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人形使いは再び極める  作者: 二一京日
黒い霧編
26/33

16 超人、再戦する

 ナシュマンは寮に荷物を置くと、寮から出て少し散歩をすることにした。部屋で時間を潰すことも考えたが、今後の学院生活において一人に慣れる場所を探すことも大切だと思い、散歩しながら探そうと思ったのだ。


 この間の試験の時に見つけた場所は、あっさりとアッシュにも見つかってしまい、一人の場所とはならなかった。

 アッシュの件でもそうだが、そう都合よく一人きりに慣れる場所など見つかるとは思えないが、それでもナシュマンには必要だった。


 アッシュが悪い人間ではないことはナシュマンにも分かったが、かと言って信用できるかは別問題だった。アッシュのように気安く近づいてくる人間は今まで信用できない人間ばかりで、ナシュマンのことを利用しようとする者ばかりだった。


 これまで警戒し続けて足元をすくわれないように過ごしてきた。アッシュが近づいてくることで、その警戒に緩みができてしまうのを恐れたのだ。


 人の波から外れていき、人の気配がしない方へと進んでいく。

 人がいない場所に向かうにつれて周囲の様子も変わっていき、少しさびれた雰囲気が出ていた。さすがに王立の学院なだけあってそんな場所でも管理は行き届いているみたいだが、人の目が触れるところに比べると自然ぽいところがある。


「この辺りは良さそうだな。少し寮からは遠いが……いや、それくらいの方が良いか」


 ちょうど良さそうな場所を見つけ、少しこの辺りでのんびりしようと思ったナシュマンだったが、近くで感じた人の気配に舌打ちした。


「こんなところにも人がいるのか。面倒くさい」


 感じた人の気配から逃れるようにその場所を離れるが、人の気配は遠ざかることはなく、むしろ近付いてきているように感じられた。しかも、その気配はただの気配ではなく、どこか嫌な視線も感じていた。


 ナシュマンはため息を吐いて立ち止まると、振り返る。

 そして、しばらくすると、建物の陰から一人の女子生徒が現れた。


「なんだ、貴様は?なぜ私を付け回す?」


 ナシュマンはそう問いかけるが、相手は何も答えることはなく、持っていたトランクを開いた。すると、そこからはナシュマンにも見覚えのある人形が出てきた。


 一昨日の試験で戦ったシルフィーだ。シルフィーを使うユリアのことは全く覚えていなかったが、空を飛ぶ人形は印象に残っていた。そのおかげで、目の前にいるのがその時の相手だと分かった。


 だが、シルフィーは前とは違って黒い霧をその身に纏っており、嫌な予感がナシュマンはしていた。目の前のユリアが友好的ではなく、ナシュマンと戦おうとしていることはすぐに分かったが、シルフィーが以前とは明らかに違う。しかも、今はナシュマンは武器を持たず手ぶらだ。


「いや、必要ないか。人形を砕くだけなら、素手でも全く問題はない」


 本来、人形の体は職人が道具を使って加工して仕上げる、高い硬度を持つのだが、ナシュマンにとっては一般的な戦闘人形の体はどれも一般人にとってのガラスと同じようなものだ。拳で砕くことは難しくない。


 ナシュマンは警戒はしつつも、余裕の姿勢は崩すことなくシルフィーを見る。


 試合開始の合図はなく、先に動いたのはシルフィーだった。黒い風が周囲に吹き荒れ、いくつも黒い竜巻が現れた。


「黒い風、か。気味が悪い、と私が言うことではないか」


 ナシュマンは自嘲気味に笑うと、一気に駆け出して目の前の黒い竜巻を殴りつける。

 風は散り散りになり、竜巻は霧散する。それだけでは終わらず、自分に迫ってくる竜巻のことごとくを殴り、蹴ることで霧散させていく。


「どんな力に手を出したのか知らんが、所詮はこの程度か」


 竜巻を全て片付けると、地面を蹴って一気にシルフィーの元にまで迫ってぶん殴る。しかし、その拳の前に黒い風の壁が現れ、ナシュマンの拳を止めていた。攻撃が阻まれたことに苛立ったナシュマンは、拳を押し戻されることなく、そこからさらに一歩前に出る。


「こんなもので!」


 全力を込めると拳は風の壁を突き破ってシルフィーへと迫った。だが、シルフィーは拳が届く前に風で上空へと逃れてしまっていた。


 ナシュマンは最初から全力で殴ったつもりはなく、軽く殴る程度だった。試験の模擬戦の時の実力から、その程度で十分だと判断したからだ。


 だが、シルフィーは予想以上に力を付けていた。一瞬だけとはいえ、ナシュマンが全力を出さなくてはならないほどに。今の風の壁は竜巻とは違って、ナシュマンの攻撃の一点にのみ集中させていたために、想像以上の硬さを持っていたのだろう。


 ナシュマンが全力で攻撃をしたことなど生まれてからあまりない。大抵が全力を出す前に相手が壊れてしまうのだ。だが、目の前のシルフィーは体だけで言えば全力を出すまでもないが、能力はかなり強化されて厄介なことになっている。


「面白い。精々私を満足させてみせろ」


 シルフィーを見上げるナシュマンは笑みを浮かべ、拳を握り締めた。

 模擬戦の時は投げつけた剣を足場にしてシルフィーの元にまで跳び上がったが、今はその剣はない。魔法が使えないナシュマンには、足場無くしてシルフィーまで近づくことは難しい。


「まぁ、この程度ならどうにでもなるだろう。ただ少し届かないだけで、攻撃を当てれば問題はない」


 ナシュマンは一気に跳び上がってシルフィーに向かって行った。さすがに足場がないため全力で飛ばなくてはならなかったが、その勢いならばシルフィーの所には届きそうだった。


 しかし、それを黙って見過ごす相手でもない。

 跳び上がるナシュマンを上から押さえつけるように黒い突風が吹き、一瞬だけ拮抗したものの、足場のないナシュマンはすぐに地面に叩き落とされてしまった。


 激しい音と土煙の中から、立ち上がったナシュマンは服に着いた汚れを払ってシルフィーを見上げた。十五メートルほどの高さからものすごい勢いで落ちてきたナシュマンだが、一切怪我はしていない。一応、受け身を取ったが、ナシュマンにとってその程度の高さから落ちたとしても大したダメージにはならない。


「面倒だな、あの風は。吹っ飛ばすか」


 ナシュマンは少し腰を落として拳を強く握りしめた。

 目を閉じてゆっくりと深呼吸すると、次の瞬間、目を開き、一気に拳を上空へと撃ち放った。それだけのことをしても、拳が届くわけがなく、空気を叩くだけ。人間が同じことをしてもどうにもならないし、人形であっても風の魔法を使うくらいでないと何も起きない。


 しかし、ナシュマンが空気を打ち抜くと、拳の勢いに負けて辺り全体の空気が一気に突風となってシルフィーへと襲い掛かった。

 下から上への風であるため、地面に落とされることはない。だが、人形にも操れる距離の限界というものがあり、一定以上上空に行ってしまえば人形を操ることができなくなってしまう。そのため、下から突風が来てもそれに乗ってさらに上空へ、というわけにはいかない。


 結果として、風に流らされないように何とかシルフィーは同じ高さを保つが、シルフィーの体は風に乗りやすいように軽く出来ている。この状況で安定して空中に居続けるのは難しい。

 シルフィーの体は何度も何度もぐらつき、安定させることができない。流されないようにするので精一杯な様子だ。ほんの短い間の突風ではあるが、それだけ隙ができればナシュマンにとっては十分だった。


 地面を一気に蹴り上げ、シルフィーの所にまで到達する。黒い風を使って応戦しようとしているが、ナシュマンの生み出した突風の方が勢いが強く、上手く操れないようだ。


「その程度では話にならん。出直してこい」


 視線を安定させるだけで他には何もできないシルフィーを、ナシュマンは全力で殴った。

 一昨日の試験の時は胴体を破壊するだけで澄んだ。だが、今回はそれだけでは済まず、胴体は砕け、その衝撃は各部位にまで伝わり、腕や足、頭は全てバラバラになり、形の残った部位にも大きくひびが入り、無残な姿へとなってしまった。

 壊されてしまったシルフィーはそのままなんの支えもなく落ちていき、乾いた音を立てて地面に転がった。同時にユリアも糸が切れたように倒れてしまった。


 突風は止み、ナシュマンは軽やかに地面に着地する。壊れた人形が散乱する場所にまで歩くと、そこには異様な核があった。ナシュマンは人形を使わないとはいえ、少なからず知識はある。シルフィーの持つ風属性の核は、本来なら緑色の核があるはずなのだ。


 だが、シルフィーの持っていた核は黒く濁っており、うっすらと緑色が見えるだけだった。


「どういうことだ、これは?」


 ナシュマンは気になってその核を手に取った。

 その瞬間、ナシュマンは嫌な予感がして核を投げ捨てた。しかし、遅かった。


 濁った核から黒い霧が一気にあふれ、ナシュマンを覆いつくした。さらには、核からだけではなくイサナの黒い霧すらもナシュマンへと集まっていった。


 黒い霧は一定以上の魔素量を持っているものならば防ぐことができるが、ナシュマンは魔素は持っていない。魔素がなくても超人的な戦闘能力を持つナシュマンだが、黒い霧が魔素なしでは防げない以上、抵抗することはできなかった。


 視界が真っ黒に染まっていく中で、せめて意識だけは手放すまいと心を強く持つ。しかし、その思いすら無意味となってしまう。


 黒い霧はただナシュマンの意識を奪うだけではなく、心の中の傷を浮き彫りにする。ナシュマン自身が分かっていても、あまり考えないようにしていたことが鮮明に思い出され、頭の中がぐちゃぐちゃになる。


(くそ……どうして、こんなことに。私はこんなことを望んだわけじゃないのに。私は、どうして……)


 胸の奥底から感じる不快感に心を痛めながら、ナシュマンの意識は暗闇の中へと落ちていった。


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