逃げて逃げて逃げ切れたら
「ちくしょおぉぉぉおおおお!!」
逃げる、逃げる、逃げる……とにかく、逃げる。
ソラとリーラは、走っていた。追いかけてくる大群の獣から逃げるために。
犬や猫といったかわいらしい小動物ではない。パッと思い浮かぶのは、イノシシ……それも、やたらでかい。現実にイノシシを見たことがあるわけではないが、それでもでかいとわかる。
「なんだあいつはー! なんで追ってきやがる!」
「ほ、本で読んだことがあります……! あれはシシイノ……お肉が、大好物だとか!」
「ギャーッ食われるー! あんなの、追い付かれたら丸飲みだぞ!」
必死に逃げる、その理由。なんせ、追いかけてくるイノシシもどき、改めシシイノが、とにかく大きいからだ。一匹一匹が自動車くらいの大きさがある。
それが、もう数えるのが嫌になるほどの数が追ってきている。これは逃げる、どうしたって逃げるしかないだろう。
「へへ、だが、俺にはこの異世界特典がある……!」
逃げながらも、ソラは頭のどこかで冷静だった。この身体機能の強化さえあれば、このシシイノの大群から逃げることなど容易い。
人一人抱えて走るのはキツいかもしれないが、頑張ればなんとかなるだろう。
「よし、ここは俺の異世界特典で切り抜ける!」
「よ、よくわからないですが、はい……!」
「行くぞ……!?」
足に、力を入れる……が、おかしい。力が入らない。
足に、膝に、腰に力が入らない。なぜだ、先ほどまであんなに、警戒に走れていたではないか。これではまるで、重力でいきなり体を重くされたような……
「ってなにしてやがる!?」
「だっ、てぇ……!」
振り向けば、リーラがソラの服を掴んでいるではないか。体が重く感じた原因は、これだったのか。
しかしこの程度ならば、身体機能強化があれば、なんの問題もないはず……
「ないはずなのに、なんで変わらねぇんだ!?」
「一人で、なにをぶつぶつ、言ってるんですか……!」
力を入れてみても、体が軽くならない。城から逃げ出したときのような、羽根のような軽さが感じられない。
重い、引っ張られる……リーラが掴んでいるからといって、こんなに体が重くなることがあるだろうか?
「はぁ、はぁっ……い、異世界特典とやらは、ど、どうしたんですか!」
「知らねえよそんなもん! こっちが聞きたいわ!」
これでも全力疾走だ、あの羽根のような軽さがあれば、簡単に逃げられるはずなのに。
……この世界の重力は、ソラが元いた世界の重力よりも低い。ただそれだけのことだから、身体機能の強化がされるわけではない。リーラが服を引っ張るように掴めば、ソラの体も重くなるのも、当然であった。
しかし、それをソラがこの段階でわかるはずもない。
「てめぇ、自分で走りやがれ!」
「い、今までこんな走ったことないですし……はぁ、はぁ」
「このもやしっ子が!」
王女様には、このようにモンスターに追われながら全力疾走するという経験はなかったのだろう。ソラだって味わいたくなかった経験だ。
蝶よ華よと愛でられたのかは知らないが、とんだ貧弱娘だ。
「そ、それに……これ、いい加減、ほどいて、くださっ……」
そう言って、リーラは手首を縛っているベルトを示す。今まで全力疾走したことがない上に、手の自由を奪われていたら走りづらいのも当然か。
しかしそんな余裕は……
「却下だ!」
「えぇ!?」
ないのである。
「くそぅ、くそぅ……しかし、こんなガキ一人掴まったくらいであの軽快な走りができなくなるとは……実は大したことないのか? それとも、このガキがそれだけ重いってことか?」
「聞こえてますよ! は、はっ倒しますよ! ぜぇ、ぜぇ」
とにもかくにも、今はどうのこうの言っても仕方がない。今は、このモンスターの大群から逃げ切ることだけを考えなければ。
そう、逃げて、逃げて、逃げて……逃げ続けて……
「っはぁ……ここまで来りゃ、はぁ、大丈夫、だろ……」
「げほっ、げほぅえ……!」
なんとかモンスターの大群から逃れ、大岩の影に腰を下ろす。さすがにソラも体力を消費したが、それより深刻なのがリーラだ。もう吐きそう。
走って走って、前方からも同じくシシイノの大群に向かってこられ挟み撃ちにされたときは本当に死んだかと思った。
しかし、いかに巨大で獰猛でもそこは獣畜生。一か八か、前方後方のシシイノがぶつかり合う寸前に、横へと飛んだ。
結果、ソラとリーラがいなくなったことに気づかなかったシシイノは、お互いをぶつけ合うのに夢中になり、ソラとリーラは逃げ切れたというわけだ。
「あんなのが出てくるとは……しかし、これで落ち着いて作戦を立てられる。おいリーラ、ここはどこだ」
「はぁっ、ぜぇ……知り、ませんよ……外には出たことない、ですし……あったとしても、あんな逃げ回った、あとじゃ、ここが、どこかなんて……ぅえぇ……」
「……」
もう泣いているのか、吐きそうなのを我慢しているのかわからないが……リーラが言うには、ここがどこかはわからないということだ。
逃げるのに必死になっていた……すでに、出てきたアウドー王国がどこにあるのかさえ、わからなくなっていた。
「……マジで?」