第二十一話 彼にとって、良くあること
無事に稽古は終わり城に転移したが、二年前の様な研ぎ澄まされた魔力を、アルバーンは感じなかった。ジェットは腹ごしらえをしようと厨房に向かったが、母の姿はなく、作り置きした夕食にクローシュがかぶせてあり、その隣に紙切れが置いてあった。食ったら良く寝ろ、とだけ書かれていた。ジェットは困ったような笑みを浮かべると、しょうがないので夕飯を食べることにした。まだ冷め切っていない肉を切り分け、フォークで口に運ぶと、その肉が特別な日にしか出されない緑猪のそれだと分かった。誕生日は数日前に過ぎ、残った肉は全て保存食用に加工したのにも関わらず。ジェットの脳裏に疑問がよぎったが、どうでもいい事だと思い食べることに集中した。そして腹が膨れたら、手紙の通りにシャワーを浴びてすぐに寝てしまった。
アルバーンは自室に帰ると床に落ちている手紙に気付いた。直ぐに彼女の文字だと判った。ジェットが寝たら、24時に城の外に来てください。起きていたら寝かせてください。現在の時刻を壁掛け時計で確認すると、アルバーンはいつも通り机に向かい書き物を始めた。紅茶を飲んでいる間に思い浮かんだテーマを本に残す作業を5時間ほど行ったら、もう約束の時間まで10分前になっていたので、ジェットが寝たのを確認し、その足で階段奥の部屋に入った。もう数十年は扉を開けていなかったが、中に何が入っているかは完璧に把握していた。目当ての物を持ち出すと、正面から城を出た。
虫の音、草木が涼しい風で擦れる音を、アルバーンは心地よく感じていた。冷たい銀の光を放つ月を見上げていると、時間になったようだ。アルバーンがいつも少女と言う女性は黒い装備を纏っていたが、まるで今夜の月光の様だった。
「アルバーン様、夜中に申し訳ありません」
夜空を見上げるアルバーンに深々と頭を下げて言った。アルバーンは横目で彼女を一瞥すると、その瞳に宿る強い決意を感じ取った。自分の読みが外れていなかったことが分かった。
「行くのだろう?」
彼女は少しだけ目を見開くと、苦笑して言った。
「やはり、敵いませんね、あなたには」
そしてアルバーンの真横に並び、一緒に星を眺め出した。
「もう、城に来てから4年近くになりますね」
「ああ」
「あっという間でしたが、長居し過ぎてしまった気もします」
「そうだな。思いの外食費がかかったな」
「相変わらず辛辣ですね」
彼女はアルバーンが少し微笑んでいるのが分かると、彼の正面に回り込み改めて頭を下げた。
「お世話になりました。後はよろしくお願いします。」
「よい、頭を上げろ」
アルバーンはここで初めて彼女の顔と真正面から向き合った。城に来たばかりの頃、彼女の顔を見て戦いと最低限の常識しか知らないのが分かったので、少女と呼ぶことにした。素直にそう思ったからだ。しかし、今は違う。何か大事なものを胸に抱え、自分の生き方を貫こうとする決意が伝わった。
「良い顔をするようになったな」
「もったいないお言葉です。では、もう行きます」
「待て」
アルバーンは懐からガラス製の瓶を取り出し、彼女に放り投げた。
「選別だ」
危なげなく瓶を受け取った彼女は、中身を覗き込んだ。鉛色のどろどろした液体だった。光に反射して、ときおり赤い光を放った。
「鉱竜の鉄血だ、持っていくが良い」
自分が今手にしている物の高価さが分かり、反射的に遠慮しようとしたが、アルバーンの鋭い視線に押し負け、バックパックにしまい込んだ。
「ありがたく頂きます。それでは。」
アルバーンは月を見上げて言った。
「また会おう、アリアンナ・マクアップよ。」
「・・・はは、覚えて頂けて、いましたか」
「儂を誰だと思っているのだ?この愚か者めが」
「ええ、はは。そうです、ね。・・・また、会いましょう」
別れの挨拶を済ませたアルバーンはローブを翻し、城に向かい歩き出した。いつものように。




