11 人形使い、家に招かれる
イサナの言う通り屋敷は近いところにあり、十分ほどであっさりと着いた。
そして、アッシュが予想した通りイサナの家はまさに豪邸だった。大きさはカイバー本家の屋敷と同程度だが、他所の屋敷を見るとそちらの方が豪華で大きく見えてしまう。
「さぁ、どうぞこちらへ」
「あ、あぁ」
敷地内に入り、屋敷の裏手へと案内されると、そこにはカイバー家別邸にあったような庭がある。ここは人形での模擬戦もするようで、きちんと整備されている。
(まさかもう一度戦おうなんて言わないよね。さすがに今日はリーシャがいないのは見て分かるだろうけど)
今アッシュを案内している最中のイサナは優美な姿で歩いているが、昨日の人形への情熱や、先ほどの串焼きの屋台での言動など、いくつか疑問に思うところがあり、イサナのことが全くと言っていいほど分からない。少し警戒してはいるが、ユリアと比べればまだ接しやすい相手だ。
「あちらでお茶でもしましょうか。ちょうど用意させましたし」
「え?」
模擬線上の脇に用意されているテーブルにはティーカップが二つ用意されており、真ん中の籠にはクッキーが入っている。そして少し離れた所に、メイドが二人気配を薄くして立っていた。
「あの、何で二人分用意してあるの?」
「もちろん、私とアッシュさんの分だからです」
「元々そんな予定はなかったはずだよね?さっきの屋台の所で偶然会って、その時に僕を連れてこようと思ったんでしょ?」
「あぁ、そのことですか。あの時近くに私の家の者がいたので、それで伝わったんですよ」
「……それもそうか。いい所のお嬢様だもんね、イサナは。護衛ぐらいいるか」
自分が妾の子で誰かに貴族のような扱いを受けたことがないアッシュは、護衛がいるということに頭が回っていなかった。
「ですが、私はどこにいるかは分からないんですけどね。ただ、いつも通りいるだろう、と思って」
「そういうものなのか」
「はい。さ、腰掛けてください」
そう勧められて椅子に座ると、いつの間にか近くに来ていたメイドがアッシュとイサナのカップに紅茶を注ぐ。動きの一つ一つがスムーズで、音も最小限。気配の殺し方も明らかに戦闘訓練を受けた者のそれだ。
(もしかして、ルテル家の使用人って全員が凄腕なんじゃ。うちの使用人たちにはそんな感じはなかったから、少しは見習わせたい気もする)
この家の人たちにとって、アッシュを見るのは初めてのはずで、アッシュに対する信用などあるわけがない。そんな人がイサナに連れられてわざわざ屋敷にまで来るのは、一体どういう心境なのか、とアッシュは気になっていた。
今後も付き合いがあるかは分からないが、少なくとも今の段階で悪印象を抱かれるのは避けたい。カイバー家だけならともかく、他の家の使用人にも冷たくされるのは想像しただけでも精神的にくるものがある。
「改めて、昨日はお疲れ様でした。非常に有意義な試験でした」
「お疲れ様。こっちこそ有意義だったよ。いろいろ試したいことができたし。エンジェルの調子は?」
「うちで雇ってる人形職人が絶叫してましたよ。今まであそこまでボロボロになったことはありませんでしたから」
「本当にごめん。最後は結構力ずくだったからね」
アッシュは昨日エンジェルを蹴り飛ばした足が少し痛くなった感覚がして、鮮明に思い出す。今考えると、確かに少し無理をして攻めた。別に試験をクリアするためなら、勝たなくてもそれなりの戦いを見せればそれでよかった。その最低ラインはリーシャの攻撃だけでクリアできていたはずなのだ。
それなのに、アッシュは思わずエンジェルに勝ちたいと思ってしまった。それほどに、アッシュはエンジェルに惹かれるものがあったのだ。
「下手な小細工で負けるよりは、ずっとすっきりとした気分でしたよ」
「そう。なら良かった。変な罪悪感もなくなるし」
「気にする必要はありませんよ。結局私の力不足だっただけですから」
「う~ん、まぁ、どれだけ力を付けても、力不足っていう問題は付きまとうからね」
「そうですね。難しいところです」
アッシュも、五年前に比べれば強くなった自負があるが、今でも同じように鬼と立ち向かうことになっても、万全に戦えるとは全く思えない。その時は、またしても運頼みになるだろう。
極めたと言っても、それはあくまで自分とこの世界、そして、この時代の人間に到達できる限界に達することだけだ。現に、転生前のアッシュには魔法を極めても、今の時代のように人形を使って戦うという発想はなかった。
どれだけ極めていっても、所詮まだまだ先があるということだ。
しかし、それは逆に言えば、人間の可能性がはるか先にまだまだ続いて行くということなのだ。
「そう言えば、昨日の人形、リーシャの調子はどうですか?今日は持っていないようですけど」
「あぁ……今は別の所かな。いつも必ず必要というわけではないし」
「人形使いらしくない発言ですね。人形使いなら、常に身近に持っておくくらいはしてそうですが。私のエンジェルは今修理中ですけど」
「リーシャは別にそうである必要はないんだよ。だって、あいつは他の人形とは全く違うんだから」
「確かにかなり違いますよね。特にあの防御力。一体どうやって作ったんですか?」
アッシュは懐からアダマンタイトの結晶を取り出し、テーブルの上に置いた。
一瞬メイドたちが何か動こうとしたが、アッシュが何もしないと判断してすぐに緊張が解けた。それを感じ取ったアッシュは、少しヒヤリとしたが、変なことをしなければ何も問題はない、と自分に言い聞かせた。
そんなアッシュの事よりも、イサナにとっては目の前の黒い結晶の方に意識が向いているようだ。
とても興味深げに結晶を覗き込んでいるが、その様子から昨日人形について話していた時のような気配がする。
「これは一体何ですか?見たことのない結晶ですけど」
「持ってみる?」
「いいんですか?」
すごい勢いで顔を上げ、髪が少し乱れるが、そんなことは気にせずにアッシュにキラキラとした目を向ける。
「うん、いいよ。じっくり見てみればいい」
「ありがとうございます」
イサナは手に取って日にかざしたり、少し指ではじいてみたり、目の間近まで持ってきてよく見たり。
しかし、そんなことをしてもイサナには分からない。イサナは人形のことを調べる過程で、体の素材になる鉱石についても色々と調べていたが、その黒い結晶は見たことがなかったし、聞いたこともなかった。
イサナはしばらくの間無言でいろんな角度から、いろんな方法で調べたが、全く分からない。そして、観念したかのように諦め、結晶を静かにテーブルの上に置いた。
「分かりません。これは一体何なんですか?」
「正解は、アダマンタイトです」
「アダマンタイト?これが?」
アッシュはアダマンタイトはとても貴重な鉱石程度に思っている。その認識は転生前の時代なら正しいが、今の時代とは違う。今ではアダマンタイトは伝説の鉱石と呼ばれ、誰も結晶を見たことはない。確認のしようがない。
だが、イサナは直感でアッシュの言っていることが間違っていないと思った。確証の無いことを完璧に信じることはできないが、それでもアダマンタイトが目の前にあるという事実はロマンがある。
だからこそ、イサナはひとまずアッシュの言うことを信じることにした。
「何で、アッシュさんがアダマンタイトを持っているんですか?」
「僕が作ったんだよ。作り方は知っていたから、何年もかけて少しずつ、ね。リーシャの体も全部アダマンタイトで作ったんだよ」
「……それであの防御力ですか。なるほど、道理で攻撃が意味を成さないはずです。勝てるわけありませんね」
「それはまだ分からないかな。確かにリーシャを壊すことは、同じアダマンタイトくらいでしかできないけど、だからと言って勝てないわけじゃない。少なくとも空中では身動きは取れないし、体の重さも大したことはない。付け入る隙がないわけじゃないよ」
アッシュの言葉を聞いて、イサナは何かを考える始める。
昨日の興奮具合とは全く違い、今は冷静だ。確かに、戦闘となれば人形の関わりは必須。そんな時に、常に興奮していては戦いにはならない。つまり、イサナは一定以上集中すれば興奮するのを通り越して、逆に冷静になるのだろう。
「確かに、事前に対策を考えていれば、勝てないとは限りませんね。壊しあいならともかく、試合となれば勝率も上がりますね」
「そういうこと。アダマンタイトは所詮硬いだけ」
「硬いだけって……それはあなただから言えることですね。ですが、なるほど。エンジェルは十分特別な人形だと思っていたのですが、重い違いだったようですね」
二つの属性を持つエンジェルは、姿も天使のようで神々しく、まさしく人形の頂点に位置する存在と言っても良い。だが、リーシャは人形としては別次元の存在だ。既存の人形とは比べられない。
「やはり、今の私ではエンジェルを扱うのは宝の持ち腐れですね」
「それは僕も同じ。そもそも、僕は人形の使い方を習ったことがなくて、全部独学だよ。むしろ、僕の方が身の丈に合ってない。まぁ、それでも他の誰かに渡すつもりは全くないけど」
「はい。私も同感です。たとえ、私よりエンジェルをうまく扱える人が現れても、私は渡すつもりはありませんね」
「やっぱりそうだよね。人形使いって、そうあるべきだよね」
「ただ、ずっと手に余るままではダメですね。もっと技術を磨かなくては」
そう意気込んでいるイサナに、アッシュはふと気になったことを聞いてみた。
「イサナは学院を卒業したらどうするつもりなの?」
「私ですか?どうなんでしょう。一応、私はルテル家の次期当主ですからね」
「え、そうなの?」
「はい。立場で言えば、アッシュさんのお兄様のハンスさんと同じと言えます」
「そうなのか。それは知らなかった」
今の時代、当主は男が多く、後継者が女という所は少ない。そして、そういう所は大抵小規模貴族であることが多い。ルテル家のような名門貴族の次期当主が女なのは珍しい。
だが、イサナのように優れた人形使いなら当主としての箔が付く。このまま成長すれば、ハンスに並ぶ人形使いになっているだろう。
(まぁ、僕は人形使いとしては底辺もいい所だからなぁ。今後の成長次第か)
自分が底辺であることをいつも自分の中で戒めのように思い返さなくては、アッシュは人形使いとして極めるようなことはできない。なまじ、最高性能の人形を作ってしまったがために、たとえ技術がなくても強くなれてしまう。イサナやハンス、ユリアのような努力を続ける人形使いが周りにいれば、アッシュもさぼらずに済みそうだ。
「アッシュさんは卒業後はどうするつもりなんですか?」
「僕は旅にでも出ようかな、と思ってる。家を出ることになるからね」
「どうして家を出るんですか?」
「ん?あぁ、僕は妾の子だからね。いつまでも家に居られるわけじゃない。今回の学院入学だって、自分でも結構驚いてるよ」
「妾……そうですか。なら、家を出るのは仕方ないですね」
イサナが少し暗い表情をして考え込んでいたが、何か決意したかのように顔を上げた。
「アッシュさん、もし良かったらなんですが、卒業後、私の家で働きませんか?」
「え?」
アッシュはイサナの言った言葉が信じられず、メイドたちもアッシュと同じように驚いて呆けてしまっている。おそらく、イサナが今この場で思いついたことなのだろう。
だが、その言葉は絶大だ。誰かが聞いているところで言えば、その言葉はかりそめの約束だとしても真実になってしまう可能性はある。
「本気で言ってる?ていうか、どういうこと?」
「すみません、つい勢いで」
「取り消すなら今の内だよ?」
「いえ、取り消すつもりはありません」
「本当にそれでいいのか……」
イサナが言ったことが間違いではないことを口にすると、メイドたちは体を硬直させてしまっている。他にもいくつかの気配がアッシュにも感じ取れている。それだけ平常心を乱されたのだろう。言われたアッシュも驚いている。
「あなたほどの人を勧誘しておくに越したことはありませんからね。人形使いとしてもそうですが、アダマンタイトを作成できる知識と技術。それを手に入れないのは惜しいです」
「アダマンタイトの製法が欲しいなら、直接聞きだせばいいと思うけど。別に嘘を吐くつもりはないよ」
「嘘かどうかは問題ではないんです。まさか、あなたの持つ知識がアダマンタイトに関するものなわけがないでしょう?知識だけよりも、あなた本人の方が有益です。賃金はそれなりの値段を約束します」
イサナが本気なのは、イサナの目を見れば否が応でもわかる。アッシュはイサナの提案が非常に面白く思えたし、同時にイサナ本人に対しても興味が湧いてきていた。しかし、今はまだそれだけだ。
「感情的な部分がないだけ、非常に信用できる話だけど……ごめんね。魅力的な提案なのは間違いないけど、やっぱり僕は色々と旅してみたいなと思ってるんだ」
アッシュがイサナの提案を断ったことで少し怒りのような雰囲気が伝わってきたが、同時に安堵しているようでもある。使用人たちも色々と大変なのかな、とアッシュは思った。
「そうですか。断られるとは予想していましたが、実際にされると少しは心にくるものがありますね」
「ごめんね、期待に沿えなくて。別にイサナのことが嫌だと思ってるわけじゃないんだ」
「はい、分かっています。ですが、これだけでアッシュさんを諦めるには惜しいです。しつこくするつもりはありませんが、返事を変える気になったらいつでも言ってください。その時になったらきちんと迎え入れます」
「……今のところ返事を変える気はないけど、まぁ、君に失望されないようには頑張ろうかな」
「それは私のセリフのような気がしますが」
アッシュとイサナは二人で顔を見合わせると、どちらからともなく笑い出した。
紅茶は少し冷めていたが、飲み干すと再びメイドが注いでくれて、再び熱い紅茶を飲むことができた。




