第二十二話 新天地
薄暗い路地を、真っすぐ大通りに向かって歩く。意外にも道は舗装されており、4年ぶりに味わう喧騒がもう聞こえてくる。鉱山と冒険者の国、アドラス王国。路地を抜けきったら、暑い日差しが目に焼き付いた。
子供の独り歩きを怪しまれないように、人々の間を縫って目的地まで進む。恰幅の良い女性が魔獣の肉を値切る声。採れたて新鮮だと言い張る店主の売り文句にケチをつける男が、群衆の中から出て来た大男に肩を掴まれ、裏路地に引きずられて行った。しかしそれらに気を取られている暇は無い。
目的地には10分ほどで着いたが、もう2時間は歩いたような疲労感を覚えてしまった。大通りに面した好立地、木造5階建ての立派な事務所に、ダッチマン商会と看板が掲げられている。ここが俺の新たな住居であり、学び舎だ。
「…ふぅーー。…良し」
爺と母さんとイェスパーさん以外の人に会うのは初めてのことでどうにも肩に力が入ってしまう。気合を入れなおし、正門のドアノッカーを叩こうとした。
「君、そっちじゃないよ」
「え?」
片目がピンク色の前髪で隠れた女性に呼び止められた。年の頃は15、6歳といったところか、彼女は親指で自分の後ろを指した。
「は、はい」
小走りで彼女についていくと、どうやら商館の脇に非常階段のようなものがあるようだ。それを登った先にあるのが俺の入るべき扉だったらしい。
「君、いくつなの?」
「あ、5歳です」
「ふ~ん、そうなんだ」
会話は途切れ、無言で階段を登っていく。一段一段登っていく度に、緊張感が高まっていく。初対面の人との接し方なんて、もう忘れてしまったらしい。元々得意なわけでもないのに。悶々としている内に気付けば階段を登り切っていた様で、最上階に繋がる扉が開かれた。
母さんが出て行った翌日の朝、眠気覚ましに毎朝読んでいる魔法理論の本に紙切れが挟まっているのに気が付いた。
『ジェットへ
何も言わずに出て行って申し訳ない。出て行くことをお前に直接言って、喧嘩別れになってしまう事が怖かった。お前を捨てたわけではないし、置いて行きたかったわけでもないんだ。許してくれなくても良い。
お前と過ごした日々は、私に欠けていた何かを思い出させてくれた。素晴らしい日々だった。ジェット、ありがとう。愛している。
アリアンナ・マクアップより
追伸 もし私に会いたいと思ってくれているなら、王都に立ち寄った際、軍の関係者にお前に贈ったナイフを見せれば、再会できるかもしれない。』
手紙を見た俺は動揺を落ち着かせようと、取り合えず厨房にコーヒーを淹れに行き、そのままコップを持って裏口から外に出たら、爺がティーカップを持って立っていた。
「学長、普通別れの手紙ってもっと何枚も書くもんなんじゃないんですかね?」
「奴らしいな」
「飯、どうしましょう」
「小僧、アドラス王国に行け」
「え?」
「貴様も死ぬまでここで過ごすわけにはいくまい」
「いやぁ、そうっすけど…」
「協会の者にもう連絡は入れてある、一週間後にでもここを出るがいい」
「が、学長…相変わらず抜かりないですねぇ…」
てな具合で俺は、今、ここに居るのだ。気持ちの整理はまるでついちゃいないが、少なくとも悲しみだとか、母さんに対する怒りは無い。彼女とは何か見えない物で繋がっている気がするのだ。
「ちょっと待っててね、会長の部屋にお客さんが来てるみたい」
「分かりました」
この建物は上から見たらコの字型になっていて、正門がコの左側、穴の開いている方だ。会長さんの部屋は5階の中央に位置している。吹き抜けの構造をしているので、ここからなら一階の全体を見渡せる。
「…ません!…もうすこし!…ええ!」
おや?何やら会長さんの部屋が騒がしいな、いったい何事だろう。ピンクの髪のお姉さんを見上げたが、いつも通りね、と言った表情をしている。俺が神経質になり過ぎているのかな?
「いえ、そんな!やめ、ああ!」
観音開きの立派なドアがドカンと音を立てて開き、中から中年男性が転がり出て来た。いや、正確には蹴り飛ばされたのだろう。柵にもたれてうずくまり、お腹を押さえてうめき声をあげている。
なんだか分からんが、取り合えず魔力を漲らせ、臨戦態勢をとっておこう。彼の体重はぱっと見80㎏といったところか。それを蹴っ飛ばすって、一体どんな・・・。
「ここがどこだか分かっていますか?モーガンさん」
長い黒髪をポニーテールにした、背の高い女が部屋から出て来た。黒を基調とした目立ち過ぎない、しかし舐められることは無い、そんなバランスの服装をしている。皮靴をカツカツと鳴らして、モーガンと呼ばれた男に歩み寄っていく。
「うぁ、ああ、ゲホッ」
「あれ、喋れないのですか?あなたは」
決して威圧的ではなく静かに淡々と喋る様子は、少し爺に似ているな。
「ここがどこだか分かっていますか?」
モーガンの前にしゃがみ込み、ずいっと彼の顔を覗き込んで言った。
「ええ、ええ…もちろんですとも…」
「わかってるなら名前を言え!!!」
「ひぃぃ…!!ダッチマン商会です!!!」
薄っすら微笑みすら浮かべていたはずの彼女の表情が一瞬で大型肉食獣のそれに変わった。俺は、一体どこの組事務所に迷い込んじゃったんだ。まるでウサギの気分だちくしょう。
「耳をそろえて金を返せよ、良いな?」
「わかってますとも、必ず、必ず返します!」
「いけ」
「はいぃ!」
モーガンと呼ばれた男はわき腹を抱えながら階段を降りて行った。多分肋骨折れてるな、アレ。
「あれ、来てたの」
背筋に緊張が走る。彼女は既に、さっきまでの暴力の気配を微塵も感じさせない表情をしている。
「あ、言われていた子、お連れしました」
「ああ、それはご苦労。こんにちは、お名前はなんて言うんだい?少年」
「…ジェット・アルバーンです。これからお世話になります」
本当の苗字は言ってはいけないと爺に口止めされている。理由は分からないが、シュヴァルツェンバッハと喋ろうとすると、強制的に口が閉じる魔法を城を出る前にかけられた。きっと俺が思っている以上の何かがあるのだろう。
「これはご丁寧にどうも。私はシャルリーン・ダッチマン。よろしくね――」
シャルリーンは俺の横にしゃがみ込むと、耳元で囁いた。
「――ジェット・アルバーン・シュヴァルツェンバッハ君?」
この女、狸だな。




