8 大賢者、人形を使う
不意に、視界の端にきらりと光るものが見え、鬼の右腕に矢が突き刺さった。いきなりのことで鬼は咄嗟にアッシュの首を放してしまい、アッシュは地面に倒れる。さらに、アッシュと鬼の間に矢が放たれ、鬼はアッシュから距離を取らざるを得なくなった。
「かはつ、かはっ……。どうして、ここに……」
矢の放たれた方を見上げ、そこに揺れる銀髪を見て思わずアッシュは言ってしまう。どうして、と。別に逃げていてもよかったのに、どうして。
「ごめんなさい。本当にごめんなさい。私が不甲斐なくて……」
「いいよ、リーシャ。リーシャは悪くないんだよ」
改めて見ると、アッシュの体は全身傷だらけで、左腕はなくなってしまっている。首にも圧迫された跡があり、ボロボロになっていた。リーシャは後ろから見ていて全く気付くことができなかったその傷に気付き、一度逃げた自分を恥じた。
「戻ってこなければ逃げ切れたのにね」
「それは……」
アッシュに言われたことで、リーシャは悲しそうな表情をする。しかし、アッシュはそんなリーシャに微笑みかける。
「でも、戻って来てくれてうれしい」
「アッシュ君……」
リーシャはアッシュを一度抱きしめると、その後アッシュの前に立ち、鬼に向かって弓を構えた。しかし、その手は震えている。
「リーシャ、大丈夫?」
「……大丈夫」
決して大丈夫でないことは分かるが、それでもそう言葉にできるだけまだましだとアッシュは思った。
「リーシャ、人形を持ってくる。それまでの辛抱だよ」
「それで勝てる?」
「少なくとも、負ける気はしない」
「……そう。まぁ、私はアッシュ君の言う通りにする。それくらいはしないとね」
左腕はなくなり、右腕は折れている。それでもアッシュは何とか立ち上がる。
「それじゃ、ひとまず二人で頑張ろうか」
「うん」
アッシュは人形を起動させ、できるだけ早く自分の元へ持ってくる。それでも、今すぐというわけにはいかない。
「《プロテクション》、《ガードアップ》、《エクスチャージ》」
自分とリーシャに改めて魔法をかけ、今度は防御寄りに強化する。それでも、全てを防げるなんて思えない。アッシュはリーシャの前に出ようとするが、リーシャに止められる。
「アッシュ君は人形を持ってくることに集中して。そっちの方が絶対に良い」
「……分かった。でも、気を付けて。死ぬ気でやるにしても、死ぬつもりなんて笑えないから」
「分かってるよ」
しかし、リーシャがどれだけ意気込んでもリーシャの武器は弓。近接戦闘でも鬼には遠く及ばない。そう長くは持たないことは確実だ。
(扱いに慣れるなんて甘いことは言ってられない。ただ速く、速く動かす)
アッシュが思い浮かべるのは森の中を走り抜ける姿。その通りに人形を動かす。多少転んでもそのまま転がってもいいし、アダマンタイトの体はその程度では傷付かない。
鬼が接近するのを妨害するためにリーシャは矢を何度も何度も放つ。鬼の動き出しを潰すようなその技量に、アッシュは舌を巻いた。逃げることができない極限状態になって、むしろ吹っ切れたということだろう。
ただ、矢の数にも限度がある。もう残り少ない。それを確認するとアッシュは焦りそうになったが、それでもあくまで冷静に努めようとする。両腕がダメになり、全身傷だらけの最悪なコンディションでも、リーシャが戻ってくれたことによる安堵で大分楽になっていた。
「アッシュ君、矢がなくなった!」
「ごめん、もう少しだけ!」
リーシャからの妨害がなくなり、鬼は一気にリーシャとの距離を詰める。驚異的な速度で一度リーシャを切り裂いた爪を振り下ろすと、リーシャは弓を盾にして攻撃を逸らす。軽く頬を爪がかすめるが、アッシュのかけた強化のおかげで薄皮一枚程度で済んだ。
だが、続く鬼の蹴りは腹にもろに受けてしまい、吹き飛んでアッシュにぶつかってしまう。
いきなりの衝撃を受けて倒れたアッシュだったが、集中は切らさずに人形を動かし続ける。
一方、リーシャはアッシュの上に倒れこんだ形になり、すぐに起き上がって鬼を確認すると、すぐさまアッシュに覆いかぶさった。
その行動に一瞬疑問に思ったアッシュだったが、次の瞬間、リーシャの胸から腕が飛び出てきた。
「ぐっ……がはっ……」
飛び出た腕の先、長い爪から血が伝い、アッシュの顔に落ちた。鋭い切っ先はアッシュの目前で止まっており、アッシュはその奥の腕に貫かれている方を見る。リーシャの胸を大きくえぐるように貫かれていた。
この時、リーシャがなぜアッシュにかぶさったのかを理解した。アッシュを守るためだ。咄嗟の行動でそれ以外できなかったのだろうが、アッシュはそんなことはしてほしくなかった。
今リーシャが貫かれている場所は、明らかに致命傷となっている。今すぐにでも息絶えてもおかしくない。
「リー……シャ……」
「アッシュ君……よか…………た……」
そう言ってほほ笑むリーシャの顔が苦痛に歪むと、腕は引き抜かれ、その穴から大量の血が溢れてきた。リーシャの体を支えていた両腕からも力が抜け、アッシュへと倒れこんだ。
そして、アッシュの目には自分たちを見下ろす鬼の顔が見えた。その顔を見た瞬間、アッシュの中で何かが弾けた。
「くっそぉぉ!!!」
あと少しの所まで持ってきていた人形を、無理矢理一気に自分のいるところにまで引っ張ってくる。
鬼はしばらく自分の腕についている血を舐めていたが、何かを感じ取ったのか人形の来る方に顔を向け、一気に後ろに飛んで距離を取った。
その数秒後、猛スピードで来ていた人形がアッシュたちの所で止まった。ここまで時間がかかったが、何とか持ってくることができた。大きさはアッシュよりも少し大きい程度の人形だ。
「リーシャ!大丈夫!?」
「えっと、ね…………」
リーシャを仰向けに寝頃がしてアッシュが問いかけると、リーシャは自分の手を穴の開いたところに当てた。すると、そこに緑色の光が集まっていった。
「これで……大丈夫……だから」
「そう、なの?」
「そう……。だから、あとは……たの……んだ、よ」
消え入りそうな声で話すリーシャは、これ以上は辛そうだった。アッシュはリーシャの肩に手を置いて、強く言う。
「大丈夫。まだ、行けるから」
リーシャがまた何か言おうとしたが、アッシュは自分の口を指で押さえて、リーシャに離さないようにと伝えた。これ以上は、全部終わってからと思ったからだ。
「よし、行くか」
アッシュは鬼とリーシャの間に立ち、自分の斜め前に人形を移動させた。
(ん?これ、思った以上にスムーズというか……スムーズ過ぎて少し気持ち悪い)
人形というから、アッシュは少しぎこちなさをイメージしていたが、今の人形の動きは、アッシュがそう意識したとはいえ、人間らしい滑らかな動きだった。
(これなら、何とかなるか?)
アッシュは自分にそう問うが、すぐに否定した。
{違う。何とかする!」
アッシュは鬼の動きに注視し、その動き出しを探る。向こうもアッシュの人形を注意して、同じように動き出しを探っているのだろうが、アッシュからは動かすことはできない。
実際に目の前得動かすのは初めてだし、しかも戦闘だ。どんな動きになるか分からない以上、攻撃逃げてリスクを負うことはできない。
お互いしばらく黙って睨み合いとなったが、十秒ほどすると、我慢できなかったのか鬼の方が先に動き出した。元々消耗していて焦っていたのだから、こうなることは必然だ。
鬼は目の前の人形に、これまでと同じように貫手を放つ。しかし、アッシュは防御はせず、そのまま鬼の攻撃を受けた。
ガキンッ!
その音と共に、鬼が驚愕といった表情をした。それも当然。鬼の目には自分の爪が砕け、その破片が待っているのが見えているだろう。
そして、アッシュはその隙を見逃さない。人形で鬼を全力で殴った。その時、メキメキという音を出し、鬼は吹き飛んで地面をはねた。
人形の体が全てアダマンタイトでできていることだけあって、鬼の爪は体に傷一つ付けず、その拳で打ち抜いた顔はぐちゃぐちゃになっていた。
だが、その傷でさえも鬼の再生能力で回復していき、元の綺麗な顔に戻ってしまった。
人形の一撃の威力は強大だが、どこを狙っても良いというわけではない。やはり心臓でなければならない。変わらずの狙いを定め、アッシュは人形を構えさせた。
先ほどは棒立ちの状態からの攻撃だったが、今度はもっと速く、もっと強く攻撃できる。