5 大賢者、鬼に遭遇する
リーシャと出会ってから一カ月が過ぎた。その間、アッシュが森に行くときには必ずと言っていいほどリーシャが現れ、二人は一緒に過ごしていた。
大抵はアッシュが人形作りの作業をしている間にリーシャが話しかけ、それにアッシュが返答するというものだったが、魔素を使い終わると一緒に森の中を散歩したり、獣を狩ったりしていた。
リーシャはいつも弓を持ってきており、ほとんどリーシャが獣を狩っているが、時々アッシュも魔法で援護していた。この時代では人間が生身で魔法を使うことはあまりないため、アッシュのその行動は人間からしたら忌避されるものだが、エルフのリーシャは特に何も思わないようだ。
アッシュはリーシャの使う精霊魔法に、最初は興味を持っていた。転生前はエルフと会う機会はほとんどなく、精霊魔法も使われるところを見たのは数回程度だ。
それだけエルフは秘密主義なところが大きいが、リーシャはアッシュに警戒していないのか精霊魔法を何度も使っている。
精霊魔法は体内の魔素消費に比べて、普通の魔法よりも強力だと言われていたが、その理由は周囲に存在する魔素を使っているからだということが分かった。
魔法には火、水、土、風、光、闇の六属性があり、魔素を持つ人間は大抵全ての属性の魔法を使えるが、人によって得意な属性と苦手な属性がある。
精霊魔法に使われる周囲の魔素にも風寄りの魔素や光寄りの魔素と言った属性に分かれており、それらの属性の魔素を適した魔法に使うのが精霊魔法だ。
人が魔法を使っても、体内の魔素には使う属性の魔法とは別の属性の魔素が存在する。一方、精霊魔法はほとんど大気中の一つの属性の魔素しか使わないため、普通の魔法よりも精霊魔法の方が強いのだ。
ただ、アッシュがどれだけ分析して試してみても、精霊魔法は上手くいかない。不発になるというよりも、大気中の魔素が全く反応しないのだ。アッシュは基本的に全ての属性の魔法に適性があり、あらゆる魔法をまんべんなく使える。
しかし、別に全ての属性が特別優れているというわけでもない。普通以上ではあるが、全て得意と言えるほどではない。こればかりはどうしようもないが、苦手な属性がないことはアッシュにとっては幸運だった。
アッシュが精霊魔法に失敗するのは、体内の魔素が原因というよりも、種族的な問題のようだ。エルフだからこそ、精霊魔法が使えるということだろう。
「アッシュ君、もう終わった?」
「今日の所は。まぁ、終わったと言っても、そう大したことはしてないんだけど」
アッシュが言う通り、実際には大したことはしていない。人形の形はできたが、それ以上は進んでいない。だが、何もしないわけにもいかないので、ただ魔素を使ってアダマンタイトを作るだけにしている。
自分の魔素で作ったアダマンタイトなら、アッシュは自在に変形させることができる。そのため、ストックを作っておく分には問題ない。
アッシュの後ろで座っていたリーシャは勢いよく立ち上がると、アッシュの手を取って隠れ家を出る。
「じゃあ、今日も探検しよう」
そう言って、いつもと同じようにリーシャはアッシュを連れ出す。
「ほらほら、元気出して」
「魔素使い切ってるから、少しだるい」
「そう?それじゃあ、元気をあげましょう」
リーシャはアッシュを引き寄せると、思いきり抱き締めた。身長的にアッシュの顔にリーシャのやわらかい胸が押し付けられる形にはなっているが、アッシュはそれに対してあまり慌てることはない。最初から、なぜかアッシュはリーシャに対して欲情することはなかった。綺麗だとは思いつつも、それ以上は思わない。アッシュはそのことを不思議に思ったが、考えてもよくは分からないので、もうそのままにしている。何も思わないのなら、それでいいだろう。
(にしても、僕が何も思わないからいいものの、こんなに無防備でいいのだろうか。弟のように思っているのかもしれないが、こんなに短時間で信用するなんて。まったく、先が思いやられる)
アッシュはそう思い、なおも抱きしめ続けるリーシャの体を引き剥がした。その時リーシャが物足りなそうな顔をしていたが、それは無視した。アッシュに元気をあげるという名目なので、リーシャが物足りなくてもアッシュはそれを聞き入れる必要はない。
「はいはい、もういいから。行くならとっとと行くよ」
「はぁい。アッシュ君は相変わらず冷たいね」
「言い方に問題があると思うけど?そういうの冷静とかだと思うけど」
「えぇ、それを自分で言う?」
「冷たいと言われるくらいなら、自分で言った方が良い」
「う~ん、確かに私もそうかも。能天気って言われるくらいなら、自分で明るいって言うし」
リーシャがそう言うと、アッシュは呆れたような眼でリーシャを横目に見た。最初は笑顔だったリーシャも、アッシュのそんな顔を見ると途端に頬を膨らませて拗ねてしまう。
「あ~、アッシュ君も私をそんな目で見るんだ」
「能天気って、他の人に言われたんだね。まぁ、少しは同意するけど」
「えぇ~、そんな~」
「でも、リーシャの言う明るいっていう方が合っているかもね。明るいの方が意味は広いし」
アッシュの言葉にリーシャ少し不満そうにしたが、すぐにいつも通りの笑顔に戻ってアッシュの頭を撫でた。
「アッシュ君はいい子だね~。私を慰めてくれる」
「そう?慰められたならいいけど、そんなつもりはなかったんだけど」
「無くても大丈夫。私がそう感じたんだから」
そういうものか、と思いつつ、アッシュはまだ自分の頭を撫で続けるリーシャの手を退かす。しかし、その手は再びアッシュの頭の上に置かれて動かされる。それを今度は少し勢いを付けて払うと、今度は一をずらして手を動かす。
(これ、もはや撫でるとは言わないのでは?)
そう思いながら、アッシュは手を弾き、リーシャは諦めずにアッシュの頭に手を置く。その攻防を何度も繰り返しているうちに激しくなっていった。
そして、繰り返しているうちにいくらか経ったとき。
「はははっ」
「ははははっ」
どちらからともなく、二人は笑い始めた。二人は自分たちの行動がいかにもおかしくなり、やめ時のわからなくなった行為を意味もなく続ける。
「リーシャ、どうしてやめないの」
「え~、何か楽しいから」
「いや、楽しいからって……」
「はいはい、諦める諦める~」
リーシャは鼻歌を歌いながら、アッシュの頭から手を離さない。
(ご機嫌すぎるでしょ。そんなに良い物か?)
アッシュがリーシャの行為を諦めて認めようと手を下げようとしたその時、二人は全身を打ち付けるような殺気を感じた。
リーシャもさすがにアッシュの頭から手を放し、弓を構えた。アッシュもリーシャと自分に身体強化の魔法をかけておき、敵に備える。
「ねぇ、どうする?」
「……気配がこっちに向かってきてるし、どうにも逃げられそうにないかな」
「だよね。僕もそう思う」
「今更だけど、アッシュ君手本当に十歳?」
お互い話しているが、視線は決して殺気が向く方からは逸らさない。
「それ、今必要かな?今更過ぎ」
「いや~、こんなことでも言ってないと、なんかおかしくなりそうだから」
リーシャがそういうのも仕方がない。アッシュですら、これだけ濃密な殺気はあまり浴びたことがない。前世では殺気を向けられることはよくあったが、そのほとんどが生物の範疇に収まった気配だった。
(ここまでの気配って……どうしたもんか)
アッシュはちらりとリーシャの方に視線を向けると、リーシャは歯を食いしばり、弓を持つ手や足は震えていた。そしてアッシュは自身の手を見下ろすと、自分も知らぬうちに震えていることが分かった。
「……さっき開けたところがあったから、ひとまずそこまで下がろう。ここじゃ動きづらくて仕方がない」
「そ、そうだね」
二人はゆっくりと先ほど通った場所まで下がると、茂みから出てくる何者かに備えた。
アッシュは自分の心臓の音が速くなり、汗が全身から噴き出ているように感じた。これほどの感覚は、転生するときに感じた時以来だ。
(さてさて、何が出てくるやら)
待っている間の時間はとても長く感じられたが、別の方向へ去ってくれるということはなく、待っていれば自然と姿を現す。
「来る」
リーシャがぼそりと呟くのと同時に、茂みの向こうから少女の姿をした何かが現れた。
肌が色白で、白い着物を着て、髪も白、赤く光る眼は印象的で、それだけ見れば美しい少女なのだが、ただ単純にそれだけなわけがない。
一番目を惹くのは、額に生えている二本の角。明らかに人間ではない。
「な、何あれ……」
実際にその姿を見て、それが知識にないものだったためか、リーシャの顔には先ほど以上の恐怖が浮かぶ。
だが、アッシュはリーシャとは逆で、知っているがゆえに自らの不運を呪った。
「鬼か……」
それははるか昔、人と神の間に生まれた存在と言われた魔物だった。