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人形使いは再び極める  作者: 二一京日
黒い霧編
30/33

20 人形使い、再会する

 アッシュはうっすらと意識を戻す。意識を失ってからどれくらい経ったのか分からない。ただ、周囲を見渡して見ても、特に何かがあるわけではなく、ただ薄暗い空間が広がっているだけだ。


(あぁ、まだ起きたというわけじゃないのか)


 薄暗いその場所が、自分の無意識の中だとアッシュは直感した。


「…………」


 どこからか、アッシュのことを呼ぶ声が聞こえるような気がした。

 アッシュは周囲を見渡して見るが、遠くまで良く見えない。だが、自分の無意識の中で誰かに呼ばれるというのがおかしなことだと思い、アッシュは気のせいだということにした。


「…………アッシュ……」


 しかし、今度は名前がはっきりと聞こえた。アッシュの名前を呼ぶ声がはっきりと。

 勘違いなどではないと分かったが、一体どこからなのかは分からない。周囲一帯から聞こえてくるような気がして、方向が定まらない。

 いや、そもそも無意識の中で方向などというものはないのかもしれない。その声の主は、無意識の中でアッシュと一体化しているようだとアッシュは感じた。不思議とその声には違和感を感じない。聞いたことがない声で、違和感は感じてもおかしくないのに、その声を当たり前のものだと思ってしまっている。


 ごくごく自然に名を呼ばれるが、それを心地いいものだとは思わない。違和感はないが、あまり良い気はしない。なぜだろうか、とアッシュは考えたが、その答えはすぐに出た。


 アッシュの目の前に姿を現した一人の少女。その少女がアッシュの名を呼んでいた。

 しかし、見た目は少女でもその実態は普通の人とは明らかに違う。そして、その姿には見覚えがあった。


「お前は……」


 アッシュの左腕を奪い、リーシャが一度死ぬことになった出来事を思い出した。目の前にいる少女は、その時の鬼そのものだった。


「久しいな、アッシュ」

「どうして……」


 あの時は特に言葉を交わすことはなく、お互いただがむしゃらに戦っただけだ。自身の命の危機が迫り、もう駄目だと諦めかけたこともあった。アッシュにとっては、人生において絶望の象徴とも言える相手だ。

 アッシュでこれなのだから、リーシャが対面してしまっていたらどうなっていたのか分からない。まだ自分で良かったと思う反面、どうせなら二度と会えない方が良かったとも思っていた。


「あの日、お前に殺された私は次に目を覚ますと、お前の中だったのさ。まぁ、すぐに気付くことはできなかったがな」

「どうして、僕の中にいるんだ……」


 震える声でアッシュがそう問いかけると、鬼はうっすらと笑みを浮かべて答える。


「そんなこと、私が知るわけがないだろう。私がここにいる意味、まだ意識がある理由、何にも分かりはしない。全てが謎だ。鬼である私が人間の体に収まってしまうとは、滑稽な話だがな」

「こっちは全然滑稽で済む話じゃないんだよ。とっとと出て行け」


 つい口調が荒くなるアッシュだったが、それも仕方のないことだ。ただでさえあまり思い出したくないことなのに、目の前でその記憶を突き付けられるようで気分は最悪だった。

 嫌悪感を恐怖がアッシュの動きを固くする。鬼はかわいらしい少女のような見た目をしているのに、そのかわいらしさに不気味さすら感じていた。


 出会った時もそうだった。ただ嫌悪感と恐怖の身を与える存在でしかなかった。いくら弱っていたとはいえ、侮れるような相手ではなかったし、今はもうは完全に調子を取り戻しているようだ。アッシュの中にいる彼女が何かできるのかは分からないが、何もできないと決めつけることはできない。曲がりなりにも鬼なのだ。人であるアッシュとは根本的に違う。


 そんな警戒心むき出しのアッシュに鬼は一つため息を吐くと、少し困ったような表情をした。


「致し方ないとはいえ、いくらなんでも警戒のし過ぎではないか?もう少し心を開くということをしてみてはどうだ?」

「断る。何で鬼に心を開かなくてはならない。そんなことよりも、僕は早く戻らないと」

「戻ってどうする?」


 焦るアッシュに鬼はただ冷静に言葉を紡いでいた。その問いかけは、アッシュに冷や水を浴びせるかのようで、アッシュの背筋が凍った。


「この状況、戻ったところで今のお前にどうこうできることなのか?」

「どうにか、できるはずだ。少なくとも、この世界で不可能と断言できることはあまりない。出来ないのなら、それはただ単に力が足りないだけ。試すぐらいのことはできる」

「私の推測ではどうにもならないと思うがな。お前自身も思っていたことではないか。魔素が足りないのだよ、もうとっくに。私の魔素まで持って行きそうになっていたというのに」

「お前の魔素を?どうして」


 なぜ、アッシュの体の中にアッシュ自身の魔素と鬼の魔素があるというのか。一つの器に入る魔素は一種類のみのはず。それが常識だ。その常識に反することを、アッシュは信じられないと思うのと同時に、意識してみると鬼の魔素を感じたことに驚いていた。その状態がどれだけ歪なのか、アッシュには経験がないためよく分からない。だが、生物の在り方としては明らかにおかしいのは間違いない。


「僕の体は一体、どうなってるんだ?」

「そんなの私が知るわけがないだろう。それよりも、お前には気にすべきことが他にあるだろう?」

「……今の僕じゃどうにもできないってことか?」

「その通り。よく分かっているじゃないか。どうにもならん」


 はっきりとした物言いにアッシュは歯を食いしばった。

 そもそもこうして何もできなくなったのは、ほとんどアッシュの自滅だ。自分を過信した結果の事。つまりアッシュの力不足でしかない。それを分かっているため、アッシュは何も言い返せない。


 そんなアッシュを見て、また鬼はため息を吐いた。しかし、今度はため息の後に笑みを浮かべていた。


「確かに、こんなのものに支配されてしまえば、どうにもならなくなるのは仕方がないな。私も見るのは久しぶりだ」

「お前は、これを知っているのか?」

「知っているさ。鬼はお前たち人間よりもよっぽど長生きする。人間が知らないようなことも、色々と知っているものだ」

「…………」

「私に聞くのは不服そうだな」

「当たり前だろう」


 見透かしたようにアッシュに言う鬼に、アッシュは腹を立てていた。自分のせいで起きたことに対する八つ当たりなのは分かっていても、目の前の鬼のことは心が認めない。おそらく、決して相容れない存在ということなのだろう。アッシュはそれを本能で理解した。


 だが、それとこれとは別問題だった。少しでも情報を手に入れたいという思いも確かにある。鬼の言う通り、アッシュは鬼に教えてもらうことを良いとは思っていない。それはアッシュの個人的な感情に基づくものだが、アッシュがそこを変えることはないだろう。


 だが、自分のことを考えるなら鬼から情報を得ることは有益なことだ。幸いなことに、鬼は今はアッシュに対して敵対行動をとっていない。どちらかと言えば、アッシュの方が敵意をむき出しにしているくらいだ。


 その状況を自ら理解し、アッシュは少しだけ落ち着くことができた。鬼に警戒している自分が、まるで手負いの獣のようで、惨めに思えてしまったのだ。もちろん、警戒を全くしないというわけにはいかないが、それでも少しは鬼のことをしっかりと見てみようとは思えた。


「ようやく話ができそうだな」

「最初からそのつもりだったのか?」

「そうだ。私はこれでもまだ自分が生きていると思っているからな。こんなところで、あの薄気味悪い霧に侵食されるのかごめんだ」

「それはお互い様、ということね」

「そういうこと。というわけで、私はお前に協力する用意がある」

「協力?」


 アッシュは鬼の言葉を疑わざるを得ない。今は敵意は感じられないとはいえ、一度は殺されそうになった相手だ。いくら手段を選んでいられない状況でも、相手が鬼となるとすぐに認める気にはなれなかった。


 それでもアッシュには、何かしらの手段が欲しい気持ちがあった。ゆえに、鬼の言葉に耳を傾けざるを得ない。


「協力ってどういうことだ?」

「そのままの意味。私の力を貸してあげようってこと。さっき、お前が私の魔素も吸い上げようとしたことは言っただろう?さっきは抵抗したけど、今度は貸してあげようってことさ」

「……良いんだな?」

「もちろん」

「途中で止めるとか言っても、こっちは聞かないぞ」

「さて、それはどうかな」


 鬼が不敵に微笑む様子が薄気味悪く、アッシュはそれ以上は何かを聞こうとは思わなかった。鬼の魔素というものを改めて意識すると、少し気持ち悪くなるが、それを堪えてアッシュは鬼へと手を伸ばした。


 鬼との距離はかなり開いていて、手を伸ばしたところで届かない。だが、その手に魔素が吸い寄せられている感覚があった。先ほど無意識に吸い上げていたと鬼は言っていたが、アッシュは今でも信じられなかった。今アッシュが掌に集めている鬼の魔素は、やはり人とは明らかに性質の異なるもので、人が扱っていいような代物には思えなかった。


 もし、鬼に何も言われなければ、その魔素を何も考えることなく使っていたかと思うと、アッシュは背筋が凍った。

 しかし、今は使うしかないとアッシュは思っていた。もしかしたら、焦って思考が限定されてしまい、この方法しかないと思い込んでいるだけかもしれない。本来ならもっと他の方法を思いつくことができたかもしれない。鬼が目の前にいるせいで、考えが纏まっていないだけかもしれない。


 だが、それでもいいとアッシュは思った。たとえこの判断が正しくないものだったとしても、後に後悔する類のものだったとしても、状況を打開するために今決めたことならそのまま突き進むしかないと心に決めた。


「まったく、こんなことになるなんて最初は考えもしなかった」


 未来へ転生しようと決めた時、アッシュはここまで面倒なことになると思っていなかった。何かを極める時は、その途中で大きな出来事に直面することは避けられないが、鬼と協力することは想定外だった。


 転生してから想定外の事が起こりすぎている。それを楽しむ気持ちが全くないわけではないが、少しは落ち着かせてほしかった。アッシュは楽にできるならできるだけ楽にやりたいし、面倒を避けられるなら避けたいとは思う。そう思い続けても、どうしてもその面倒に足を突っ込んでしまう。面倒だと思っても、それ以上にやりたいことがあり、やらなくてはならないことがあると信じているからだ。


 そして、今鬼の力を使うことは必要なことだった。アッシュは力を借りるとは思いたくはなかった。ただの我儘であり、意地ではあるが、鬼に借りるということは認めたくはなかった。だから、使うと定める。


「くっ……」


 鬼の力が自分の中に流れることを思うと嫌悪感があったが、それは錯覚ではなかった。自分の体が侵食されていくような感覚にアッシュは吐き気を覚えた。黒い霧に侵食された時よりもひどい感覚があった。

 黒い霧よりも、むしろ鬼の方がまずいのではないかと思ってしまうほどだ。しかし、そう思ったところで今さら止めることはできない。止めてもどうにもならないのだ。


「そうだ。そのまま、私の力を吸い上げろ。吸い上げて吸い上げて吸い上げて、私の力を使ってみせろ」


 鬼の魔素を吸い上げてから、体の中で鬼と黒い霧がお互いを排除しようとぶつかり合っているのを、アッシュは感じ取っていた。体が熱く燃えるようで、全身に鈍い痛みが走る。耐えられないほどではないが、この状態がずっと続くことは避けたかった。


 だからこそ、アッシュはより多くの鬼の力を得ることにした。そうすることで、体の中の黒い霧の不快感は収まっていき、段々と鬼の力にも慣れていった。この慣れが良いものだとはアッシュには思えなかったが、背に腹はかえられない。


「さぁ、いよいよ目覚めの時だ。私の力でお前の邪魔をすることごとくをねじ伏せてこい」

「お前に指図される謂れはないよ」


 アッシュは鬼の力が自分の中を満たすのを感じ、これまでとは比べ物にならない力を得た気分になっていた。その感覚に流されそうになる所を、何とか理性で抑え込む。

 今は鬼の力がどんな影響があるかを考える時ではない。ただ、すぐ目の前の脅威である黒い霧を排除して、ナシュマンを救い出さなければならない。


「さてと、そんじゃまぁ、行きますか」


 アッシュはそう自分に言い聞かせ、そして、意識が覚醒していく。

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