訪問者リーラ
「……はぁ」
物陰から事の成り行きを見守っていたリーラは、小さくため息を漏らす。ついこの間まではあたたかなベッドに包まれて眠っていた自分が、なんでこんなこそこそと人様の家を見張っているのか。
リーラに、とある役目を押し付け……頼んだソラは、対象の家を護衛していた兵士をどこかに連れて行った。作戦通りである。声は聞こえないため、どんな手を使ったのかは知らないが。
「ふぅ」
深呼吸を、繰り返す。自分の役目を、思い出す……ソラが兵士を連れて行ったら、その隙をついて家に入る。そして、中にいる人物と接触する。
その人物は、この国の勇者であるユキ。リーラの国が召喚した勇者であるソラとは違い、凛としたかっこいい女性だ。
ソラの目的は、ユキを誘拐すること。そのために、リーラがユキと接触する役目となった。ソラはすでに警戒されているが、リーラならば怪しまれることはないだろうと考えたのだ。
当初、ユキに魔王討伐の協力を申し出たが、失敗。だからソラは強硬手段に出たのだ。眠らせて誘拐してしまえば、なんとかなるだろうと。
「なんとか、なるかなぁ」
正直、リーラの心中は不安だらけだ。他国の勇者を誘拐なんて……それに、ユキの言葉に正当性があった。今無理に魔王討伐に出掛けても、いい成果は得られない。
姑息なことを考えるのが得意なソラだが、頭の回る彼がそのようなことを考えるに至っていないとも思えない。なのに、なぜ無理を強行するのか。
それとも、なにか考えが……いや、やめよう。とりあえずソラに協力するしか、リーラに道は残されていないのだから。
「……よし」
このままここでうんうんと悩み続けているうちに、せっかく引き離した兵士が戻ってくるかもしれない。となれば、一刻も早く事を成すべきだ。
市場で売っていた、怪しげな催涙スプレーを手に、リーラは足を踏み出した。
コンコン
家の前まで行き、ノックをする。王室で育ったリーラだが、一応家に入る前にこうして扉を叩くことくらいは、知っている。
「はーい、チョロさん?」
「!」
すぐに、家の中から声が返ってくる。昼間に聞いたのと、同じ声。勇者ユキだ、彼女の住まいなのだから当然だが。
咄嗟のことに、リーラは身構えてしまう。チョロとは、さっきの兵士のことだろうか……
「あ、あの、えっと……」
「ん?」
要領を得ない訪問者の言葉に、室内の人物は首を傾げ……扉を、開けた。
リーラの前に現れたのは、一人の美しい女性であった。リーラの目の前には、なかなかに立派に育った二つの膨らみ……つまり、リーラの頭部分が、彼女の胸元に位置しているのだ。昼間会った時は、わからなかったが、背が高い。
見上げるように視線を上げると、目が合う。真っ赤に燃えるような、瞳。触れたら火傷してしまいそうなほどに、赤い。そして、瞳と同じ色の赤毛は、若干濡れている。
さらに、彼女はTシャツに短パンと……なんとも、ラフな恰好であった。肩にはタオルをかけているし、もしやお風呂上がりだったのだろうか。昼間のしっかりした格好ではない、彼女の自然体……
「お、おっき……じゃなくて、ごごご、ごめんなさい! いきなりこんな……」
「キミは……いや、あなたは、昼間の……」
とんでもない場面に出くわしてしまったと、顔を赤くしてしまうリーラに、しかし彼女……ユキは冷静だった。しかもリーラの顔を見るなり、昼間に会ったというのを思い出してくれたようだ。
キミ、ではなくあなたと言い直したのは、リーラが他国の王女だという話も思い出してだろう。
「り、リーラ……こほん。アウドー王国王女、アウドー・ラ・リーラと申します」
「こ、これはご丁寧に。こんな格好で申し訳ない」
「い、いえ、急に押し掛けたのはこっちですし……」
つい流れで自己紹介をしてしまったリーラだが、頭の中は大パニックだ。そもそも、扉を開けたユキに、間髪入れずに催涙スプレーを吹きかける……それだけで、よかったはずだ。
なのに、どうしてこんな穏やかムードに移行しているのか。
「……あれ、チョロさんは? いつも私の家を護衛してくれているんだけど」
「!」
ふと、身を乗り出したユキが首を傾げる。それは、いつもいるはずの人物がいないことへの、疑念。
護衛……やはり、さっきの兵士がチョロという名前なのだと、リーラは気づく。しかし、ここに彼女がいない理由を、どう説明するか。
まさか、ソラがどっかに連れて行きました、とも言えないし。
「え、ええと……わ、私が個人的に、ユキ様と会いたくて、それで……ちょっと、席を、外して、もらって……」
なんとか、必死にそれっぽいことを絞り出そうとするリーラ。お父様ごめんなさい私は嘘をついてしまいました……そんなことを、思いながら。おおまかには正解だが、ソラに協力している以上やはり嘘なのだから。
我ながら苦しいいいわけだと思っていたが……
「そうなのですか。一国の王女にそう思っていただけるとは、歓迎です」
そう、柔らかな笑顔で返されてしまった。胸が痛い。ただ、苦笑いで応えるしかできない。
「そういうことなら、いつまでも立ち話もなんでしょう。ささ、中へ入ってください」
「え、えぇ」
なんだか、余計に話がこじれていっている気がする……そう思いながらリーラは、家の中に入っていくのだった。




