あなたは騙されている
パタン
「……」
入った、入ってしまった。家に、勇者ユキの家に。
リーラは、元々扉を開けたユキに、いきなり催涙スプレーをかけ、気を失った彼女を運び出す予定だった。もちろん、リーラ一人では運べないため、護衛の兵士を撒いたソラが戻ってくる算段ではあるが。
だが、こうして家の中に入ってしまえば、隙を見つけるのは難しい。
「申し訳ありません、紅茶しかなくて」
「い、いえお構いなく」
ちょこんと椅子に座らされ、紅茶を用意する姿を見ているしかないリーラ。ただ紅茶を用意しているだけなのに、なんと洗練された美しい所作なのだろう。
ウチの給仕にも劣らないかもしれない。勇者というのは乱暴で卑怯な生き物だと思っていたリーラの考えは、この数分で早くも崩れていった。
「はい、どうぞ」
「あ、ありがとうございます」
目の前に、紅茶の入ったカップを置かれる。漂う香りは、とてもいいにおいだ。
それを、ゆっくりと口に運ぶ、うん、おいしい……これは、普段から紅茶を淹れている人のものだ。
「さすが、王女様ともなるとその仕草までお美しいですね」
「え、いやあ、あはは……」
一応、王宮でそれなりの礼儀作法は習っている。まだ成人前だとはいえ、人前に出しても恥ずかしくないものには、なっているはずだ。
さて、これからどうしようか……もしこの場に、今ソラが戻ってきたりなんかしたら、最悪だ。ユキには警戒され、もう二度と近寄ることもできないだろう。
「さて……本日は、どういったご要件で? それも、こんな時間に」
「そ、それは……」
どう話を切り出そうかと迷っていたところへ、ユキの方から口を開く。リーラが、ここに来た理由を問いかける。それは、当然の疑問だ。
今日、昼間に会ったばかりの関係。それも、他国の王女と勇者という関係だ。深いつながりなどなく、家を訪ねるほど親しい間柄では、もちろんない。
だが、ここでなにかを言わなければ、怪しまれることは間違いないだろう。
「その……他国の、勇者様がどういう方か、話してみたくて」
本音も混じった、その場しのぎの言葉。しかしそれを受けたユキは、なにやら深々とうなずいている。
「なるほど……気持ちはわかります。失礼ながら自国の勇者がアレでは、苦労も絶えないでしょう」
「あはは……」
まるで同情するような声の重さ。リーラは苦笑いを浮かべつつ、脳内にはのんきに笑っているソラの姿が浮かんでいた。
勇者として、というか人として問題がありげなソラの扱いは、すでにリーラ一人の手に終えるものではない。
「……ユキ様は、受け入れているのですか? その、召喚について」
「うん?」
気づけば、リーラはそんなことを口に出していた。ユキは、召喚についてどんな思いを、抱いているのだろうか。
ソラは、不当な召喚を不服とし、国を飛び出した。あの行動はむちゃくちゃであったが、彼の言葉には一考の余地がある。彼らの都合も考えず、召喚してしまったこちらの非について。
ユキは、どうだろうか。いきなり異世界に召喚され、家族や友人と離れ離れになって……どう、感じているのだろうか。
「いきなり召喚されて、戸惑ったり……あ、すみません。私が聞くことじゃ……」
「いや、構いませんよ。……そうですね、確かに最初は戸惑いましたし、憤りもしました。けれど、この世界が危機に瀕していて、それを私の力でなんとかできるなら、少しでも力になりたい。そう、思ったんです」
……ええ人や、と涙を流しそうになるのを、リーラは必死に耐えた。なんと、素晴らしい人間だろう。
初めの戸惑いや怒りはソラと一緒だが、国の要求を拒否し逃げ出したソラとは違い、国どころか世界のために力になろうとしてくれているのだ。
だからこそ……申し訳なくも、ある。世界を救うために、勇者の力が必要なのは事実。だが国は、自国の召喚した勇者が一番に魔王を倒すことで、権力を手に入れようと競っている。
ユキは、このことを知らないのだろう。ソラは、このことを知ったからこそ余計に、協力を拒否したのだから。
「ユキ様は、素敵な方なんですね……」
「そんなことは……あの、もしかしたらなんですが」
こほん、と一つ咳払い。
「ユキ様、あの男に騙されていますよ!」
「……」
ユキは、リーラをしっかりと見つめてそう言った。その台詞を受けて、リーラはどう答えるべきかわからない。
あの男とは、まあソラのことだろう。
「騙され……?」
「そうです! 今話してみてよくわかりました! リーラ様のは、あの男に騙されて連れ回されているのです!」
騙されてはいません、正面から誘拐されました……とは、言いづらい。とはいえ、どう話すべきだろう。
どうやらユキは、リーラがソラになんらかの口車に乗せられ騙され、連れ回されていると思っているらしい。
騙されてはいないが、完全にあの人は潔白ですとも言えないため、なんと言い返すべきか悩ましい。
「ええと……」
「あなたは、あんな卑劣な男のところにいちゃいけない! 私も協力します、あの男を追い出しましょう!」
「えぇえ……」
おいおいなんだかややこしいことになってきたぞ、と……リーラは、目の前で勝手に盛り上がるユキを見ていた。どうやら彼女は、思い込みが激しい部分があるらしい。
ユキを誘拐するはずが、どうしてこんなことに……リーラは、もうパニックだった。




