第二十四話 現実
ジョセフは、ただ見知らぬ子どもがうろついているのが気になって声を掛けた。ここは噴水前の広場なんかじゃない、ダッチマン商会の敷地だ。迷子ならば、親元に帰してやろう。自分たちスラム出身の労働者と違って身なりが良いので、親はきっといる筈だと考えた。
「坊主、迷子か?」
「ああ、ええっと…」
赤い髪の少年、ジェットは愛想笑いを浮かべて言葉を濁した。ジョセフはそれに違和感を覚えた。自分たちに恐怖して言葉が出ないのではなく、なにかごまかしている様な態度に思えたのだ。
「ん~?はっきりしねぇな」
ジョセフの右に立っている男、ロニーが言った。背の高い男で、しゃがんでもジェットより頭の位置が高い。
「あの、ダッチマン商会の方にお世話になってるので、大丈夫です」
三人組の最後の一人、ランドルフが驚いて少年に話しかけた。
「マジか。坊主、歳はいくつだよ」
「5歳です…」
「おい、ロニー聞いたかよ、俺らが働き出した時より若いぜ」
「ああ。坊主、親は…いや、悪かった。忘れてくれ」
スラムの人間は詮索を好まない。人には人の事情があるというのを身に沁みて分かっているからだ。そしてジョセフは、自分の同僚とジェットとのやり取りを見て、どうやらこの坊主はこっち側の人間なのではないかと思い始めていた。ジェットの目の奥にある薄暗い何かに、ジョセフは共感を覚え始めたのだ。
「なぁ、俺たちスラムの人間はな、坊主。例えば俺の親父は行方知れずで、母親は酒浸りだった。ロニーは、あー…」「親父がヤク中でお袋は人刺して牢屋だ」「ああ、そうだったな。ま、とにかく、皆苦労してる。」
ジョセフは胸ポケットから煙草を取り出して口に咥えた。それに続いて二人もポケットをまさぐりだした。
「お前も頑張れよ」
「あ、ありがとうございます」
ジェットは困惑していた。きっと自分はひどい目に遭うのだろうと思っていた。いつでも走り出せるように魔力を漲らせているし、相手の一挙手一投足を見逃さないようにしている。しかし、この三人に悪意が無い事が分かりかけて来た。
「えっと、皆さんはその、どういったお仕事を…」
「ははは!よう坊主、お前面白い喋り方するな!」
「皆さんだってよ、ククク。俺はロニーだ。このやかましい金髪野郎がランドルフ、いかついのがジョセフだ」
「やかましいのはお互い様だろうがよ。俺たちは鉱山から船で運んだ積み荷を降ろしてたんだ」
「へぇ、そうなんですね」
「よぉ坊主、お前の名前は…」
とてつもない嫌な予感がしたので、ジョセフは途中で質問を止めた。何度も修羅場を潜り抜けて来た勘が告げている。何かヤバい奴が近付いて来ていることを。二人も何か察知したようで、表情に緊張が走っている。
「動くな!」
いつの間にか、血走った眼をしたローザがジェットを奪い取るようにして抱きかかえていた。
ジョセフ達は、一体何が起こったのか分からなかった。周囲への警戒は怠っていなかったし、何の気配も感じなかった。しかし金髪の女性がこちらに向ける右腕には強い魔力が込められていることは明らかだ。
「ちょっと、ローザさん「坊ちゃん、何かされませんでしたか?」な、なにも。ただ…」
ランドルフが、おずおずと口を開いた。
「あ、あんた」
彼の足元の、舗装された地面がバァンと弾けた。
「ローザさん落ち着いて!」
「坊ちゃん、彼らと口をきいてはいけません」
「どういう意味ですか!」
「ですから!あのようなスラムの人間と関わってはならないのです!」
一瞬、静寂が訪れた。ジェットは、自分に良くしてくれた男達の顔を反射的に見た。皆一様に哀しげな、諦めた様な笑みを浮かべている。ジェットには解った。偏見、差別、悲しい運命を受け入れてしまった者の顔だと。昔の自分に似ていてるから、解ってしまった。
「あのようなって、なんだよ」
「坊ちゃん、帰りますよ」
「離せクソ女!」
怒りのままにローザの鳩尾に思い切り肘鉄を打ち込んだ。緩んだ拘束を振りほどいて、ジェットはローザに正対した。
「何を…」
「さっきから偉そうにしやがってよ、てめぇだってまともな――」
「坊主!!!」
ジェットはハッとして振り返った。
「いいんだ」
ジョセフは満足そうに笑って、首を横に振った。
「ありがとよ。おめぇら煙草休憩終わりだ、行くぞ」
「おうよ」「足が吹っ飛ばされたかと思ったぜ…」
「ジェットです!俺の名前!」
男達は振り返らず、ただ手を挙げて返事をした。ジェットはその背中を見送ることしかできなかった。やるせない気持ちでいっぱいだった。
「あ、あの」
「ッせぇ!話しかけんじゃねぇ!!」
ジェットは魔力を迸らせながらシャルリーンの執務室に駆け戻った。ローザはジェットに何を言っても無駄だと判ると、途中で追いかけるのを止めた。その後、コーヒーを飲んで心を落ち着けようと、事務所の一階にあるカフェテラスに向かった。一服付けて興奮が冷めてきたら、肘鉄を食らった鳩尾が痛んだ。他にも、手首からもヒリヒリとした痛みがする。振りほどかれたときに擦れたのだ。
(本当に五歳?)
全力ではなかったとはいえ、自分の身体強化を貫通された。化け物じみた馬鹿力だ。
「ゴブリンじゃあるまいし…」
「ゴブリン?何言ってるのローザ?」
顔見知りの同僚に話しかけられた。思ったことが口から漏れてしまったことに気付き、慌ててなんでもないと誤魔化した。
「そうそう、さっきまた執務室の扉が蹴破られる音がしたわ。会長機嫌悪いのかしら」
「会長は冷静な人よ。お客さんが荒れてるのよ」
「ふーん…知ってるの?」
「ううん、ただの推測よ」
同僚の女性が不思議そうな顔で言った。
「元気、ないわね」
「…子供に嫌われるのって、ちょっとキツイのね」




