第二十六話 歪み
魔法灯の白い光が無機質に食卓を照らしている。会話は無く、ただ食器が擦れる音が鳴っているのが、前世で見た邦画を思わせた。俺はそういう雰囲気は陰気で嫌いだったけれど、実感することで益々嫌いになった。
「ジェット坊ちゃま、夜になったら夕飯をお作りしに参りますが、何時がよろしいでしょうか?」
食べ終わった食器を重ねながら、ローザが俺に質問した。
「ローザさんの都合の良いときでいいですよ、来るまで何処にも行かないんで」
彼女は流し台に食器を持っていくため立ち上がった。
「…では、6時頃に参りますね」
「よろしくお願いします」
俺の皿の上には、まだオムレツが少し残っている。腹は減っている筈なのだが、さっさと食べ進めることができない。
「お口に、合いませんでしたか?」
彼女が水の入ったコップを持って来てくれた。罪悪感の混じった微笑みを浮かべている。
「ありがとうございます。美味しいですよ」
「…あの、なにか、お好きな食べ物はありますか?」
「うーん、緑猪ですかね」
「…そうです、か…」
「ああいえ、肉とパン以外はあまり食べたことが無いので、その、よくわからないんです」
「え…?」
まずい、なんかすごい特殊なネグレクトを受けている様な発言をしてしまった。くそ、なんか上手くコミュニケーションできないな。
「あーっ、ええっと、だから、何でも美味しく食べられますよ、っていうか、ははは」
「ああ、ふふふ。そうですか」
だめだ、彼女は俺に心を開いていないし、俺も彼女を全く信頼できていない。さっき執務室を出てからずっとこの調子だ。
「ンぐ…ふぅ、ごちそうさまでした」
「では、お下げしますね」
さて、どうすっかな。このままビジネスライクな関係を続けるのがベストか、はたまた腹の中を打ち明けて仲良くなるべきか。後者を選ぶのが理想だと思うが、現実的には不可能に思える。多分、彼女は俺を気持ち悪がってるからだ。顔を見ればわかる。俺の世話なんて、したい筈ないよな。シャルリーンに俺は一人でも大丈夫だと伝えよう。
「あの、ローザさん」
「はい?なんでしょう」
彼女は洗い物をしながら顔を俺に向けた。
「やっぱり、夕飯要らないです」
「え、それは――」
「俺の家政婦なんてやらなくていいですよ、会長に言っておくんで」
「…」
「あ、あの?」
水の流れる音が止まった。
「申し訳ありません。ずっと、気を遣わせてしまっていたようですね」
彼女は手を拭くと俺の座っている椅子の前まで歩いてきて、片膝立ちになった。
「坊ちゃん、あなたはまだ5歳なんですよ?気にすることはないんです」
俺を見上げて言った。まるで聞き分けのない子供に優しく説教するように。見上げられると、どうにも居心地が悪い。
「で、でも、嫌でしょう?俺の世話なんて」
「そんなことはありません」
「…顔を見ればわかります」
「っ、そんな、まさか」
笑って首を横に振っているが、その前に一瞬無表情になった。やっぱ図星か。
「さっき、執務室で化け物って言われましたよ」
「ですから、そんなことはないと言っているでしょう?」
「俺はね、ローザさん。一人でも大丈夫です。あなたの評価が落ちることにならないように会長に言っておきます。心配いりません」
彼女の表情の中に、嫌悪、罪悪感、そして苛立ちが見える。さすがに5歳児が出しゃばったことを言い過ぎたか?
「坊ちゃん、あなたは間違っています」
「…何がですか?」
「本当に私をそばに置きたくないのならば、後でこっそりと会長に伝えるだけで良かった筈。違いますか?」
「…ええ、まぁそうかもしれませんね。無駄口を叩きました。すいません」
「そういう意味ではありません!」
彼女は立ち上がって急に語気を荒げた。
「…あぁ、申し訳ありませんでした」
息を整え、今度は真剣な面持ちで口を開いた。
「ジェット坊ちゃん、あなた、一人は寂しくないのですか?」
「寂しいですよ」
「なら何でそのような――」
「それしか方法がないからですよ」
「どういう、意味ですか?」
「俺は、一人ですよ。ずっとね。だってほら、誰かに好かれるような所、俺は持ってないですから」
「じゃあ、あなたの親は!どうなんですか!」
母さんの手紙を思い出した。『愛している』と、書かれていた。
「まぁ、愛してるって言ってくれましたけど、結局他人の本心は分かりません。学長だってきっと――」
「意地を張るのは止めなさい!!!」
なんで、キレているんだ、この人は。俺は間違ったことを言ったか?いつ?
「あなたは他人、それもスラムの人間のために、私に怒れる人間なんです」
悔しさと哀しさが入り混じった表情で言った。
「あなたは優しい人なんです…!」
なぜ、彼女はこんな顔で俺に言うのだろう。人を励ます顔じゃない。認めたくない罪を認める様な、そんな表情。
「夕飯、作りに来ますから。会長に言っても無駄ですよ?これでも付き合いは長いんです」
失礼します、と頭を下げると、彼女は足早に出て行ってしまった。
なんだか頭が上手く回らない。
「んだよ、クソッ」
どさくさ紛れに執務室からかっぱらってきた煙草を吸おうと外に出た。
「点、火」
夕焼けになりかけの空に紫煙が溶けていった。肺に煙を溜めても何も満たされた気がしなくて、灰の量に比例して空がオレンジに染まるだけだった。
「にゃあ」
おい、てめぇのせいだぞ、猫さんよ。




