魔王の行き先
「……う、そ……」
その光景を、リーラはただ黙って見ていた……見ているしか、なかった。
自国の勇者である、ソラ。彼を解放し、今まさにやられてしまいそうだった、他国の勇者ユキを助けてくれとお願いした。そして、ソラはユキを助けるために、あの黒い存在……魔王に、向かっていった。
リーラがたどり着き、見た時には……ソラが、魔王の体に呑み込まれていっている、場面だった。
「……」
ドサッ……と、リーラは膝をつく。体を支えるための、足から力が抜けてしまったかのようだ。
動けなかった。動けたとして、なにができたとも思えないが……それでも、動けなかった。その結果として、ソラは魔王の体に呑み込まれて……
……彼を、見殺しにしてしまった。
「わ、私の……せい、で……」
考えてみれば、ソラをあのまま解放せず、ユキを助けてくれなんて無茶を言わなければ、こんなことにはならなかった。あんな化け物に、立ち向かうこともなかった。
ここでなにが起きていたか、知らなかったとはいえ……ソラは、律儀にもリーラの願いを聞いてくれようとしたのだ。
リーラが……私が、あんなことを頼まなければ……
「……様! ……リーラ様!」
「! チョロ、さん……」
自己嫌悪に陥るリーラを、呼ぶ声がする。ハッとしたリーラは声の主を確認する……チョロだ。
元はユキの護衛の兵士。頼りないイメージがあったが、先ほど、魔王に呑み込まれかけていたソラを助けるために、その剣を振るった。
結果としては、ソラを助けることはできなかったが……動くことの出来なかった自分より、余程勇気のある人だと、リーラは彼女への認識を改めた。
「気をしっかり持ってください! まだあの人が、死んだとは……」
ソラが死んだと、決まったわけではない……だが、その生存は絶望的とも、言えるだろう。
ソラを吞み込んだ魔王は、なぜか動きを止めている。今のうちに、反撃のめどを立てるか、それとも逃げ出すか……
いずれにせよ、体勢を立て直す時間として有効活用しなければいけない。
「そう、ですね……」
ここで、自分が折れるわけにはいかない。ソラを巻き込んでおいて、勝手に諦めるなどと。
異世界から勇者を召喚し、国の発言権を得るためにどの国が一番に魔王を倒せるか、競わせる……正直リーラも、このあり方に疑問を持ってなどいなかった。そう、教えられたから。
だけど、理不尽さに吠えるソラを見て……自分たちが間違っているかもしれないと、気づいた。
「……!」
もはや、国同士の諍いなど、どうでもいい。一国の王女として、こんな考えはいけないのかもしれない。でも……
魔王を倒せば、ソラたちは元の世界へ帰れる。そのためなら、たとえ他国とだろうと、協力して魔王を倒す。ソラやユキ、国の兵士たちでさえこんな壊滅的な状態だ。リーラにどうできるとも思えない。
それでも、まだソラが死んでいないなら……ソラの生存を信じるなら。魔王を倒せば、彼を元の世界へ帰してあげられる。
彼が命を懸けたのだ。私って、戦う力はなくても……
「それくらいしか、私には……!」
同じく命を懸けることくらいしか、報いる方法は、ないのだから……! 立ち上がった彼女は、命を懸ける覚悟を、決めた。
……真実を知らない少女の、滑稽とも言える覚悟が決まったのと、時を同じくして……
「……え?」
今ままで微動だにしなかった魔王が、動いた。すでにチョロはユキや兵士を起こしており、それに気付いたのはリーラだけだ。
魔王の顔が、動く……リーラを、見た。黒いその存在には、目などついてはいない。
だが……目があった、と、そう感じた。
「……っ」
殺される……かつてない寒気が、背筋を撫ぜた。
こんなものと、ソラは対峙していたのか……
「っ、来るなら……」
来なさい……と、リーラは構えた。鍛えられた兵士どころか、死闘とであるソラから見ても、なんだその姿勢はと鼻で笑われるほどに不格好なものだ。
おまけに長いスカートで動きにくい。戦いの心得なんてあるはずもない。ただ見よう見まねで、姿勢を落として構えただけだ。
そんなのは、本人が一番よくわかっている。このままでは確実に殺されることも。
命を懸ける覚悟は、できたはずだ。それでも、ただの無駄死にをすることになる……その現実に、リーラは思わず涙を流しそうになる。
「それでも……」
ここで逃げてはいけないと……胸の奥で、自分自身が叫んでいる。
ここで逃げては、きっと自分は一生、自分を許せなくなる……
「…………」
「……え?」
それは永遠とも感じられるにらみ合いだと思えた。このまま、視線だけで殺されてしまうんじゃないかと、そう感じてしまうほどの、時間。
その時間が、ふいに切れた。こちらを見つめていた魔王が、視線を外し……リーラたちに背を向け、ゆっくりと歩き出したのだ。
「……」
呆然と、立ち去る魔王を見送る。張り詰めていた緊張の糸が切れ、またも座り込んでしまいそうになるが……ぐっと、堪えた。
危機は、去った……のだろうか。なんとも、意味不明な幕切れ……起きた兵士たちも、魔王という脅威が去ったことに、喜んでいる。
その背が、姿が、見えなくなって……
「リーラ、様……」
「……ユキ様」
倒れていたユキが、チョロに支えられてやってきた。ひどい傷だ、すぐにでも治療が必要だろう。
だが、今リーラは、そんなことに気を回す余裕はなかった。
「リーラ様、ご無事で……」
「そ、ソラ様が……」
「え?」
「ソラ様が……連れて、行かれて……」
魔王は、確かに去った。その身に呑み込んだ、ソラはそのままに。
「あの男ですか……」
「わ、私、またなにも……」
ついさっき、ソラを助けるために命を懸けると決めたばかりではないか。だというのに、この体たらくだ。
リーラは、自分が嫌いになりそうだった。
「落ち着いてください、リーラ様。あの状況では、仕方が……」
「仕方なくなんかない! 私、あの魔王を追います!」
「なっ……」
こうしてはいられない。なにをわざわざ、魔王の姿が見えなくなるまで見守っていたというのか。
方角はわかっている。あの足取りなら、今からならまだ追いつけるはずだ。
「ま、待ってください! やみくもに魔王を追っても……それに、どこに向かったかもわからないのに」
「だとしても、です。魔王が逃げた方角ならわかっています、目的地はどこか、いえあるのかさえもわかりませんが…………目的地?」
「リーダ様?」
「まさか……ううん。なんにしても、私は行きます」
今度こそ、リーラの決意は固い。それを悟ったユキは、軽くため息をついた。
「あなたを誘拐するような、最低男のためにどうしてそこまで……」
「……私にも、わかりません」
ユキの疑問には、軽く笑みを浮かべて返した。こうして話していると、同じ勇者でもソラとユキとでは全然違う。
自分を誘拐した男を助けに行くなんて、確かに訳の分からない状況だろう。
それでも……
「絶対助けますから、ソラ様」
魔王の去った方角を見て、リーラは拳を握り締める。それに……これは、ソラだけの問題でもないのだ。
もちろん、魔王という存在を野放しにしておけば、どれほどの被害が出るかわからない。だが、それとは別に……リーラには、魔王が目的地とする場所の、心当たりがあった。
このまま放っておくわけには、いかない!




