15 人形使い、切り札を使う
アッシュは先ほど感じた違和感の場所へと走っていく。リーシャはきっちりとアッシュへと付いて来ている。
アッシュは魔法で身体能力を強化しているが、それでも本来ならリーシャの方が速い。しかし、リーシャの魔素探知能力はまだ高くないため、アッシュがそこまで連れて行かないとリーシャには分からない。
そのため、リーシャはアッシュに付いて行くしかない。
だが、段々とその場所に近づいていくにつれて、リーシャは体に違和感を覚え始めた。アッシュが進んでいくとそれは強くなっていく。何かがリーシャの体に入り込もうとしている感覚にリーシャは怖気を感じた。
「リーシャ、それは気にするな。君は物理的にも魔法的にも防御は万全だ。この程度ではどうにもならない。安心していい」
「安心って、こんな得体の知れないものに安心できるわけ」
「大丈夫。得体が知れないと思ってるのは僕も同じだから」
「ダメじゃん、それ」
リーシャのツッコミに苦笑いするアッシュだったが、すぐに自信ありげに言う。
「得体が知れなくても、防ぎ方は分かってる。これは魔素の量によって影響を受ける。魔素が少なければ少ないほど乗っ取られるみたいだ。まぁ、意識のある状態なら、無意識に体に張っている薄い魔素のバリアで防げるものだから大丈夫。確かに人形は乗っ取られやすいだろうけど、君には意思がある。この程度ならどうとでもなる」
「……そういうものなの」
アッシュたちの感じている嫌な感覚が近づくにつれて、人々の悲鳴も聞こえてきていた。そして、何かが壊れる音。それらを聞くだけで、その場が混沌としているのが想像できた。
「まったく、ここまで荒れてるのか」
アッシュには悲鳴とともに流れてくる人々に逆らって混乱の場へと到着すると、そこには無差別に暴れる人形たちの姿があった。数十体にも及ぶ人形たちは、どうやら人形使いたちの制御を離れて、辺りにいる人々を襲っているようだ。
この場所は女子寮から近いこともあって、襲われているのは女子がほとんどだ。しかし、中には人形たちを迎撃している人たちもいて、その中にはイサナの姿もあった。迎撃している人たちは、自分の人形を奪われてはいないらしい。
「リーシャ、ひとまず片っ端から片付けて。ただし、壊さないように注意して。対処法はこっちで考える」
「面倒だけど……分かった」
アッシュはアダマンタイトを砲撃武器へと変形させてリーシャに渡し、イサナの元へと向かった。
そんなアッシュに気付いたのか、押しかかろうとしてくる人形たちがいたが、それら全てはリーシャの砲撃によって吹き飛ばされていた。
ただ、アッシュの言う通りに手加減しているようで、吹き飛ばされるだけで壊れることはない。だが、その分しばらくしたら起き上がってしまうが、今はそれで良かった。
「イサナ、無事?」
エンジェルで人形たちを抑え込んでいるイサナに話しかけると、イサナは一瞬アッシュに視線を向けたが、すぐに人形たちに目を戻して返答した。
「大丈夫です。そちらこそ無事なようで何よりです」
「暴れている人形は……ここにいる奴らだけみたいだね」
暴れている人形から感じる気配を元に周囲を探ってみるが、同じような気配は他からはしなかった。
「はい。ここにいる人形は移動させずに抑えているので。ですが、壊すのも気が引けるので、どうしようかと」
「決闘ならまだ納得はできるけど、無理矢理動かされて、そして壊されるってなると、まぁやられた方は納得できないだろうね」
「彼女たちと協力してどうにかしていますが、それもいつまで持つか。生憎と今日は教師の数も少ないみたいですし」
「本当にそうだね。このままだとジリ貧だし……どうしたものか」
アッシュは目を凝らして人形たちを見た。人形たちの体の表面からはうっすらと黒い霧のようなものが見え、それが良くないものだということは分かったが、それ以上のことはよく分からない。
だが、その黒い霧が人形たちの魔素を使って人形を動かしているのは、考えれば分かった。リーシャやエンジェルのように元々内包する魔素が多い人形は、黒い霧は弾けるようだが、平均的な魔素量では操られてしまうらしい。
今操られていないのは優秀な人形ということになるのだろうが、如何せん数が足らない。しかも、壊さないように注意していては、いくら手があっても足りない。
「仕方ない、か。リーシャ」
アッシュがそう呼ぶと、リーシャは周囲の人形を大きく飛ばすと、すぐにアッシュの元に駆け寄ってきた。その動作が人形らしくなく、イサナは驚いている様子だったが、アッシュはそれを無視してリーシャに言う。
「一つ一つ対処していても意味がないから、根本から潰す。人形たちの動きを止める」
「ということは……」
「うん。切り札の登場というわけだ」
アッシュはリーシャに指示を出す前に、戦っている最中のイサナたちに向かって言った。
「すみません、少しの間人形が使えなくなるので注意してください!」
「え?え?ど、どういうことですか?」
「まぁ、見てれば分かる」
アッシュの言葉に意味が分からないと言った様子のイサナたちだったが、口で言っても理解してもらえるとは思えないし、その時間がもったいなかった。
アッシュはリーシャの体内の魔素をコントロールして、切り札を使える状態にまで持っていく。いずれは一人で発動出来るようになってほしいと思っているが、今はアッシュの補助があって初めて発動することができる。
「《アイソレーション》」
「《アイソレーション》、起動します」
すると、リーシャを中心として魔素の波動が周囲に向かって放たれた。
そして、その波動を浴びた人形たちは、黒い霧を纏っている物と纏っていない物の区別なく、全てが動作を停止させ、崩れ落ちた。
今まで応戦していた人たちは急に人形が動かなくなって焦ったが、すぐに他の全ての人形が動きを止めていることに気付いた。たとえ自分の人形が動いていなくても、相手をする人形も動かないのだから、あまり焦らなくていい。
だが、そんな中でリーシャだけは動きを止めることはなかった。人形たちの動きを止め続けるために、継続的に波動を放ち続ける。
《アイソレーション》とは、リーシャの持つ切り札であり、リーシャが使える数少ない魔法だ。リーシャの攻撃手段は基本的に魔素を放つことのみであるため、魔法と呼べるものではないのだ。
そんな中で、この《アイソレーション》は別に攻撃ではない。これはリーシャを中心とした一定領域内のアッシュとリーシャ以外の魔素の動きを止める。
人間は別に魔素がなければ生きていけないというわけではないので、この領域内にいても、魔法が使えないだけで別に害はない。しかし、人形はそもそも魔素を使って動いているので、魔素の動きを止められてしまっては、どんな人形であっても動けなくなってしまう。
ひとまず、これで暴れる人形たちは動くことができなくなり、わざわざ壊さなくてもよくなった。
だが、それで解決したというわけではない。
《アイソレーション》を使っても、人形たちが纏う黒い霧は消えることなく、未だに人形の体に纏わりついている。《アイソレーション》の中でも動きが見えるということは、その黒い霧は魔素に由来した力ではないのだろう。
そして、動きを止めていないのなら、《アイソレーション》を解除すれば人形たちは再び暴れ出す可能性が高い。そのため、アッシュは《アイソレーション》を止めさせるわけにはいかなかった。さらに、領域の広さに限りがあり、リーシャを中心に展開している以上、リーシャをこの場から動かすわけにもいかない。
だが、アッシュは嫌な感じが別の所からもしており、むしろそちらの方が危ない気がしていた。
(気配の大きさから言って、ここの人形を動かしてたやつよりも強力な霧なのかな。確かめたいところだけど、ここから離れてるからリーシャを連れていけない。向こうがこっちに近づいてくるのを待つ……のは論外かな。その間に何か良くないことが起きないとも限らないし)
アッシュは何度か黒い霧とリーシャを交互に見ると、腹を括ることにした。
「リーシャ、しばらくここを任せても良いかな?」
「それは構わないけど……どうするつもり?」
「元凶、かもしれないところに行って、どうにかしてくる」
「どうにかって、一人で大丈夫なの?」
「できることならリーシャに付いて来てもらいたかったところだけど、リーシャにはここにいてもらわないといけないからね。仕方ないよ」
リーシャにそう言うと、今度は二人の会話をぼうっとした様子で見ていたイサナに、アッシュは言う。
「イサナ、少しこの場は任せるね。リーシャと協力して、この場を持たせてほしいんだけど。もし不測の事態が起きた時とかにね」
「それは構いませんけど……この人形……いえ、これは人形なのですか?」
「さて、どうだろうね。ま、そういう話は今度ということで」
少しはぐらかしたが、アッシュは本当に今度イサナには、リーシャのことを言うつもりだ。今は時間がないから言えないが、そもそも隠し通すのは無理があるし、ばらすなら身近な存在からの方が良い。
そういう意味では、ハンスが一番適任だったが、イサナでも良いと思えるくらいにはアッシュは信用していた。
会って数日で信用というのもおかしな話だが、アッシュがこれまで周りのほとんどから悪意を向けられてきた環境だったために、普通に接してくる相手は新鮮だったのだ。
「じゃ、ひとまず行ってくる」
「うん、行ってらっしゃい」
リーシャがそう言ってアッシュを送り出すと、アッシュは駆け足で不快な気配の元へと向かって行った。
アッシュの姿が見えなくなるまで手を振り続けていると、リーシャは不意に視線を感じて振り返った。
「…………」
「あ、あの……」
そこにはリーシャのすぐ近くにまで近づいて、間近からリーシャのことを観察しているイサナがいた。声をかけてもまったく反応を示さない。
無言でリーシャの全身に目を向け、無遠慮に観察している。
リーシャはその様子に怖気を感じ、一歩下がった。
「……あなた、本当に人形ですか?」
「少なくとも、体はアッシュ君に全部作ってもらったよ。そういう意味では人形ね」
「驚きました。まさか、意思があるとは」
「そりゃ、まぁね。そこはアッシュ君の力あってのことだね」
「そうですか。まさか、昨日の今日でこんな……」
昨日イサナとアッシュが人形の進化について話したばかりだというのに、こんなにもあっさりと意志を持つ人形に会えたことにイサナは少し混乱気味だった。それを表に出さないくらいの理性は残っているが、それでも何だか体中の感覚が落ち着かないように感じた。
「これは、今度もっと問い詰めなくてはいけませんね」
「お、お手柔らかにね。アッシュ君を追い詰めすぎないでね」
「はい、分かっていますよ。ですが、今はあなたです」
「えっと、今学院は襲撃を受けている最中、という状況なのは理解できてる?」
「はい。では、質問させてもらいます」
「絶対わかってないでしょ!?」
この後、リーシャの気が滅入るくらい質問され続けた。
その間も、《アイソレーション》を途切れさせなかったリーシャは、自分自身を褒めたくなった。




