジョッキを掲げると、酒場を見渡して思い切り息を吸い込んだ。
「ジェットに!!!乾杯!!!」
男たちの野獣めいた叫び声と共に、酒場は再び熱気を取り戻した。ロニーに肩車され、酒を浴びせかけられた。しばらく担ぎ上げられていると、誰かが煙草の束を投げつけて来た。キャッチしてよく見てみると、細い紐で五本を一束に纏めていた。ほどくのが面倒だったのでそのまま咥えて魔法で火を付けた。
「うう~、くらくらするなー」
「当たり前だろ坊主!」
爆笑が巻き起こった。やっぱり俺が煙草を吸うと皆笑う様だ。そんなにおかしな顔をしているのか?
「ねぇねぇ、ロニーさん。俺ってどんな顔してると思う?」
「お?ん~、女っぽいな。髪が長かったらどっちか分からんぜ」
ああ、だから皆笑ってるのか。そういや爺にも母親似だと言われた覚えがある。俺の産みの母親は、一体どんな人なんだろう。
「おいジェット、さっきの仕返しだ!」
「ん!?」
ドリアンが俺の口にショットグラスを突っ込んで来た。んん~、新感覚の味だ。
「結構悪くないね」
「ええ…」
そんなこんなで、気付けば明け方になっていた。帰り道は地下道を使わなかった。流石に朝は危険も少ないのだろう。事務所が近くなったところで三人に礼を言って別れた。コソコソと宿舎に帰り、布を濡らして全身を拭いたら強烈な睡魔が襲ってきた。五歳の体に徹夜は重荷だったが、なんとかベッドまでは辿り着けそうだ。
「よいしょっと。はぁ、良い夜だった…」
ジェットが意識を手放してから一時間後、仕事を終えたシャルリーンとローザはジェットの部屋を訪れた。中々金を返さない会社が夜逃げを画策しているとの情報があったので、その対応に追われていたのだ。ローザは朝食を作りに、シャルリーンはジェットを可愛がるために、部屋の扉を開けた。そして、ふわりと漂う酒と煙草の匂い。
「あれ、ローザ、事務所で酒は売ってたっけ?」
「まさか」
二人は全速力でジェットの寝室に飛び込んだ。
「あーあ、ジェット君は悪い意味で子供らしくないんだから」
「はぁ~~…もうこの子はどうしたら…」
ジェットに外傷は無く、誰かが部屋に侵入した痕跡も無い。二人とも、恐らくどうにかして自力で酒を入手したのだろう、という結論に至った。
「めちゃくちゃな子だね」
シャルリーンはベッドに腰かけ、ジェットの頭を撫でながら呟いた。
「親の顔が見てみたいですよ。会長はどちらもご存じなんでしょう?」
「どちらも、ではなく全員の方が正確だね。ローザは、子供の性格は生みの親と育ての親、どちらで決まると思う?」
「…産みの方ですかね」
「私も同意見だ」
ローザはポケットから煙草を取り出したシャルリーンをしかめっ面で睨みながら、話の続きを促した。
「分かったよ、睨むのはやめてくれ。この子の見た目は母親に似ているよ。性格も、多分そっちかな」
「多分とは?」
「父親の方はよーく知ってるが、ジェット君はあまり似てないね。消去法さ。何分、御母堂様には会ったことが無いから」
ローザは椅子を引き寄せて座った。
「でも、知ってるんでしょう?」
「まぁ評判くらいはね。一言で表現するのなら――」
「――イカれ女、ってところかな」




