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人形使いは再び極める  作者: 二一京日
黒い霧編
29/33

19 人形使い、見誤る

 その時は一瞬だった。


「まずっ!」


 アッシュは目の前からナシュマンが消えた瞬間、咄嗟に全方位に障壁を張って防御した。どこから来るかなんて、勘だけを頼りにできるほど、アッシュは自惚れてはいなかった。

 そして、アッシュが反応できる暇もなく、障壁に強い衝撃が加わり、一撃で砕け散った。


 瞬時に全身に魔素を巡らせると、腹に蹴りが撃ち込まれ、アッシュは吹き飛んでいった。

 アッシュの体は何度も地面をバウンドして転がり、アッシュが体勢を立て直して立ち上がるものの、体が少しふらついた。魔素で体を強化して防御力を上げていたが、ナシュマンも攻撃力が上がっていて、防御の上から強力な一撃をもらってしまった。


 アッシュの頭の中で、常に距離を取りたいという考えが浮かび続けるが、すぐにそれを無理矢理否定する。そんなことは不可能だ、と自分を追い込んでいく。


 ただ戦う、という気持ちだけでどうにかなるほど、相手は甘くはない。そもそもこの距離では相性が悪いのだから、自分自身の限界というものに挑んでいかなくてはならない。


(相性の良し悪しなら間違いなく悪いんだけど……一気にどうにかできるような策はない。なら、一つ一つどうにかしていくしかない、か)


 アッシュはひとまずナシュマンをどうにかするよりも、黒い霧をどうにかする方を優先することにした。

 いくらなんでも、ナシュマン自体が強力すぎて、黒い霧を相手にする方がまだ楽、と思ったのだ。結局のところ、やってみなければ本当にそうかは分からないが、考えに考えた魔法を身体能力で超えられるのは、アッシュとしては複雑な気持ちだった。


 魔法は絶対のものだなどという自惚れはないが、自分が長い時間をかけて編み出した物を一瞬で越えられるのはあまり良い気はしなかった。


 だが、いい気はしないというだけで立ち向かっていくほど、単純に考えてもいない。所詮、その程度だった。ならそれでもいい、と思っている。優先順位を間違えてはいけない。何よりも大事なのは、今この場でナシュマンを救うことだ。


「《ファーラ・イス》」


 新たに神聖属性の魔法を義手に刻み込んだ。黒い霧、というのは見るからに邪悪に見えたためだ。禍々しい雰囲気を発しているそれが、まさか神聖なものだった、などという冗談は勘弁してほしいと願った。


 アッシュはナシュマンの攻撃を躱して、今度は下がるのではなく、逆に一歩踏み込み、神聖魔法を刻んだ義手をナシュマンの体へと突き出した。


 拳を握るのではなく開き、触れるようにナシュマンの体に掌を当てる。その掌が白い光を放ち、その光はナシュマンの体へと伝わっていく。


 光はナシュマンの体を包み込み、黒い霧をも飲み込んでいくように見えた。

 しかし、それは一瞬で、すぐに黒い霧が内側から漏れ出て、逆に白い光を飲み込んでいく。一度飲み込まれると、そこからは呆気なく白い光は消え去ってしまった。


「ダメか……」


 アッシュはすぐに諦めてナシュマンから距離を取り、地面を操ってナシュマンの動きを少しでも妨害する。いくらナシュマンでも、一瞬くらいは動作に遅れが出る。その間に、風を操って自分をさらにナシュマンから距離を離す。


 単純に黒い霧を邪悪なものとして捉え、それを神聖な魔法で払おうとしたが、そう簡単にはいかないようだ。いくら見た目が禍々しくとも、それが必ずしも邪悪なものとは限らない。


 黒い霧が一体どういうものなのかは、今すぐに分かるものではない。ただ、魔素と反発していることくらいしか分からない。それを利用すれば、どうにかできるかもしれない方法はアッシュには思いついていた。


 しかし、そのやり方はリスクが高すぎるのに反して、結果が伴うかどうかは全く分からないのだ。最悪、ただ黒い霧を払えないだけでは済まなくなるかもしれない。


「っと、あぶなつ!」


 考え事をしていたら、いつの間にかナシュマンがアッシュに接近して殴りかかっていた。これを躱すのはできなさそうだったので、何とか防御するが、その攻撃の重さが先ほどよりも上がっていて、受け切れずにアッシュは吹き飛ばされた。


 風の魔法で体を飛ばしている最中だったため、あまり踏ん張ることができず、壁に激突した。何とか衝撃は押さえたが、一瞬意識が飛びかけた。頭が回らず、相手がどう動くのか見えないし分からないが、アッシュは咄嗟に守らなければ、と思った。


「《ファーラ・イス》」


 激突した壁から土棒を射出して自分の体を飛ばすと、先ほどまでアッシュがいた場所で衝撃音が響いた。宙を飛びながら目を向けると、壁にナシュマンの拳が撃ち込まれ、粉々に砕けているのが見えた。

 受け身を取ってすぐに立ち上がるものの、冷や汗が流れているのを感じ、背筋がゾッとした。今のはくらっていい攻撃ではない。何とか避けることはできたが、次も同じようにいく保証はない。


「仕方ないか。博打感がすごいけど、早くどうにかしないとこっちがやられそうだし。《ファーラ・イス》」


 地面から棒を何本も出してナシュマンの動きを抑える。体に力が入りにくい体勢にして抑えているので、これで一瞬でも動きを止められる。


「さて、上手くいくかどうかは運しだい、と。そんなことしたくないんだけど、仕方ないか」


 左腕をナシュマンに向けると、義手を通して体内の魔素を掌に集める。ナシュマンに、まだ動くな、と願いつつ、ギリギリまで溜め続ける。ナシュマンを押さえつける棒がきしみをあげる音を聞き、冷や汗が止まらない。ピシピシ、というきしむ音にヒヤヒヤしながらありったけの魔素を貯める。ここで魔素を使い切ってしまえば後がないことは分かっているが、温存して失敗しては元も子もない。


 アッシュはできることなら、こんなギリギリの一か八かの戦い方を選びたくはなかった。しかし、ナシュマンと相対してみると、想像以上に自分の戦い方が上手くいかないことが分かった。リーシャがいればまだ楽だったのだろうが、いないものを言っても仕方がない。今はリーシャにはイサナの方にいてもらった方が良い。


「そろそろ限界か」


 ナシュマンを押さえている棒がもうもたないと判断したアッシュは左手に溜めた魔素をナシュマンに向けて一気に解放した。直前まで押さえ込んでいた魔素は突如放たれたことにより、膨大な魔素がナシュマンへと殴りつけるように吹き付けられた。


吹き出される魔素の圧力に耐えかねて、ナシュマンを押さえつけていた棒は一瞬で砕け散った。同時にナシュマンも飛ばそうとするが、何とか踏み止まってアッシュの魔素を受け切っている。


 本来魔素はそれ単体では現実に対した影響はもたらさず、魔法に変換して初めて干渉することができる。しかし、今のアッシュのように膨大な魔素を一気に放出すれば、その魔素だけで勝手に世界に干渉することがある。昔から、その土地の魔素が荒れるとその影響が自然災害として現れることは分かっている。今アッシュが魔素をぶつけて起こしているのは、局地的な災害だ。


 その災害の中でも、ナシュマンはいまだに立ち続けている。しかも、その目には闘志が宿り続け、その足も少しずつ前に出ていた。

 だが、それに対してナシュマンの体を覆う黒い霧は徐々にその勢いを衰えさせ、アッシュの魔素の勢いに吹き飛ばされようとしていた。このままいけば、ナシュマンから完全に黒い霧をはがすことができるかもしれない。そう思うものの、一方でアッシュは内心では焦っていた。


(これでダメだったら本当にヤバい。後がなくなる。そうなった時は……その時の僕に任せるか。今は目の前に集中。結局、ここで黒い霧を全部吹っ飛ばせればそれでいいんだから)


 撃ち放つ魔素にアッシュは全て吹き飛ばす、という強い気持ちを込めて、さらに魔素で黒い霧をはがしていく。だが、気持ちとは裏腹にものすごい勢いで自分の中から減っていく魔素に焦りを禁じ得なかった。もしかしたらダメかもしれないというネガティブな考えが頭の中をよぎり、放出する魔素の勢いを弱めそうになるが、その考えを振り払って魔素を放ち続ける。


 ナシュマンを覆う大半の黒い霧が吹き飛び、後はうっすらと覆っている物のみという所まで来たが、その残りのあと少しが問題だった。いくら魔素をぶつけてもはがれる気配がしない。

 黒い霧が薄くなったことで、ナシュマンが意識を取り戻す、などと期待するアッシュだったが、目の前のナシュマンは変わらず虚ろな様子のままだ。


 少しは期待したのだが、やはり魔素を全く持っていなければ抵抗はできないようだ。奇跡でも起きて、ナシュマンが意識を取り戻してくれれば、アッシュはどれだけ楽になれただろうか。


 そんな期待が一瞬でなくなったアッシュは、ラストスパートをかけるように魔素を放出する勢いを増して黒い霧を吹き飛ばす。


 吹き付ける魔素の勢いは最初と変わらないが、どうやらナシュマンはそれに慣れ始めたようで、少しずつアッシュへと近付いてきた。今魔素を放出することに意識を集中させているアッシュは、身動きが取れない。黒い霧を吹き飛ばす前にナシュマンに攻撃されれば、それで終わりだ。


 その考え自体が危険だったのか、アッシュは一瞬ナシュマンの目が鋭くなったように見えた。そして、それを理解するより先に、ナシュマンは一気にアッシュの目の前へと接近してきた。


「え?」


 そんな腑抜けた声しか出せず、次の瞬間、アッシュの体は空高く打ち上げられていた。体に衝撃を感じ、何が起きたのかを理解しようとする。しかし、あまりに突然のことに理解が追い付かない。軽くパニックになり、魔素の放出は完全に止まっていた。


 宙に浮いていた体は地面へと落下し、アッシュは全身を強く打ち付けた。碌に受け身もとれずに落ちたため、体中の痛みに呻く。


「がはっ……っつ……」


 アッシュは考える気力が失せてきていたが、目に映る光景は認めなければならなかった。


「ったく、ふざけんな」


 せっかくあと少しの所まで黒い霧を吹き飛ばしたというのに、アッシュが魔素を吹き付けるのをやめたその瞬間に、ナシュマンの纏う黒い霧はその勢いを取り戻していた。

 それに対して、アッシュは魔素の大部分を消費してしまっており、肉体のダメージも合わさって体を起こすので精一杯だ。


 悪態を吐いたところで、現状は何も変わりはしない。黒い霧は完全に元に戻り、アッシュは魔素を大量に消費した状態。もう一度同じことをやれと言われても、今のアッシュにはできない。


「どうしろって言うのさ、これ」


 アッシュは何とか立ち上がるものの、ナシュマンから距離を取り、下がってしまう。

 今のままでは決して勝てない。だが、切り札になるようなものはない。ナシュマンを死なせないことを大前提としている以上、危険な魔法は使うわけにはいかない。どうしても、甘い攻撃になってしまう。それが何度も通じるわけはなく、先ほど魔素を吹き付けた時が最後の機会のようだった。少なくとも、アッシュにはもう一度同じことを言われてもできる自信がなかった。


「さてさて、どうするか……っ!?」


 突如背筋を駆け抜ける悪寒にアッシュは体を体を強張らせるが、体があまり上手く動かなかった。何かでアッシュの体を押さえつけられているようだった。


 アッシュは恐る恐る自分の体に目を向ける。見下ろす両手にはうっすらと黒い靄がまとわりついていた。それを見た瞬間、明確にアッシュの中に嫌悪感が生まれた。


「くそっ!」


 咄嗟に体から魔素を放出して体を覆う黒い霧を弾こうとする。しかし、ナシュマンに魔素を大量にぶつけたことで、今アッシュの中には黒い霧に抵抗できるほどの魔素は残されていない。


 これはいくら何でも凶悪過ぎた。いくら魔素の少ない対象に乗り移るといっても、アッシュはここまで見境がないとは思っていなかった。安易に自分なら抵抗できると思っていた。しかし、実際に体の中に侵入を許してしまい、追い出そうとしてもその力が残っていない。


 悔しさに顔を歪ませるアッシュだったが、その意識は段々と薄れていく。自分の精神が黒い霧に飲み込まれていくのを感じながら、抵抗しようとするができない。


(これは……本格的にヤバい……)


 そして、アッシュの意識は完全に途切れた。


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