第二十七話 悪餓鬼
「んん、もう朝か」
朝日で目が覚めたのは何年ぶりだろう、もう思い出せなくなってきたな。さて、洗面台にいって顔を洗おう。
「ん?」
ドアの向こうから、ほのかにいい匂いが漂ってくる。それに何かを焼く音もするぞ。そして、寝室に向かってくる足音が一人分。
「げ」
「おはようございます、坊ちゃん」
開かれた扉の向こうから、満面の笑みのローザさんが顔を覗かせた。
「あ、どうも」
「もうすぐ朝食が出来ますので、リビングで待っていてくださいね」
「分かりました」
はやく顔を洗ってしまおう。まったく、昨日の夕飯のときからローザさんはとてもご機嫌に振る舞っているが、わざとらし過ぎるぜ。
「意地張ってんのはどっちだよ、ったくよぉ…ふぁあ」
「何か言いましたか?」
「あくびしただけです」
城の水道から出る水より、こっちの水の方がぬるい気がする。恐らくあの大きな川から水を引いて、浄化の魔法をかけているのだろう。
「さぁ、出来ましたよ坊ちゃん」
「ありがとうございます」
さて、昨晩読んでいた『魔法陣の実用』の続きを読もう。おっと、丁度浄化の魔法の項目だ。なになに、浄化の魔法における注目すべき点は、取り除く不純物の設定にある。水以外の排除を意味する文字列を応用することによって、発展的な――
「坊ちゃん、ご飯を食べるときに本を読むものではありませんよ?」
「え、なんでですか?」
「常識です」
「…はぁ」
おかしいな、母さんには一度も注意されなかったぞ?『私が学校に行っていた頃は、学友と飯を食べながら勉強したものだ。ジェットは天才だ』と、むしろ褒められたくらいだ。
「それでは大人になったときに困りますよ?今からでも覚えていきましょうね」
「何に困るんですか?」
「例えば、目上の方とお食事に行かれる際とか」
「じゃあそれをしなくていい仕事をしますよ」
このベーコン、カリカリに焼かれてて旨いな。なんの肉だろう。
「でしたら、社交界に行かれることがあれば…」
「俺がですか?貴族じゃあるまいし」
パンは、柔らかくて甘いけど、城で食っていたカッチカチのパンが恋しいな。どこで売ってんだろ。
「う、あー、そう!婦女子に相手にされませんよ、その様な作法では!」
「うーん、婦女子とご飯を食べるのは、そんなに楽しい事ですか?」
商店街に出かけてみたいけど、金がないな。シャルリーンに無心するか?いや、流石に失礼だな。
「食事が、というより、その先というか、仲を深めて…」
「その先?一体何が待ってるんです?」
いやいや、その前にあの三人組に謝らなきゃだろ。今日も昼時になったら、何かお詫びの品でも持って川の方に行ってみよう。もし会うのを嫌がられたら、まぁそれまでだ。
「その、男女の関係ですよ、ああ、なんて言ったら良いものでしょうか…」
「へーえ、良くわからないなぁ、それ。ローザさんは男女の関係ってやつ、やったことあるんですか?」
こっちにもスクランブルエッグはあるんだな。オムレツがあるんだからそらそうか。塩のみの味付けだが、中々イケる。
「それは、その、ううん…」
「えーっ、教えて下さいよぉ」
「駄目です!まだ教えられません!」
「あ、無いんだぁ!カッコつけちゃって!」
「はぁ!?あ、あります!これでも大人の女なんですから!でも、ジェット坊ちゃんには教えられません」
「けち、じゃあ会長に聞きますよ」
「あの人はダメです!!絶対に!!」
「ははは」
「何がおかしいのですか!?」
「ああいえ、ククク」
「あ、ホントは分かってるんですね!?そうなんでしょう!!大人をからかってッッ!!」
さーて、執務室にいって煙草をくすねてこようかな。
「ちょっと、なんとか言いなさい!」
すると突然、リビングから外に出る扉がコンコンとノックされた。
「やぁ、仲良くやってるかい?」
「あ、会長!お疲れ様です」「シャルさん、男女の関係ってなんすか?」「あ!ちょっと!」
昨日と似た様な黒い服に黒い靴を身に纏ったシャルリーンは、涼し気な表情をして現れた。
「なんだい君たち、朝っぱらから。はい、ジェット君」
煙草を一本、投げてよこしてくれた。
「お、一緒に吸いますか?」
「もちろん、そのために来たようなものだからね。コーヒーあるかいローザ?」
「あ、あ、あ、あなたって人は…5歳児になにを……」
「……ふぅーー、会長、なんかローザさんが男女の関係について教えてくれないんです、ケチです」
「ちょっと坊ちゃん「ローザ、コーヒーはやく」…わかりましたよ!もう!」
「男女の関係っていうのはね、ジェット君、何と言ったら良いか…フーー、まぁつまるところは性こ「コー!ヒー!です。冷めないうちにどうぞ」まったく、けちんぼだなローザは」
「どうとでも言ってください」
「フフフ。ああそうだ、ジェット君、悪いけど明日の朝までローザを借りるよ」
「え、どうしてです?」
「ちょっと厄介な仕事が入ってね。はい、今日の食事代。2000アレル入ってるから、事務所の食堂で好きな物を食べてくれ」
「ありがとうございます。お仕事頑張ってくださいね」
硬貨が入った布袋をポケットにしまうと、ローザさんの大きなため息が聞こえて来た。
「あれ?言ってなかったっけ」
「言われたことの方が少ないですよ、圧倒的に」
シャルリーンがきょとんとしてこっちを向いてきたので、取り合えず俺も目を合わせる。
「「あははは」」
「何を二人して笑っているのですか!!」
ローザさんが居ないのは都合がいい、昼になるまで時間を潰して、三人組に会いに行こう。
二人が俺の部屋から出て行った後、俺は日課だった魔力操作の訓練を始めた。寝室の中央に立ったらまず、自分の内側にあるエネルギーの源を感じ取る。そして、その力を全身へと広げていく。焦らず、水が紙に滲むようなイメージで、じわじわと。横目で時計を確認したら、1分が経過するところだった。
「チッ、遅いな」
そうして漲らせた魔力を自分の外に広げ、外界と自分の感覚の境を無くしていく。こうすることで自分以外の魔力の動きを感知することが出来る様になるのだ。
「フゥーー……」
脱力し、自分を忘れる。今の有効射程距離は、大体5mぽっちだ。イェスパーさんの場合それが牢獄全域に及ぶらしい。
一時間をこの訓練に費やしたら、今度は魔法陣の練習に入る。ガラスペンをリュックから出して、持ち手に息を吹き込むと、ペン先が俺の魔力でオレンジ色に輝き出す。爺には遠く及ばないが。
魔法陣とは、魔法文字をある法則に基づいて書き込んだ物を指す。ただ横書きするだけで発動する物もあれば、幾何学的に文字を配置することで効力を発揮する物もある。文字・配置・図形の種類・比率、全て丸暗記が必要だ。
「水って、どうやって書くっけな…」
浄化の魔法陣を書ききるだけで一時間かかる。しかも発動するかはやってみなければ分からない。でも、自分の力で書ききったときには誇らしい気持ちになるのだ。
魔法の訓練をしていれば時間が過ぎるのはあっという間だ。もうすぐ12時過ぎ、昨日彼らと出会った時間。あの時ジョセフは煙草休憩終わり、と言っていた。わざわざ休憩する場所を毎回変えているとは考え辛い、同じところに行こう。
宿舎を出て真っすぐ昨日の場所に向かうと、拍子抜けなほどあっさりと彼らの背中を見つけられた。どうやって声を掛けたものか…。まごまごしている内に、金髪のランドルフが不意にこちらを見た。
「おお!?ジェットか!」
彼につられて、残りの二人も振り向いた。俺に挨拶すると、皆はっとして鋭い目で辺りを見回した。
「今日はあの人はいません、大丈夫です!」
「おお、そうか。で、どうしたよ?」
ジョセフがそう言うと、三人とも立ち上がって歩み寄って来た。
「ただ、昨日のことについて謝りたくて。それだけです」
「へっ、おめぇが気にすることじゃねーよ、坊主!」
ロニーに頭をワシワシと撫でられた。暖かくて大きな手だ、バスケットボールなら片手で掴んでしまえそうだ。
「あの、お詫びといったらなんですけど、これ…」
ポケットから煙草を三本差し出した。シャルリーンにこっそり言って融通してもらったやつだ。
「…ジェットォ、おめぇ分かってんじゃねぇか!」
「うわっ!?」
軽々とジョセフの肩に担ぎ上げられた。皆口々に礼を言うと、煙草を取って吸い出した。俺も吸い出したらギョッとされたが、無害なものだと説明すると「あ~、アレね」といった具合に納得してくれた。
「お前、今日ずっと一人なのか?」
「はい、ローザさんが居ないので」
俺の返答を聞いたジョセフは二人と顔を見合わせると、ニヤリと笑った。
「俺たちと晩飯食いに行くか?一人で食うよりよっぽど面白いぜ?」
ああそうだ、ちげぇねぇなと二人も口々に同意した。正直興味がある。一人で訓練するのも楽しいが、たまにはこういうのもアリだ。
「バレたらまずいっすよ」
「会長さんは居ないんだろ?」
「まぁ、はい」
「じゃあバレようがないだろ、大丈夫だって」
「へへ、まぁそうですよね、行っちゃいますか?」
どうして悪だくみすると小声になってしまうのだろう。三人と待ち合わせの約束を済ませたら、食堂に向かってわざと二食分のパンと腸詰を買った。他の従業員に怪しまれたら面倒だからな、さて、夜が楽しみだぜ。




