始まりの日々
なんとなく喉に刺さった魚の骨のような小説でこれが残ってると他の小説が書けないのでとりあえず吐き出してみました。
また喉につっかえるようなら書き足していきます。
煌きつつ流れる川面へ、カンカンカンと、滝根川に架かる鉄橋を渡る子供達の足音が響いた。
それは白茶けた風景を刻む単調なBGMだった眠たげな蝉の声を切り取り、周りの風景はいきいきと色付きはじめた。
足音で日差しは暑さを取り戻し、木々は深い緑と濃い木陰を取り戻したようだ。
朱色に塗られた鉄のアーチ橋の向こう岸は、川沿いにできた細道を挟んで直ぐに3mほどの高台にぶつかっている。
高台の急な斜面には50cm程の丸石が一面に埋め込まれ不出来な石垣のように凸凹になっていた。
子供らは高台を回りこむように踏み上げられた細い散歩道を無視すると、埋もれた石々を足場にして階段のように駆け登っていく。
登った其の高台には小さな神社があり、境内は狭いながらも本殿とそれを取り囲む木々で庭になっていた。
そこで子供達の目に飛び込んでくるのは、大きな石碑、倒れたいくつもの庚申塚。
そして小さな本殿の濡れ縁に座って風景をスケッチする甚平姿の中年男性のいつもと変わらぬ光景だった。
「「「「「「昭光さーん、こんにちわー」」」」」」
子供達が声を揃えて挨拶すると中年男性はスケッチブックから顔を上げると、色鉛筆を指に挟んだまま軽く手を振って挨拶を返してきた。
それを見て子供達は本堂の濡れ縁にランドセルを置くと白装束に着替え始めた。
男の子はその場で、女の子は格子戸を開けて本殿へ入って中で着替え始めたが、その様子は普通は子供達に付いてまわる煩いほどの無駄口騒ぎがなく、手馴れている様子が見えていた。
濡れ縁に黒ランドセル2個赤ランドセル2個を並べて置くと、着替えた子供たちはダムの流れ出し付近の細道を使って下へ降りていった。
この瀧上神社がどこかの池の中島のように浮いている原因である直ぐ横のダムは流れ出しが滝になっている。
子供達はここでの滝行を日課にしていた。
小学校中高学年と思われる彼らの一団はカルガモのように一列になってやや深くなった淵を落水地点目指し進んでいた。
「舎人くーん。ちょっと戻ってきてー」
本殿でスケッチをしていた男が子供らめがけて呼びかけてきた。
淵の中で先頭に進んでいた男の子が猫を思わせるような身のこなしを見せると淵を飛び出し細道をととっと駆け上がると本殿の前に戻った。
「昭光さん、どうしたの?」彼は声変わり前の男の子だけが持つ独特なソプラノボイスで尋ねた。
「いやあ、ちょっと良くなくてねー」
そういうと昭光は舎人に今まで書いていた風景画を差し出して見せた。
それは葉の一枚一枚までが区別できそうなほど精密に色鉛筆で書かれた風景画だった。
「この辺がちょっとねー」
昭光が指差したあたりは周囲に比較すればピントがずれ滲んだようなイメージだった。
あくまでも周囲に比較すればという程度ではあるが……
「昭光さん濡れてぼかした?」
「まさか。これ百均の色鉛筆だよ。濡らして滲ますなんて手法は取れないよ」
そういうと足元にあった12色の色鉛筆の入った箱をカラカラと振った。
「つまり僕の目には本来は、こう視えているようだ。……ということで薄緑を持っていって。中納言も行くと思う」
「わかった!」
舎人は本殿に飛び込むと刀架けにあった黒鞘鮫皮造りの太刀を背中に背負って飛び出すと今来た道を駆け下り始めた。
同時に本殿床下の蟻地獄をいくつか吹き飛ばしながら巨大な白犬が飛び出し、ついていく。
ポニーほどもありそうな巨大な白の秋田犬は淵の岸に伏せると無言で子供らを見守った。
舎人が太刀を背負ったまま淵に入ってくるのを他の3人は迎え入れるとすぐに滝行を始めた。
4人の般若心経と滝の音だけが鳴り響いていた。
そのまま10分程も過ぎただろうか、秋田犬が伏せをやめ空中の一点目指して唸り始めた。
次いで上流の本殿から鋭い声が飛んできた。
「ノウマク サンマンダ バサラ ダン カン」
5人の子供達の川下5mほどの空気が透明なスライムにでもなったように蠢き始めた。
犬が一声吼える。それは周囲に「カンマーン」と響いて聞こえた。
その鳴き声でスライムは体長2mほどのツキノワグマに変化し始めた。
5人の子供たちはその様子には一切気付いてないようで一心に般若心経を口ずさんでいる。
滝の上に昭光が姿を現し不動剣印を結ぶと「カーン」と叫びながら種子の印を切った。
それが合図に滝の中から舎人が飛び出すと背中の太刀を抜刀するなり熊の首の付け根から右脇腹へと両断。
血が流れる間も無く、頭と右腕が川面に落ちた。そこへ一足遅れて胴体が激しい水飛沫を立てながら倒れた。
滝根川の流れが熊の死体を洗っているとすぐに溶けた氷像のように色と形を失って下流に流れていった。
舎人が川の中央で立ったまま呆然としているところへ昭光が滝の上から呼びかけた。
「舎人くんよく頑張った。初めての魔だけどうまく対応できたよ。」
しかし舎人は昭光の叫び声にも一切関心はないようで、淵の中で棒立ちのまま首を傾げている。
「魂消ちゃったか……それも仕方ないけど……」
昭光はダムの壁面をウォータースライダーの要領で滑り降りると、その勢いを利用して水面を滑ると子供たちの直ぐ横で止まった。
淵の中でボーっとしたままの子供たちに次々と活を入れていく。活を入れられた子供たちは一度大きく身体を振るわせたあと周囲をキョロキョロ見回し始めた。
「今日の滝行は終了だよ。本殿にココアを用意したから、着替えてから飲んで体を温めてちょっとだけ待っててくれないかな。」
昭光はそう宣言するなり細道を駆け上がり、辺りの風景を写生し始めた。
子供達4人は白装束を普段着に着替えなおすと本殿に置かれた卓袱台においてあったココアを飲んだ。
湯気の立つココアが滝行で冷えた体を暖めると身体の強張りも消えて目蓋が重くなってくる。
卓袱台に突っ伏す熊谷舎人その横で田村沙紀と片倉結花は仲良く秋田犬を枕にして眠り込んでいて、その姿勢こそ様々だったが一人を除いて速やかに寝ていた。
起きていたのは小野寺主馬、この中では一番体が大きく無口な性質だった。
彼は魔熊を斬った熊谷舎人が「薄緑の太刀」を手入れしようと柄を分解したところで眠気でカクンカクンしていたのを見つけると、無理やり卓袱台に寝かせ代わりに太刀の手入れをしていた。
主馬は桐の小箱を開けて、目釘抜きを手に取ると竹の目釘を抜いて柄をばらして、中子を引き出しネルを使って丹念に水気を拭き取った。
中子には銘が切ってあるが「寛治」「舞草」の4文字だけのため「薄緑」と呼ばれる由来までは判らなかった。
(昭光さん遅すぎないか?)
丁子油も薄く敷き終わったので刀架けに抜き身のまま薄緑を架け置くと、主馬は格子戸を開け外に出ようとした。
格子戸に手を掛け開けようとしたときに目に入ってきた明るい境内、その中に立つ昭光の背中を見たときに自然に体が固まった。
本殿のすぐ前で背を向けて仁王立ちする昭光は、その右手に錫杖を握り、真夏の猛暑も凍らせるような威圧感が全身を包んでいた。
「どちら様でしょうか?参拝とは思えませんが」
昭光の一言で境内に一つ人影が生まれた。
いや、正確には現れたのではなく、ずっと視界には入っていたのだが、こちらが一切の関心を払わなかった。
あるほうが自然で危険や違和感とは無縁の存在として脳が認識していた。
一旦認識できれば、真夏にトレンチコートを着てボルサリーノのクロコダイルを被った黒の半面マスクの人物なんて怪しい限りなのだが、少しでも目線を外すと杉林の杉の一本のように周りに紛れて見失いそうになる。
「神主殿ではないですね。密教の方ですか?」
人影からボイスチェンジャーを通した人工的な声が尋ねてきた。
「ここには神仏分離の前から真言密教の不動明王が祭られていまして、古い時代にはそちらの方が主だったようです。それもあって仏への作法として私が禰宜を勤めさせていただいています。昭光と申します」
相手の存在がいまだ不明なのもあって昭光は構えを一切解かぬままで返答していた。
「御祭神は?」
「八衝比古神と八衝比売神です。」
「ふつうの道祖神……?いや不動明王が迎合いや主役ですか。境の神でその内側を明王が清めておられるというところでしょうか?」
「さて先達の叡智いまだ及びますゆえわかりませんが、そろそろご用を伺っても宜しいですかな?」
「私は二種マトリの戒名をしろすじと申します。これで用はもうお分かりと思いますが」
「神社総庁からの連絡はなかったのですが?」
「あー……個人営業の弱小企業なもので」
「では、すでに事態は終わっております。お引取りを」
「結構な大物でしたね。査定では1億はかたそうですが……」
「この神社の敷地は故あって伊達家の所有になっています。手出し無用に願います」
「おおこわ、坂に藤ですか。さわらぬ神に祟りなしですね。直ぐに消えますよ。御用のときにはご連絡を」
しろすじと名乗った人影はそのまま煙のように消えてしまった。
昭光は一息ついて緊張を抜くと何も無かった雰囲気で本殿の戸を開けた。
「ご苦労さん、主馬。打ち粉は使わなかったのか。確かに寝てる連中が咳き込みそうだな。」
戸のすぐ後ろに立っていた主馬を見ると苦笑いしながら語りかけてきた。
「昭光さん、さっきの人?」
「二種マトリ、国家認定の魔を狩って報酬をもらう人間だ。普通は神社総庁に雇われるんだが……個人営業というのは初めてみた。もう関わることもことも無いだろうから忘れなさい。」
そういうとタオルケットを何枚か引き出してくると子供達に掛けた。
昭光は眠る子供らの横で何冊かの和綴じの本を眺めた後、突然立ち上がった。
「主馬、これからちょっと出かけてくる。」
「どこまでですか?」
「遠くではないが今日は戻れない。皆が起きたなら家に帰りなさい。中納言に送らせるから車に気をつけて」
「どこまでですか?」
主馬は重ねて問いかけた。
昭光は困った顔で頭を掻くと
「鬼死骸村の八幡神社だ。なんとなく沙紀のお守りが必要な気がするから貰ってくる。」
「なんかオドロオドロしい地名ですけど危険なんですか?」
「地名そのものは坂上田村麻呂の夷退治に由来するものだから危なくはないよ……ただ薄緑と同じ程度の由来品を用意したほうがいい気がしてね。」
「また魔が出るんですか?」
「それは口に出さないほうがいいかな。言霊で呼ぶ事もあるからね」
格子戸を開けて昭光は境内を抜けて橋に向かうと
「なにも無ければ明日には戻ってくるよ。いつもの時間に修行に来なさい。」
そういい残して橋をわたっていった。
みんなの目が覚めたのは一時間程度が過ぎた頃だった。
片倉結花が一番先に起きたが、それを待っていたかのように残りの2人もほぼ同時に目を覚ました。
寝おきの3人に「しろすじ」のことは話さずに昭光さんが出かけたこと、明日には戻ってきているのでいつもの時間に集合するということを伝えた。
家に帰る途中は初めて魔を見た興奮で熊谷舎人が大きな声で騒ぎを引き起こしたが、先頭を進む中納言が時々後ろを振り向いて子供らの歩みを促したおかげで、いつもの帰宅時間に家に着いた。
みんな市営住宅ビルの同じ棟の別々の部屋に向かった。
この近隣でもっとも大きく新しい集合住宅、11階建鉄筋コンクリ造りのマンションは、周囲を睥睨するように丘の上に屹立していたので4階の熊谷家のベランダからでもゆっくり尻尾を振りながら神社に帰る巨大な白犬の後ろ姿を見ることができた。