9 人形使い、初めて会話をする
入学試験が終わり、一人で別邸に戻ったアッシュは屋敷内の空気があまり良くないと感じた。
「あ、アッシュもおかえり。試験お疲れ様」
出迎えてくれたハンスはいつも通り笑顔だが、どこか疲れている様子だ。屋敷内の空気が関わっているのだろう。
(アッシュも、ということは、もう先にユリアは帰ってたのか。まぁ、あんな結果になって機嫌が悪くならない人は、元々興味のない人くらいだからね。あのユリアなら、機嫌も悪くなるか)
アッシュは少し同情の視線をハンスに向けた。不機嫌なユリアのフォローをするのは、他の誰でもないハンスの役割だろう。他にはばかることなく不機嫌な空気をまき散らしているユリアに近づかなければならないなんて、兄の立場も大変だな、とアッシュは他人事だと思った。
ここに帰ってくるまでも同じようにユリアが周囲を怯えさせていたら、この町に人たちにはとばっちりだ。とは言え、ナシュマンと当たってしまった以上ユリアの目指した結果にはならなかっただろう。
そして、畳みかけるようにアッシュがイサナに勝つという、ユリアにとってひどく不愉快な出来事が起こってしまったのは、ユリアの運が悪いとしか言いようがない。せめてナシュマンのような規格外と当たるようなことがなければ、まだ少しはましになっていただろうに。
(まぁ、僕にも責任がないわけじゃないけど、だからと言って責任を取ることはできないしな。むしろ、ユリアにとっては僕にそんなことをされる方が嫌だろうし)
アッシュはため息を吐いて、借りている部屋へと戻ろうとする。そんなアッシュに、ハンスから声がかかった。
「夕食の準備はもうできているから、荷物を置いたらすぐに降りて来てくれ。ユリアも待ってるし」
機嫌最悪なユリアがアッシュを待っている。
その状況だけで、アッシュはお腹が痛くなりそうだった。悪意を向けられることは慣れていたが、ユリアに少し同情してしまっている今、八つ当たりの言葉が心に刺さりそうだった。
だが、それすらもハンスが何とかしてくれる、という期待を込めてハンスに言う。
「それは……まぁ、大変そうだね。頑張れ、お兄様」
「もしよかったら、君に任せようか?」
「本当に、それは勘弁してください」
アッシュは駆け足で部屋に荷物を置くと、夕食に行く前に魔素の気配を探っておいた。
寮に入るまではリーシャのことを説明するのが面倒だと思っているアッシュは、リーシャにはお金を渡して王都の宿屋でしばらく過ごしてもらうことにした。実家にいた時に、何度かお金を稼ぐ機会があり、アダマンタイトの失敗作を売って、お金はかなり持っていた。
アダマンタイトの失敗作と言っても、その強度は折り紙付きだ。本物には遠く及ばないが、鋼と同等以上の頑丈さを持つそれはそこそこ高く売ることができた。
そのお金のおかげで宿屋を取ることができたため、ガラクタでも助かっていた。リーシャは食費にかかる値段はゼロであるため、出費もかなり抑えられる。
リーシャが宿屋でじっとしているのを確認すると、アッシュは急いで部屋を出て夕食の場へと向かった。ただ、慌ただしくはならないようにという注意はしている。
「お待たせしました」
もうすでにハンストユリアが席に着いて、アッシュを待っている状態だった。アッシュはユリアから離れた席に着くと、ユリアから発せられる空気がビシビシとアッシュに叩きつけられる。
「本当に待たされたわよ」
「まぁまぁ、ユリア、アッシュだって好きで遅れたわけじゃないんだから」
「どうだか。図に乗っている馬鹿は、どこかで遊び歩いてきたんじゃないの?」
「…………」
ユリアの状態が想像以上で、アッシュは呆れて何も言えなかった。ここまで不機嫌なら、確かに屋敷内の空気が悪くなるのもよく分かった。昨日はユリア側に立って、アッシュにあまり良い感情を持っていなかった使用人たちも、今はユリアに近寄ることすら恐れて、同調していなかった。
むしろ、アッシュに同情的でさえあった。まぁ、それはハンスが使用人たちに働きかけているからだろうが、それにしても使用人たちの態度は変わっていた。
(まぁ、この状況でハンス以外誰も味方してくれないとなったら、さすがにきつかっただろうからね。そこは助かった。さすがはハンス。出来る男はやっぱり違う)
アッシュはよく頑張っているだろうハンスにちらりと視線を向けると、こちらはかなり顔色が悪い。たった一度の不機嫌でここまで周りを乱すのだとしたら、学院に入っ手から不機嫌になったらどれだけ影響が出ることか。アッシュはそんなことにはなってほしくないと思った。
「あなたはどうせ程度の低いところで満足して止まっているといいわ。あなた程度、私の敵ではないんだから」
「ユリア、少し落ち着こうか。もう食事にしよう」
「あなた程度が調子に乗っていられるのも、今の内だけよ。学院に入れば、私がトップになるのだから」
「聞いてくれないし……」
ハンスが言葉をかけても、アッシュにしか意識が向いていないユリアには届かない。
そして、アッシュも早く食事にしたいと思うほどには、ユリアが面倒になってきた。初めて会った時からまともに相手にしたことはないが、今回のような八つ当たりとなると尚更相手にする気が失せる。
そもそも、アッシュにはユリアと家族などという感覚はないし、ユリアもアッシュに対してそう思っているだろう。アッシュが家族だと思っているのは、精々ハンスとマーシュくらいだ。
ハンスは兄として尊敬はしているし、頼りにもしている。幼い頃隔たりなく話すことのできた人間だ。そして、マーシュは家族としてのつながりや愛情などは、アッシュは求めていない。ただ、必要最低限のことはしてくれる父親、としか思っていない。だが、ただ敵意を向けてくるだけのユリアと、血の繋がりもなくただ同じ屋敷に暮らしていただけのミサラと比べると、マーシュはまだ家族と思えるギリギリのラインにいる。
「私は負けない。誰にも負けはしない。あのナシュマンにも負けないし、イサナにも、そして、お兄様。あなたにだって負けるつもりはありません」
「あ、あぁ。そうか。分かったから、そろそろ」
「あなたなんて眼中にないのよ。道端に転がる石風情が、私の道を阻むことなんてありえないのよ」
一瞬だけハンスに意識が向いても、その間にハンスは言い聞かせることができず、またも撃沈。一方、眼中にないと言われつつも、文句を言われ続けるアッシュは、もはや言葉を聞いているだけで受け止めようとはしていなかった。
(道を阻むとか大げさな。そもそも歩いてるのは別の道のような気がするけど。それにしても、小さい頃から感情的だとは思ったけど、どうしてこの年になっても変わらないんだろう?)
貴族としてもそうだが、マーシュは人形使いとしてもハンスとユリアに様々な教育を施している。そして、感情的にならずに冷静に動くことは、人形使いであることにも重要であるため、マーシュが指摘しないはずがない。だが、未だにユリアは感情的に動く。
(駄々をこねる子供みたいだな。現実を受け止められない人間が、自分の道と言うのか。滑稽なことだけど……面倒だなぁ)
感情的になるほどに、人形使いの腕に全てをかけてきたのだろう。そこはアッシュにも理解できないわけではない。前世では魔法を極めたと言っても、その途中で様々な壁にぶつかり、発狂しかかったこともあった。いや、実際狂っていたかもしれない。それほど、一つのことに全てをかける人のエネルギーとはすさまじいものだ。
だが、そんなアッシュからすればユリアの挫折は章もない茶番の一幕にしか思えなかった。理解はできるが、精々そこまで。同情はしても、同時に憐れに思うし、むしろ嘲ることもあるだろう。
それほどに、ユリアの怒りは軽すぎた。極端なことを言ってしまえば、自分よりも強い存在が現れた。自分よりも劣っていると思われた者が、素晴らし活躍を見せた。それだけだ。それは結局のところ、見抜くだけの力量がなかった本人の問題だ。そのとばっちりをくらう身としては、たまったものではないだろう。
ハンスももう大分疲れているのがアッシュには見えている。ハンスに頼まれてもユリアを宥めるなどするつもりはないし、たとえしたら余計ユリアの機嫌が悪くなることは分かり切っている。だが、少なくとも家族と思っている相手が苦労しているのなら、少しは気を回してあげようとアッシュは考えた。
もう料理は運ばれている状態で、後は食べるだけ。そんな状態でずっといても、進展はしないだろう。ならば、少しくらい悪くなっても場を進めた方が良いと考えて、アッシュはユリアを無視して食べ始めた。
いきなり空気を読まずに食べ始めたアッシュに、その場の全員が言葉を失った。確かにユリアの言葉を聞き続けるのは大変だったが、だからと言ってアッシュのような行動も本来なら褒められることではないのだ。
少しして状況が分かったユリアは、顔を歪ませてアッシュを睨みつけた。
「ちょっと、まだ私が話をしている最中なの。一体何を考えているの?」
普通にしていた美少女なのは間違いないのに、今のユリアの顔はいつかの鬼の顔を彷彿とさせた。鬼が笑っていたのに対してユリアは怒っているが、元々顔が良いのに、それが感情に流されて醜くなっているのはよく似ていた。
そんなユリアに、アッシュは視線を向けることなく淡々と返した。
「それはこちらのセリフ。せっかく食事なんだから、いつまで文句を言っていないで食べたら?勿体ないでしょ」
そう言ってアッシュは自分で自分に驚いた。アッシュがまともにユリアと会話をしたのはこれが初めてだったからだ。いつも文句を言われ、アッシュがそれを流すだけで、言い返すということはこれまでしたことはなかった。その新鮮な感覚をアッシュが感じていると、ユリアが続けて言い放つ。
「今は私が話をしているの。あなたが言うことじゃない」
「なら僕を無視してなよ。そもそも、夕食時に言うことじゃないでしょ。文句なら一人でどっかに叫んでれば?」
「私は文句を言ってるんじゃない。私は真実を言っているだけ」
「君にとっての真実を、ね。僕にとっての真実とは食い違う。ただそれだけ」
「あなた如きが調子に乗らないで」
「お互い様と言おうかな。僕が調子に乗っていないとは言わないけど、君も十分に調子に乗ってる」
「ふざけないで!私のどこが調子に乗ってるって言うのよ!」
「冷静に自分を分析することは重要だよ。今の君には必要だと思う」
「道端の石風情が何を」
「そこまでだ、二人とも!」
ハンスの怒鳴り声で、二人は言い合いを止めた。ハンスが声を荒げることはめったになく、少なくともアッシュとユリアは見たことも聞いたこともなかった。そのため、驚きで動きを止めてしまった。
「落ち着くんだ、二人とも。言い争いをして、一体何になると言うんだ?」
ユリアのことは無視できるが、さすがにハンスが話をし始めるとアッシュは食事するのを止めた。
「この言い争いはお互いを傷つけるだけで何にもならない。そんな意味のないことをするな。ユリア、今は食事をするときだ。文句を言うくらいなら別の機会にして、八つ当たりもやめろ」
「八つ当たりなんて、私は……」
「アッシュも、わざわざユリアを挑発するようなことをするな。穏便に済ませることも必要だ。そんなことが分からないアッシュじゃないと思うけど?」
「……そう、だね」
アッシュとユリアに交互に視線を向けると、ハンスはひと際真剣な表情で言った。
「もう一度言うけど、二人とも落ち着いてね。こんな醜い争いでは何も生まないんだから」
その場にしばらく沈黙が漂っていたが、椅子から立ち上がる音がして、ユリアは席を立っていた。そして、誰にも何も言うことはなく出て行ってしまった。
ユリアが出て行ったことで、使用人たちはほっとして様な表情をして、空気が弛緩したのが分かったアッシュは、再び食事を始めた。
その様子を見て、ハンスは疲れた風に苦笑した。
「あんな風に怒鳴るなんて初めてだよ」
「お疲れさま。ごめんね、苦労をかけて」
「本当に疲れた。今日は本当にユリアの機嫌が悪くて困ったよ。試験で何かあったの?」
「……戦闘試験でナシュマンと戦うことになって、人形を壊されて負けた」
ナシュマンという言葉を聞いて、ハンスは頭を抱え込んだ。ハンスもナシュマンという規格外の存在のことは知っていた。
去年の試験で、ハンスはマーシュから戦闘試験ではトップの成績を取って来いと言われ、苦労しながらもなんとかその成績を取れた。
マーシュのことだから、ユリアに対しても同じ要求をしているだろうとハンスは想像できた。しかし、ナシュマンがいるとなるとそのようなことは不可能に近い。
「ナシュマン……そう言えば今年だったか。あまり表に出てこないから忘れていたな」
「大分強かったよ。生身で人形を相手にして軽くあしらってた。あれはまさしく超人だね」
「俺からしたらアッシュも十分超人だと思うんだけどね」
「それは随分と過大評価してくれて、僕としては驚きだね」
「まぁ、いいや。問題なのはユリアだよね。でも、ユリアが自分で乗り越えるしかないしなぁ」
ハンスも、ユリアが小さい頃から血の滲むような努力を続けていることは知っている。ハンスも挫折を味わったことは何度もある。だからこそ、ユリアの問題は自分にはどうこうできないと分かっている。
「前途多難だなぁ」
「今日はよく頑張ってくれたよ、お兄様」
「はいはい、どうも」
ユリアのことを心配しつつも、ハンスはアッシュと一緒に食事を始めた。




