クソくらえなこの世界で
「はぁ……」
「国王様、少しは休んで下さい。体がもちませんぞ」
「リーラの無事がわからぬ状況で、ゆっくりなどできるものか」
ここは、アウドー王国王城、王の間。玉座に座るアウドー・ラ・セイジュは、今日何度目かもわからないため息を漏らした。その顔色は、決してよくはない。
数日前、召喚した勇者。彼に、娘のリーラを攫われてからというもの……眠れぬ夜が、続いていた。
「わしのことはいい。それより、リーラの手掛かりはなにかあるか」
「……国内は、隈なく捜しました。しかし、発見には至っておりません。やはり、すでに国外に逃亡したものと」
「くそっ」
捜すのが国内のみであれば、すぐに見つかっただろう。まして、片方はこの国の王女、片方はこの国の土地勘もない男だ。
それを見越してか、二人はすでに国外へと逃げた可能性がある。あの凶悪な勇者に、無理やり連れていかれた娘のことを思うと、胸が締め付けられる。
勇者であるというのに、その役目を放棄し、あまつさえ人攫いとは。見つけ次第、即刻死刑にしなければ。
そして改めて、今度こそ従順な勇者を呼び出すのだ。
「申し訳ありません」
「まあいい。引き続き調査を続行しろ。もし国外に逃亡したのであれば、くれぐれも王女が勇者にさらわれたなどと悟られぬようにな」
「はっ、では……」
「し、失礼します!」
バンッ、と激しい音を立てて、一人の兵士が入ってくる。
「何事か、ノックもなしに騒がしいぞ!」
それは、王の間に無断で立ち入る不敬にも当たる行為。それは、この兵士も知っているはず。
であるのに、そうしなかった。それに、この慌てよう……余程の事態が、起こったと見るべきだろう。
「も、申し訳ありません! ですが、急ぎ伝えねばならないことが……」
「良い。話せ」
「はっ。簡潔に申し上げます……魔王が、このアウドー王国へと迫ってきております!」
「……は?」
それは、なんとも間の抜けた声であった。一国の王として、威厳もなにもない。
だが、それも仕方ないだろう……なんせ、報告された事柄が、想像もしていなかったことなのだから。一瞬、自分の耳がおかしくなったのかと、疑いたくなったほどだ。
だが、他の者も同様に言葉を失っている。どうやら、聞き間違いではないらしい。
「それは……間違い、ないのか?」
「はっ。見張りの者が確認し、調べて見たところ……間違いないものだと。それに、あのように黒く不気味なものは、見たことがありません」
黒く、不気味……その言葉だけで、とんでもない脅威が迫っていることは、わかった。それが魔王であるなら、勇者のいな自分たちに太刀打ちする術はない。
と、なれば……
「早々に国を離れる! 準備しろ!」
「は、はい! 国民への連絡はどのように……」
「放っておけ! どうせ全員は逃げられん! なら、わしが逃げるまで少しでも時間稼ぎをしてもらう! リーラも国内にいないのなら、すぐにでも……」
「へぇ、それはいいこと聞いちゃったなぁ」
立ち上がり、怒号を飛ばす国王……その姿に異を唱える者はいない。ただ、一人……その場で笑う者が、いた。
それは、今魔王の襲来を報告に来た、兵士だ。兜に隠れて表情はよく見えないが、その口元は笑っているように見える。
「? なにをしておる。すぐにわしの護衛となる者をよこして……」
「いやいやいや、それはないだろ国王サマ。あんたみたいな身勝手な奴でも、一応国民は信頼してたっぽいんだぜ? それを……」
先ほどと、明らかに喋り方が違う。その姿に、セイジュは言いようのない不安に駆られる。
それを知ってか知らずか、お付きの一人が、兵士に近づく。
「おい貴様、国王に対し無礼であるぞ! 身をわきまえ……ぐぁ!?」
兵士の手が、男の首を絞め上げ……宙に、浮かせる。明らかに、人間の力ではない……男は、締め上げられる首をなんとかほどこうともがきながら、思った。
バタバタと暴れる足は、すぐに動かなくなる。
「……は……な、なにを、しておる……」
ようやく我に返ったセイジュが、なんとか言葉を絞り出す。
兵士は、もう動かなくなった男を地面へと、投げ飛ばす。その目は……赤く光っていた。
いや、それより、なによりも……
「きさ、ま……その、顔は……?」
兵士の頬が、黒くまるで溶けだすかのように……ただれている。尋常ではないその姿に、誰も動けない。
兵士は笑い……そして、冷たくセイジュを見つめた。
「人間、追い詰められると本性が出るって言うが……さっきのが、あんたの本性か。なんなら、国民全員の前で、また同じこと言ってみるか?」
「な……貴様、その声……」
「リーラが聞いたら、さぞやがっかりするだろうさ」
兵士の声が、徐々に変わっていく……それは、聞き覚えのある、声のように思えた。
なにより、リーラと……愛する愛娘の名前を出されて、彼が何者か、わかった。
「勇者……ソラ……?」
「呼び捨てかよ、初めて会った時はソラ殿って呼んでくれたのによ。……ま、そんな呼ばれ方しても虫唾が走るだけか」
兵士の顔が、変わる……自らが召喚した、勇者の顔に。その姿に、驚きを隠せない。
いったい、なにが……いや……
「貴様! リーラは……娘は、無事なんだろうな!」
「ほぉ、娘に対する情は本物なのか……それとも、それもフリか。ま、どっちでもいいや」
「答えろ!」
「ははっ、どうだろうなぁ……もしかしたら、この兵士みたいに"食っちまった"かもなぁ」
「……!」
セイジュの欲しい答えを、ソラは素直には、与えない。ただ、セイジュの神経を逆なでするものばかり。
娘を誘拐し、どうやってかあのようなおぞましい姿になっている……さっきの兵士は、食われたと言った。
ならば、リーラも……?
「貴様……!」
「国王様、お気を確かに!」
「はははっ、いいねぇその顔! 怒りと絶望が混じったような、その顔だ! たまんねえよ!」
すでに、ソラは兵士たちに囲まれている。だが、兵士たちが部屋に入ってくることがわかっても、ソラは微動だにしなかった。
逆に、取り込んだ兵士たちの方が……未知の存在に、圧倒されている。
「さて……まあでも、安心したぜ。お前が正真正銘のくそ野郎でな」
「なっ……そ、それは貴様だろう! 娘を攫って、兵士の命まで……」
「なんとでも言えよ。俺はお前らが嫌いなんだ……その中でも国王サマ、あんたは別格だけどな」
ソラがゆっくりと、セイジュに近づく。それを見て、兵士の一人がソラに槍を突きさすが……まるで手ごたえがない。
それどころか……
「う、うわ……な、なんだこれ……!」
兵士の体がみるみる、吸い込まれていく。武器から手を離しても、もう遅い……兵士の体は、完全にソラの体に、呑み込まれた。
それを見て、周りの兵士たちの足はすくむ。構わず、ソラは進む。
「お、おいお前たち! わしを守らんか! わしを守るのがお前たちの使命……あぐ!」
セイジュの首は絞め上げられる。本当に、人間の力かと疑いたくなる。勇者としての力か、それとも……
手に込める力が、どんどん上がっていく。
「いい様だな国王サマ。これもあんたの人望だ……あんたを、命をかけてまで助けたい奴は、いないってよ」
「ぐ、そ……ぉ……わし、は……この国の、こく、おう……だぞ……!」
「それがどうした。身勝手どころか自分勝手だなぁ、あんた」
すでに、部屋にはソラと国王の二人だけ……他の者は、逃げ出した。
セイジュがもしも、みな平等に大切に扱っていたならば、こんな結果にはならなかったかもしれない。
まあ、例え立ち向かってこられても、ここの人間では今のソラには勝てない。絶対に。
「あんたから謝罪なんて聞けると思ってないけど……とりあえず聞いとくわ。俺を勝手に異世界に召喚して、悪いと思ってる?」
「……っは……そう、だな……勇者を召喚して、こんな、結果になるなど……後悔、しておるよ。……疫病神を、召喚、してしまった……とな」
「……そうか」
……ボキッ……
部屋に、冷たく響き渡る。物言わぬ肉塊となったそれを、ソラは乱暴に放り投げた。
そして……
「悪かったな、俺の用事に付き合わせて」
『いや、なかなかいい見物だったぞ。だが……気は晴れたか?』
「気ねぇ……晴れると思ってたんだけどなぁ。なんかもやもやは残ったままだ」
ソラは、自分の中の内なる存在に呼びかける。否……もしかしたら、逆であろうか。ソレの内なる存在が、ソラなのか。
もはや、どちらでもいいことだ。なんにせよ、ソラの目的は果たされた……そのために、ソラの意識を保ったまま、力を貸してもらっていたのだから。
『もう、いいのか?』
「あぁ。どうせもう、元の世界に戻れないのなら……同じ異世界人同士、一緒になるのも悪かねえな」
『そうか……』
そのやり取りを最後に、ソラの体は……いや、ソラの体だったものは、黒い液体のようなものに呑み込まれた。そして、その体は、意識は、魔王のものへと塗りつぶされていく。
あとは、この……異世界に召喚され、己の世界への理不尽を呪った、勇者たちの残留思念とも呼べる感情に任せるとしよう。
この後、世界を滅ぼすことになるのか……それとも、己が滅ぼされることになるのか、誰にもわからない。誰の意志で、誰でもない意志で、どこへ行くのかもわからない。
ただ一つ……くそったれなこの世界がどうなろうと、未練もなにもない。その気持ちだけは、ぼんやりと残っていた…………
今話で完結となります!ここまで読んでくださった皆様、ありがとうございました!
理不尽な異世界召喚に対する、出した答えがこれ……ということになりますね。
復讐自体はソラの意志を汲んだ形になったけど、後は思いのまま身を任せたまま……ということになります。その先にあるのは、どちらかの破滅だけ……
思いつきで書き始めたこの作品ですが、完結までこぎつけられて、良かったです!!




