第二十八話 レッツゴー、スラム街
午後七時、太陽はその身を川の向こうに隠し、光の余韻が遠くの空を赤紫色に染めている。約束の時間だ。気温が低くなり、空気の匂いが変わったことを感じながら、船着き場の倉庫まで走る。
「ん、来たか」
煙草をブリキのバケツに投げ捨てたジョセフがいち早く俺に気付いた。従業員はとっくに仕事を終えて帰宅したようで、男三人、子供一人、あとは物言わぬ木箱や鉱石の山だけだ。
「ジェット、俺たちから離れるんじゃねぇぞ?」
「うす」
ロニーが豪快に笑って言った。
「おいおい、飯食いに行くだけだぜ?そんなに気張るこたぁねぇよ」
「よぉロニー、でも俺らがガキだった頃はワクワクしたろ?こーいうのはよ」
ランドルフがにやつきながらそう言うと、ジョセフが懐かしそうに笑みを浮かべて歩き出したので、皆自然とそれについて行く。
アドラス王国のスラムの大雑把な位置は知っている。鉱山の麓に一つ、ここからしばらく川を下ったところに一つだ。どちらも大規模で、人はそれぞれに数万人ずつ住んでいる。
「いいか、スラムに入ったら俺たちとつるんでる人間以外とは関わるなよ?」
「どうしてですか?」
「あの丸眼鏡のねぇちゃんの態度は、まぁ間違ってるわけじゃねぇ。実際な」
ランドルフがジョセフの続きを引き受けた。
「薬中――薬で頭がおかしくなっちまってる奴や、だれかれ構わず手出ししちまう連中がいるんだ。まぁただの馬鹿だな。俺らのグループにちょっかいかけるようなのは少ないが、気を付けるのに越したことはねぇだろ?」
「は、はい」
彼らが良い人達なのでついつい忘れそうになってしまうが、スラムは危険な場所だ。気を引き締めて行こう。
15分ほど進んだら、ロニーが道にしゃがみ込み、マンホールの様な何かをずらし始めた。
「もう使われてない地下水道だ。スラムまで直接繋がってる、秘密の道だ。誰かに喋るなよ?」
「はい…」
ジョセフの言葉に脅しの意思は籠っていなかったが、重みがあった。穴には梯子がかかっており、それを降りていく。皆の手首に巻かれていた布に魔法陣が刻まれていたようで、それが懐中電灯の代わりになった。
ここが使われなくなってからは長いようで、水はもう乾ききっていた。
「こっから、20分歩く。大丈夫そうか?」
「鍛えてますから」
ジョセフはニヤリと笑ってから、「へっ、そうかよ」と言うと、また先導して歩き出した。
道中で、彼らの生業について教わった。ダッチマン商会の仕事を手伝っているのはあくまで小銭稼ぎであり、本業はスラム街の一部を取り仕切るグループの幹部なんだそうだ。自分の地域での薬物販売を禁止している、まっとうな一団だと言っていたが、どこまでがまっとうで、どこからが不正なのかは、俺には分からない。
「よっし、さぁ着いたぜジェット!ここが俺らの町だ!」
いち早く梯子を登り切ったランドルフが自慢げに言った。俺も続いて登り切ると、出た先は細い路地だった。はやる好奇心を抑えながら路地を抜けだすと、魔法の灯りで照らされた歓楽街に着いた。
「ベスティー・スタッズ。この国の掃溜めで、最後の救いでもある」
ジョセフが言った。酒場、酔っ払い、娼婦、宿、ジャンキー。この町はきっと、俺の目に飛び込んで来たこれ等の繰り返しで構成されているんだろう。
「よぉお前ら、さっさと飯食いに行こうぜ?」
ロニーが腹をさすりながら不満を口にした。確かに、それだけ背が高ければ必要なカロリーも増えるだろうな。
「よーし、行きましょう!」
「お、ジェットも腹が減ってんのか。俺らの行きつけの酒場は良いぞ。美味い、安い、速いってやつだ」
「ロニーさんはいつから通ってるんですか?」
「さぁな、もう14、5年ってとこかね。――ここだ」
入り口の看板には『ゴメズの酒場』と書いてあった。扉を開けると、客たちが俺たち、いや俺を凝視してきた。そうだ、俺は五歳なんだ。場違いも良いところだ。
「座ろうぜ」
「あ、はい」
ランドルフに肩を叩かれておずおずとテーブルに着いた。彼がウェイトレスを呼び止めて注文し出したが、未だに視線を感じてしまい居心地が悪い。
「あんだよ、このガキは誰の子供だ?」
隣のテーブルに座っている、陽気そうな髭面のおじさんが話しかけて来た。ジョセフが「さぁな」と軽く受け流し、運ばれてきたジョッキを受け取った。
「これ、なんですか?」
「まぁ、飲んでみろ。乾杯」
木で出来たジョッキがガツンと音を立ててぶつかり、中身がこぼれそうになって慌てて口を付けた。
「っとと…ん!?」
「ククク、どうだよジェット」
ジョセフがにやけ面で感想を求めて来たが、それどころじゃねぇ!
「ング、ング、ング…おねぇさんお代わり!!!」
「おお!?」「おいおい、こりゃ面白いことになったな」「…マジかよ」
ぬるいけど、ビールだ!クラフト系の!
「ジェット、酒飲んだことあったのか?てっきりお前はまだだと思ってたぜ」
ランドルフが俺に問いかけて来た。なんて答えようか。
「…いやぁ、これが初めてです」
嘘じゃないもんね。すると、ランドルフが眉を上げて他二人と目を合わせた。そして、三人ともニヤリと悪い笑みを浮かべた。
「おい」「ああ」「ジェット、俺の奢りだ。今夜はいくとこまでいっちまうぞ!」
「ごちそーさまです!」
「うま!なんすかこの肉」「安いからな、豚でも鳥でもブラックハウンドでも、全部一緒に炒めちまうのさ」「ぐあぁ、効きますねこの酒!」「蒸留酒、ってやつだ。しかし良く飲めるなお前!」「そしたらぁ、むかついちまったんで会長の部屋の扉ぶっ壊しちゃったんすよ!」「「「だははは!!!」」」
「はあ~、結構飲みましたね」
いくつものジョッキ、グラス、皿が空っぽになり積み重なっている。3時間ぐらいは経っただろうか。
「うおおおおお!!!」
なんだ!?急に店の奥のテーブルから歓声が上がったぞ?よく見ると、手の甲を抑えて悔しそうな顔をしている男と、勝ち誇って力こぶを見せつけている大男、そして見物人が大勢集まっていた。
「ジョセフさん、あれは?」
「ああ、腕比べで賭けでもしたんだろうよ。知ってるか?こうお互いに手を組んで、テーブルに肘付けて押し合うんだ」
ぐでんぐでんになったロニーの片手を勝手に使って見せてくれたそれは、完全に腕相撲だった。
「んお?なんだよ、腕比べすんのかよぉ、ジョセフよぉ」
「俺はやらねぇ。あっちを見ろロニー、お前も賭け試合やってこいや」
「いいねぇ、今夜の飲み代タダにしてやんぜぇ!!」
フラフラになのに試合をしに行ってしまった。大丈夫か、あの人。
「ジョセフ見に行こうぜ!」「もちろん」
残る二人も馬鹿にしたような笑みを浮かべてテーブルまで行こうとしたので、俺もジョッキを片手について行く。
「これはこれは、ロニーさんじゃねぇか」
「うぅ~、お?ドリアンかお前、賭け試合してんだって?混ぜろやぁ」
「はっはっは!手加減は無しだぜ!」
「かかってこいや!」
ロニーさんの身長は、多分2m前後。昔見た白人のバスケ選手と同じぐらいだ。対するこのおっさんは身長ならやや負けているが、体の分厚さ、肩幅でロニーさんを上回っている。
審判の男性が、大きく息を吸い込んだ。
「始め!!!」
「むう!!!」「んがぁ!!」
両者の前腕に血管が浮かび上がり、こめかみには青筋が浮かんでいる。開始時点では実力が拮抗している様に見えた両者だが、徐々に、ドリアンが押し込み始めた。
「よぉ、ロニーさん、こんなもんかい?」
「ぐ、ぐ、ふざけろドリアン畜生~!」
急にロニーさんから魔力の圧が現れた!魔法、使えたのか。テーブルがギシギシと音を立て始めた。もう壊れちゃうんじゃ…。
「ランドルフ」「ん」
二人ともジョッキをその辺において駆け出した。そうだよな、魔力を解放したんなら流石に中止…いや、二人はテーブルに魔力を流して強化している!あくまでにやけ面はそのままだ、酒が進むぜ!
「ロニーさん、使っちまいましたねぇ…!」
「てめぇも使ってこいやぁ…!」
「じゃあ遠慮なく、おおお!!」
持ち直しかけたロニーの右腕は、瞬く間にテーブル叩きつけられた。バチィンと、人間に出せない筈の破裂音が店に響き渡った。
「ッッッてえぇぇぇ!!!」
「「「がははははは」」」
ロニーさんは悔しそうな顔で小銭をポケットから取り出すと、テーブルに叩き付けた。そうしたら今度は、情けねぇでやんの、子供に見られちまったな、などとヤジを飛ばされるたびに、からかった人の頭をはたいて回っている。
「るせぇ!この、この、おいジェット!敵とってくれやぁ!」「おいおい馬鹿言うんじゃねぇよロニー」「てめぇー!馬鹿って言ったよなぁ!」
「はっはっは!やっぱあの人は面白れぇな!よう坊主、やってみるかい?負けても金はとらねぇでやるよ」
ドリアンが俺に勝負を持ちかけて来た。タダでやらせてくれんのか、なら遠慮なく。
「やるよおじさん」
店内が大歓声で包まれた。酔いのせいもあり、俺の気分も高揚して来た。今のうちに魔力を体に充満させよう。
「選別だ坊主、吸ってけよ」
「お、ありがとう」
知らない人に貰った煙草を咥えたまま魔力をコントロールしようとしたら、今度は大爆笑だ。そんなに可笑しいかな、ちょっと恥ずかしい。
「フゥーー…なんか調子いいな」
さぁて、ゴブリン仕込みの馬鹿力、見せてやるぜ。




