くそったれぇ!
ドドドド……!
「うぉおおおおおおお!!」
「いやぁああああああ!!」
雲一つない快晴の空、その下で、二つの声がこだまする。空は青い、周囲は緑生い茂る草原、建物は見えない。見通しのいいこの空の下、響き渡るのは先ほどから続く二つの声、そしてそれを追いかける足音。
それは一つや二つではない。複数……まさに大群の足音が、逃げる二人を追っている。
「ちくしょぉおおおおおっ、くそったれぇ! なんで俺がこんなめにぃいいいいい!!」
走り……否逃げながら、男は叫ぶ。それは己の不幸を呪うものだ。なんで自分は、こんなところでこんな目に遭っているというのだろうか。
本当ならば、エアコンの利いた部屋の中で、アイスでも食べながらゲームをしていたはずだ。
「そんなこと言っても仕方ないいです! 今は逃げることだけ考えてください!」
若干の現実逃避をしていたが、引き戻される。そう、これが現実なのだ。こんな現実離れした草原で、こんな炎天下の下、あんな獣畜生に追われているのは……夢だと思いたくても、この焦りが、疲れが、現実だと教えてくる。
追いかけてくる獣は、犬や猫といったかわいらしい小動物ではない。パッと思い浮かぶのは、イノシシ……それも、やたらでかい。現実にイノシシを見たことがあるわけではないが、それでもでかいとわかる。
なんせ、その一匹一匹が自動車くらいの大きさがあるのだ。それが、もう数えるのが嫌になるほどの数が追ってきているのだ。
幸運があるとすれば、走ってなんとか逃げられる速度であることだろうか。それでも、逆に言えばこっちらの速度が落ちれば、いつでも追いつかれてしまうということでもあり、幸運かどうかはわからないが。
「そうだ、お前を囮に俺だけ逃げるってのはどうだろう!?」
「どうだろう、じゃないですよ! 却下です却下! だいたい私のこと人質として連れて来たのに、そんなことしたら意味がないでしょう!」
「確かに!」
「言ってて虚しくなってくるぅ!」
無駄話もそこそこに、このままではイノシシモドキに二人仲良くお昼の餌にされてしまう。そんな未来で人生終了してたまるか。
この現実味のない、しかし間違いなく現実なこの世界で、こんな訳の分からない状況に放り込まれて死ぬわけにはいかない。
せっかく、あそこからここまで逃げてきたのだ。こんなところで、野生の獣の餌になってたまるか。
「だからおとなしく、お父様の言うことを聞いていれば……!」
「やかましい! 俺は俺に命令する奴が大嫌いなんだ!」
逃げながら、それでも言い争いを続ける二人は実は結構余裕なのかもしれない。
確かに、この女の言う通りに行動していれば、今こんな目には逢っていなかったかもしれない。だがそれはそれだ。人のいいなりに、それも飼い犬のように働かされるくらいなら、こうして自分の意思で走っていた方がまだマシだ。
……例えここが男にとっての異世界で、彼が勇者として召喚された男であっても。
「そう、俺は俺に命令する奴が嫌いだ! ついでに俺の行動を制限する奴も、俺を食おうとしている奴も、俺の思い通りにならない世界も、全部嫌いだ!」
「暴君ですかあなたは! というか、異世界特典とやらはどうしたんですか!」
「知らねえよそんなもん! これでも全速力なんだよ! ていうかお前が俺の服離さねえからだろ!」
逃げる、逃げる、逃げる……それでも、人の体力は無限ではない。だんだん、スピードが落ちてきたのは疲れからか、それとも会話に夢中になり過ぎたからか。
「っ! いってぇ、ケツ噛まれた! なんで後ろにいるこいつじゃなくて俺のケツ噛むんだ獣畜生が!」
「ふ、普段の行いじゃないですか!」
じくじくした痛みが、お尻から全身に走る。
「ふざけろよくそったれぇ! くそぉおおお、理不尽だ! 認められるかこんなことぉ! マジで滅ぼしてやろうか、こんな世界!!」
「やめてくださいぃ!」
お尻に噛みついたイノシシモドキを蹴り飛ばしつつ……男は、もう何度目ともわからない気持ちを叫んだ。それは空に、むなしく響いていく。