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翌日、午後二時にいつものように瀧上神社に集まった4人は本堂の前に見慣れない人が座り込んでるのを見つけた。
日も高くなり一番暑い時間なのにクロコダイルの帽子にベージュのトレンチコート、季節的には違和感バリバリのはずだが不思議と統一感を醸し出し、今着ていても当たり前と周囲に納得させる雰囲気を放出していた。
「昭光さんは不在のようだがお出かけかな?」
マシンボイスがコートの胸ポケットから響いてきた。
その声は主馬に昨日の記憶を思い出させ、緊張が彼の全身を縛った。
そのため返答したのは別の人物になった。
子供達の列から進み出たのは田村沙紀だった。
「昭光は昨夜戻ってくる予定でしたが遅れているようです。御用がお有りなら私がお預かりして伝えますが?」
凛とした鈴のような声が境内に響いていた。
「失礼だがお嬢さんは?」
「申し遅れました。この神社を管理している田村家の沙紀と申します。昭光はうちで依頼してこの神社の禰宜を勤めてもらっています。
まるでどこぞのお嬢様という雰囲気が「しろすじ」を圧倒していたが、日本で有数の名家の末裔だけのことはある。
午前中に小学校のプールで一緒に遊んでいたときとはまるで別人だ。
その彼女の背後にいる片倉結花は何かあれば飛び出せるように腰を落としぎみにやや膝を曲げている。
その場の殺伐とした雰囲気を壊すように「しろすじ」がマシンボイスで話し続ける。
「田村家縁の人でしたか、こちらの不動尊を見せていただけないかと思い立ちまして今日参りましたが、ご不在のようですから……」
「申し訳ございません。そこに祭った不動明王は神社設立の前からあるもので、見せてよいかは昭光でないと判断できないので、その要望を彼に取り次ぎいたします。ご連絡先宜しいですか?」
「ここに名刺を置いておきます、お渡しいただければ済むように、用件のほうも書いておきました。」
「しろすじ」はそう告げると帽子を外しながら、ハーフマスクのまま会釈をして鉄の渡り橋を通って神社から去っていった。
そうしてしろすじが視界から消えるなり熱気を取り戻したように境内のアブラゼミが一気に鳴き出した。
本殿の濡れ縁には「2種マトリ 白筋 email;SHIROSUZI-K*@emai l.go.jp
と名前とメアドのみが印刷された名刺が置いてあった。熊谷舎人が素早く名刺を手に取った。
メアドの下にはボールペンの手書きで何か用件が書いてあるらしかったが外国語で書かれてあるので意味はわからなかった。
「舎人、今の人誰?」
結花が舎人に尋ねていた。
「白筋という魔物取扱人みたい。昭光さんの知り合いみたいだけど、用件は外国語で書いてあって読めない。」
「なんか秘密の冒険みたいになってきたね。ワクワクしてこない。」
「はいはい、結花はそれまで、舎人、名刺を渡して。これ自治会長にすぐ教えた方がいいのかな?」
沙紀は名刺でちょっとだけ悩んだがすぐに昭光さんが視界に入ってきたので、そのまま名刺を渡すと白筋という人のことは頭から消えていた。
その時に後方からV10サウンドが響き渡る車内で私は今回の依頼のことをぼんやり考えていた。
依頼された討伐対象は「尻舐め恵比寿」と名付けられていた。
南三陸町の伊里前海岸に程近い山頂に立つ三嶋神社は事代主命を祭り、後醍醐天皇の時(南北朝時代)に勧進してきた神社である。
そしてその神社の神主は計仙麻大島神社より降りてきた家で奥州藤原4代目の大谷四郎高衡に祖を発すると言われた古い家であり、その大谷四郎も「大鏡」に本吉冠者の乱として記載されている。
尻舐め恵比寿は明治以降もしばしば顕現したが、その神主一族によりその度毎に滅せられ、長くこの地は鎮まっていた。
それが今回は当主が未成人のうちに尻舐め恵比寿の顕現が感知されたため、神社総庁から討伐依頼が出されるにいたった。
私はその依頼を受け、この地にやってきた。それだけのはずだった。
ランボルギーニ ウラカン LP-610-4 AVIOはV-10 5.2ℓエンジンが生み出す610馬力の過剰な能力の殆どをデッドパワーにしながら三陸高速道を走っていた。
気を抜きながらのドライブの最中に神経に電極を打ち込まれたような衝撃が走った。
一瞬で消え去ったがとんでもない感じたこともないような恐怖が全身を包んだ。
イリジウム電話経由でカーナビをネット接続、マトリ専用サーバーに接続すると今の状況を確認すると「特殊案件;実戦訓練」とだけ表示された。
初めて見る表示だが、どうも事件そのものはすでに終了しているらしい。
実戦訓練ということはあの衝撃を撒き散らした魔を一瞬で倒したことになる。
走りながら近距離での衝撃を受け取ったおかげで発生地点がほぼ推測できる。
ここから直線で10kmほど北らしい。
魔は討滅されたようだし、何が起きたのか見てみようと興味本位で発生点に向かうことにした。
だがそんな甘い考えをすぐに後悔することになった。
そこから流れ出る川の水は魔に汚染され、魔水とでもよぶべき忌々しい状態になっていた。
川は1km程で太平洋に流れ出るため、海水は穢れてはいないようだし、川上から急速に浄化されているようだ。
その推定地点にいたのは一人の密教僧だった。
彼は周辺を写生していた。
間違いないあの僧が魔に関連している。
彼が写生しているのは魔そのものを視覚で見る唯一の方法だ。
写真や映像で風景をみても無意識に脳内で補正が入ることで弱すぎる異常を感じ取ることができない。
このため無念夢想のまま周囲を写生することで画素数を下げた写真のような粗い絵を描くことで空間の屈曲異常を含む魔の兆候を紙の上に映し出すことができると言われている。
この技法を使える人は初めてみたが……
近くの小学校の校庭にウラカンを停めると、喉マイク、半マスクをつけて精神を集中、気配を周囲に同化させ、こちらも何も考えないようにして近づいていった。
そこは小さな神社だった。
神社の本殿らしい建物から犬の唸り声が遠く聞こえた。
僧は写生を止めると右手に錫杖を構え、こちらに呼びかけてきた。
「どちら様でしょうか?参拝とは思えませんが」
私は驚いた、魔にすら破られたことのない隠密の術だったのに容易く見抜かれてしまった。
仕方無しに術を解くというか、無念夢想が破られた時点で解かれたというべきか。
「神主殿ではないですね。密教の方ですか?」
私の喉マイクからボイスチェンジャーを通った人工的な声が流れ出た。
「ここには神仏分離の前から真言密教の不動明王が祭られていまして、古い時代にはそちらの方が主だったようです。それもあって仏への作法として私が禰宜を勤めさせていただいています。昭光と申します」
あっさりと法号を名乗ったのは、調べても出てこないという自信からだろう。
そもそも密教僧が神職をしてる時点で訳ありなのは明快だ。
その上マトリならば簡単には正体が掴めないようにしてあるだろう。
「御祭神は?」
会話の切り口として神社のことを尋ねる。
「八衝比古神と八衝比売神です。」
?普通は道祖神に祭られることの多い神様だ。魔の退治に使われるような攻撃的神様ではない。
まてよ古い不動明王が祭られていたか。
「ふつうの道祖神……?いや不動明王が迎合いや主役ですか。境の神でその内側を明王が清めておられるというところでしょうか?」
思いつくままにこの地の状態を口に出す。
「さて先達の叡智いまだ及びますゆえわかりませんが、そろそろご用を伺っても宜しいですかな?」
冷ややかな殺気が跳ね返ってくる。そろそろ危険領域らしい。
「私は二種マトリの戒名をしろすじと申します。これで用はもうお分かりと思いますが」
「神社総庁からの連絡はなかったのですが?」
「あー……個人営業の弱小企業なもので」
個人営業といった瞬間に唖然とした雰囲気が伝わった。それはそうだろう。個人営業をして生き延びているのは私も自分以外は師匠しか知らない。
つねに注意深く自分の本性を隠し続けないと殺されることになる。
何に殺されるかまでは予想もつかないが……
「では、すでに事態は終わっております。お引取りを」
彼は終わりという意味をこめて退去を促してきた。
もう一息情報がほしい、ということで会話をつなごうとする。
「結構な大物でしたね。査定では1億はかたそうですが……」
「この神社の敷地は故あって伊達家の所有になっています。手出し無用に願います」
にべもなく脅された、伊達家は伊達政宗の室「愛姫」により征夷大将軍、坂上田村麻呂と血流が混ざった。よって伊達家の藤原家と田村家の坂家の氏を併せ持つ強力な氏族として存在している。
その上両者が混じって400年以上、この地に留まり続けている。
とてつもなく強力な地方勢力になっているのだ。
「おおこわ、坂に藤ですか。さわらぬ神に祟りなしですね。直ぐに消えますよ。御用のときにはご連絡を」
おどけたような口調で殺気を散らすと脱兎の勢いで逃げた。
ひとまず気仙沼大島へ逃げ出した。
ほんの10kmの移動だ。
橋ができたおかげで車で移動できた。
大島に入るとようやく一息つけた。
ここは平安末期から奥州藤原氏が関係する土地だ。伊達藤原氏の影響は少ない。
この地の民宿に予約を入れると一晩潜伏することにした。
とはいえ、この地に来たのは近くに出現した魔を倒すため神社総庁に依頼され、その途中で魔の顕現を感じたからで、不当な要素はない。
亀山中腹の大島神社をお参りした後、瀧上神社への紹介状を書いてもらい、明日参拝することにする。
「尻舐め恵比寿」を倒滅しなくてはならないのだ。助力になりそうなものは何でも使わなくてはならない。
魔は一度倒滅に失敗すると、厄介さが1000倍は増える。可能な限り迅速に且つ完全な勝利を心がけなくてはいけない。
それがマトリの不文律である。