13 人形使い、寮に入る
アッシュは寮の入り口に貼られている部屋割りを確認し、その部屋に入ってようやく一息ついたところで、リーシャにかけていた隠蔽の魔法を解き、さらにしゃべれるようにもした。
学生全員に与えられている部屋は一人い部屋だが、リーシャが現れることで、少し部屋が狭く感じられた。だが、人形であるリーシャは休むときはあまりスペースは取らないので、概ね問題はなかった。
「アッシュ君、大分嬉しそうだったね」
「嬉しそう?僕が?」
リーシャに指摘されるも、アッシュには文句を言われるようなことがあったか、と疑問に思う。
「イサナと一緒に話してるとき、楽しそうだったし、クラスが一緒で嬉しかったでしょ?」
「まぁ、知り合いがいる方が気が楽ではあるけど、結局はその程度だよ」
「どうだろうね」
「あ、でも、話をしてて楽しいっていうのは、その通りだと思うよ。あんな風にまともに会話できるのって、リーシャとハンスに続く三人目だからね」
アッシュは会話できる人の中にナシュマンも入れたいところだったが、如何せんまだ穏やかな会話ができていない。その状況で、まともな会話、と言う些か無理があった。
「分かったよ。そういうことにしておく」
「しておくって、随分とまぁ疑われたものだね。リーシャはイサナが嫌い?」
アッシュの言うことに納得していない様子のリーシャに、アッシュはそう問いかける。
「嫌いというわけじゃないけど、一昨日戦ったばかりで、よくあそこまで仲良くなれるねって思っただけ」
「ん?あぁ、実は昨日偶然会って少し話をしたんだ。仲良くなれたなら、その時かな」
「はぁ!?}
リーシャの大声に、アッシュは耳を押さえた。リーシャの声は良く通るため、これだけ近くで叫ばれると、少し耳が痛くなる。
「昨日会ったって……私聞いてない」
「言ってなかったし……」
「えぇ、教えてくれたって良かったじゃない!」
そう叫んでアッシュの服の襟を掴んで、前後に揺さぶり始めた。リーシャがここまで過激になるのは初めてであるため、アッシュは困惑していた。だが、ひとまずそれは頭の隅に追いやり、周囲に迷惑が掛からないように部屋全体を結界で覆い、防音することにした。男子寮で女性の声がするなど、風紀の乱れ一因になりかねない。
一方、リーシャは別にイサナのことが嫌いというわけではないのだが、悔しいという気持ちは抱いている。今までアッシュがまともに話したことのある女性はリーシャだけで、そのことにリーシャは少なからず優越感を抱いていたのだ。
しかし、アッシュがイサナと普通に話しているのを見て、その優越感がひどくちっぽけなものに思えてしまい、少し荒れてしまっている。
リーシャはアッシュだけの物、そしてアッシュもリーシャだけの物。そういう相互関係を自分の中に作ることで、リーシャは心の平穏を保ってきていた部分がある。人形になる前からアッシュのことが大好きで、アッシュに支えられてきたリーシャにとって、人形になるという衝撃的な出来事を受け止めるのは、アッシュにすがることでしかできなかった。
アッシュの言う通り、リーシャは自分が人形であることを受け入れ始めているのかもしれない。だが、それを意識すると今度は怖くなってしまう。リーシャは他の人形とは違うし、もちろん人間とも、エルフとも違う。この広い世界で、たった一人ぼっちになってしまっている感覚があるのだ。
もちろん、アッシュがそう簡単に自分を手放すわけがないと分かっている。だが、分かってはいても所詮アッシュに取って人形とは道具の一つでしかなく、リーシャでさえも道具なんじゃないか、と思ってしまう。それは仕方のないことだと思いつつも、やはり捨てられるのは怖かった。
だから、自分自身の価値に固執した。アッシュに必要とされるたった一人になりたかった。それでも、アッシュは人間で、非常に優秀な人間だ。カイバー家でハンスがそれに気付いたように、外に出れば多くの人たちがアッシュと関わることになる。その中で、イサナのように親しくなる人物も現れることは当然のことだ。
それが気に入らない、などとリーシャは考えたくはない。人と接し、楽しく過ごすことは人として当たり前のことで、なくてはならない大切なことだ。だが、そんなことでさえもリーシャの心は乱され、混乱してしまう。自分は一体何なのか、アッシュにとってどれだけ必要とされる存在なのか、と。
「リーシャ、少し落ち着いて。さすがに苦しいって」
「うるさいうるさい!アッシュ君は少しは私に教えてくれたっていいじゃない!」
「ひとまず下ろして。本当に苦しいんだけど」
「……分かった」
渋々といった様子でリーシャはアッシュを下ろすと、アッシュの足がしっかりと床に着き、アッシュはほっとした。
(自分の人形に殺される人形使いなんていうのがいたら、それはどれだけ間抜けなんだろう。くだらないことでリーシャの抑えが効かず、僕を殺させてしまうようなことになってたら、本当に危なかった)
アッシュは何度か深呼吸をして息苦しさから解放されると、アッシュはリーシャに聞いた。
「で、リーシャは何を知りたいの?」
乱れた服を直しながらそう聞くと、今度は抱きしめられ、そのまま後ろのベッドに押し倒されてしまった。これにはさすがにアッシュも半眼になってリーシャを睨みつけようとしたが、すぐにその気も失せてしまった。
リーシャがとても悲しそうな表情をしているのを見て、睨みつけようなどと思えるわけがなかった。
アッシュは全身から力を抜いて、リーシャの顔を見上げる。別に今は体勢の事とかは気にすることじゃない。リーシャが悲しそうにしているのなら、そちらの方が大事だ。もし、不具合が起きてリーシャに異変が起きてしまっているのなら、それはアッシュにとって由々しき事態だ。
「ねぇ、アッシュ君。私はアッシュ君のことが大好きだよ」
「僕もリーシャのことは好きだよ」
「うん、アッシュ君はそう言ってくれるよね」
「ん?どういうこと?」
リーシャは泣きそうな顔をしているが、その体からは涙は出ない。もしも生身の体なら顔を赤くし、涙は目から溢れ、リーシャの感情を表すことができていただろう。それでリーシャの気持ちが全部分かったかは分からないが、今のリーシャからは分かりづらい。
「アッシュ君は優しいから。色々と気を使うでしょ?五年前の時も、私を責めることはなかった。一人勝手に逃げ出した私を、恨むことはなかった」
「それは……でも、結局戻って来てくれたし」
アッシュは本心からそう言い、気にしてはいなかった。しかし、リーシャにとっては今まで生きてきた中で一番の恥だ。
「私はね、人形として生き返った……ううん、生まれ変わった時に、その時の償いを、私の全てを賭けてしようと思っていたの。それくらいしなきゃ、あの時のことは許されはしない」
リーシャが言いたいことをアッシュは痛いほど分かる。もし、自分が同じ立場だったらと考えると、やはり償いをしなくては自分自身が辛い。何をするにしても、常に心のどこかの引っ掛かりに気付いてしまう。償いをしたい、役に立ちたい、そう思い続ける気持ちは理解できる。
だが、アッシュはそれをさせてこなかった。簡単な頼みごとをすることは会っても、償いに足るとリーシャ自身が感じるほどのことは頼んでこなかった。
リーシャが罰を望んでいることを知り、その罰を与えるべきか、罰を与えずに許そうとするか。そのどちらかでアッシュは悩んだ。悩みに悩んだが、アッシュは誰かを罰することができるほど強くも優しくもなかった。
結局、リーシャに苦しみを与え続けることとなってしまっていた。それがどれほど残酷か、今のアッシュには想像できない。
何もできない苦しみを味わうことこそ罰、と考えたことがないわけではないが、それは逃げでしかなく、ただアッシュ自身が楽をしたいからでしかない。
当事者はリーシャだけではない。アッシュもその一人として、役割を持たなくてはならない。間違いを犯したら償わなければならないのと同じように、償いを求める者には罰を与えなくてはならない。何もせずに許すことは、ただの甘えでしかなく、本当の意味で許しているとは言えない。
「全くもって正論だね。返す言葉もない」
「だったら……私に……私に……」
「全部リーシャ任せも色々と問題だったんだね。そこら辺をあまり分かってなかったんだ」
アッシュはリーシャと視線を合わせ続けるのに疲れて、その奥の天井に視線をずらそうとするが、何とかリーシャの目を見続ける。ここで逸らすのは、やはり逃げでしかない。
ただ、今のアッシュではどうすればいいのかが分からない。
アッシュは不意にリーシャへと手を伸ばした。
「…………これが」
アッシュの手はリーシャの頬に当てると、リーシャはピクリと体を震わせたが、すぐに収まる。
そのまま手を滑らせて首、肩、そして腕を撫で、アッシュは確かめていく。
「これを、僕が作ったんだよね」
腕から手を放すと、今度は自身の元に引き寄せて抱きしめる。自分でもどうしてこんなことをしたのかはアッシュはよく分からないが、不思議と新鮮な気持ちだった。今まで何度も抱きしめられたのに、今回だけは特別な気がしていた。
(そうか。リーシャにずっと抱きしめられてきたけど、僕から抱きしめたことなんてなかったんだっけ)
大好きと言いつつも、これまでそれをしっかりと表したことがなかった。結局、人形と割り切っていたのかもしれない。リーシャの体を触っていても、人形の体を触っているのと大差なかった。実際、人形の体ではあるが、リーシャの意思があるということをいくらか無視していたかもしれない。精々、リーシャの入れ物程度にしか考えていなかった。
(リーシャの体はもうここにしかないのに、一体何を考えていたのか……まったく、仕方がない人間だ)
リーシャの体は感覚が少なからずあるが、痛みへと変換されることはなく、またアダマンタイトの硬さもあって外からの力は伝わりづらい。だから、アッシュが力を込めて抱きしめても、リーシャからしたら少し感覚が伝わってくる程度でしかない。
しかし、その微かな感触に、リーシャは笑みを浮かべた。いつも抱きしめる側だったのに、今は抱きしめられているという感覚が、リーシャの心を躍らせた。
悲しい気持ちが抜けたわけではないが、少しだけ和らいでいる気がした。
「リーシャ、ひとまずは色々と考えることになりそうだ。そもそも、僕らの関係は複雑怪奇だからね。前例なんてないし、他の人には当てはまらない。君は頑丈だけど、この世界ではかなり不安定で、脆い存在なんだ。だから、考えてみるよ。君がこの世界でのよりどころにできることを。君を確かな存在にしてみせる。そして、君が胸を張って生きられるようにしてみせるから。だから、少しだけ待ってほしい。少しだけ、僕に時間が欲しい」
「…………………………うん」
長い沈黙の後に、一言。同時に頷くのが頭の動きで分かった。




