3 人形使い、少年に出会う
ハンスとの模擬戦が終わると、すぐに夕食となり、その後アッシュは風呂に入ってすぐに眠った。明日の試験はアッシュなら問題ないとハンスは言っていたが、それでも休んでおいた方が良い。ハンスとの模擬戦も二時間近くやって、だいぶ体力を使ってしまっていた。ベッドに入ってから眠りにつくまで、大して時間はかからなかった。
翌朝、早めに寝たおかげで起きるのも早かった。入学試験の準備はもう済ませてあったため、起きてからはのんびりと過ごし、朝食をとってから入学試験へと出かけた。別邸から学院へはかなり近いため、わざわざ馬車で行く必要もないと思ったアッシュは、ユリアよりも先に出かけた。早めにつくことになるが、一緒に行って雰囲気が悪くなるのは試験前としては良くない。
学院への道の途中、所々にアッシュと同じようにトランクを持ち歩いている人がいる。服装もかなり豪華な人がいる。大抵使用人のような人が付いているが、アッシュにはもちろんついていない。
今アッシュと同じように歩いている人たちは、おそらく学院の入学試験を受ける者たちだろう。この入学試験で落ちる人はまずいないらしいが、落ちたら落ちたで家の恥になるため、気合を入れている人は多くいるだろう。
(でもまぁ、受からなかったら僕は間違いなく追い出されるだろうしね。学院に入れるなら入った方が良いだろうけど……家を出たらどうしよう。気ままに旅でもしてみるかな)
まだ先のことで今から考えても仕方がなく、今は学院のことに精一杯になるしかない。
色々考えていると、自然と足が速く進み、思ったよりも早く学院に着いてしまった。受付はやっているようなので、一応受付を済ませるが、試験開始まではまだ時間がある。
「どう過ごすかな」
迷って遅刻なんてことになるのは論外であるため、アッシュは校舎の周りを回る程度にする。そうすればそう簡単に迷うこともないし、暇を潰せるかもしれない。
「にしても、でかいな、ここは。さすがに王立なだけはある。ここでなら、ちゃんと人形について学べるかもね。そう思うでしょ、リーシャ」
そう言って、トランクの中に入っている人形に語り掛ける。今は意識が眠っていて答えることはないが、それでも話をする。人形が完成するまでの間、リーシャが目覚めず、死んでから一度も離せていなかった時も、こうして答えないと分かっていながら語りかけていた。
(少し不安になっているのかな)
考え事をしながら歩いていると、ふと不思議な気配を感じた。人の気配は感じても、魔素の気配は感じない。
普通の魔素の気配は、大気中に均等に漂う魔素の中に、一部だけ魔素が密集している部分を察知する。その密集している魔素が、その人の魔素だ。魔素量は人によって違うため、魔素密度で見分けることができる。一番面倒なのは、大気中の魔素密度と全く同程度の人間の場合、魔素では察知できない。
だが、今感じた気配は全く逆の魔素の空白だった。どんな人間でも少なからず魔素を持っている。魔法を使えるほどの魔素を持っていなくとも、確実に魔素はある。しかし、その人は体内に魔素を全くと言っていいほど持っていない。もしかしたら、ほんの少しくらいは魔素を持っているのかもしれないが、アッシュには察知できない。
気になってそこまで行ってみると、アッシュと同じくらいの一人の少年が立っていた。服装はかなり裕福な家を思わせるが、他の生徒とは違ってトランクを持っておらず、代わりに布を巻いた大きな棒状の物を持っている。
(あれ、もしかして剣?この魔素量なら魔法は使えないだろうけど、この時代に剣のみで戦うのはかなり苦しいと思うんだけど…………そう単純な話でもないか)
魔素量で見れば大したことはないが、存在感は圧倒的だ。その気配は、まるで五年前の鬼を思わせた。明らかに人間だが、常人離れしている気配がしている。
アッシュは一歩後ろに下がった。鬼のことを思い出して恐怖してしまった。しかし、目に見える少年じゃ鬼では全くない。
(記憶じゃなく、目に映っている物を信じれば、恐怖することはない)
一度深呼吸すると、アッシュは少年に向けて足を進めた。アッシュが声をかけようとすると、向こうが気付くのが先だったようで振り返った。もしかしたら、もっと前に気付いていたかもしれない。
「貴様も恐れるんだな。貴様ほどの者でも、私を」
「え?」
自分から話しかけようとしていただけに、逆に話しかけられたことに驚いた。しかも、いきなりだっただけに、反応が少し遅れた。
「えっと……いきなり何かな?」
「貴様が私を恐れているということだ。それくらい自分で分かるだろう?」
少年にそう言われ、アッシュは申し訳ない気持ちになった。腹を括ったつもりになっていても、恐怖を消しきれていなかった。それだけ、鬼のことが鮮烈に記憶に残っている。
アッシュは申し訳なさそうに笑って答えた。
「ごめん。君が怖いというのとは少し違う。昔、君くらいに気配が強大な敵に殺されかけたことがあってね。それで少し思い出してしまっていたんだ」
「そうか。まぁ、どちらでも良いことだ。私であろうと、それ以外であろうと。いつものことだ」
「いつもって……そんな風に言わなくても」
「事実だ。誰であろうと私を恐れるのだ」
少年が語るその言葉からは思いが感じられない。ずっと繰り返してきたことで、もう諦めてしまっているのだろう。最初にアッシュに話しかけてきたときの言葉からは、うっすらと寂しそうな思いがアッシュに伝わったが、それだけだった。
(もう慣れているんだ。ずっとひどい扱いを受けて、それに抗うことを諦めたんだ。それだけの力を持ってしても……いや、力を持っているから諦めざるを得なかったのか)
ずっと力を求め、何かを極めるために転生したアッシュとは全く違う。力を求めるアッシュと、力に絶望した少年。誰よりも持つがゆえの悩みを、アッシュは目の当たりにした。
だが、だからこそアッシュは少年にもう一歩近づいてみた。
「同じ受験生だよね?僕の名前はアッシュ・カイバー。君は?」
「カイバー?あの人形使いの名家か」
「カイバー家と言っても、妾の子だから大したもんでもないけどね」
「そうか」
「で、君の名前は?」
「……ナシュマン・シクルド」
「シクルドって……まさか王子?」
シクルドと聞いて、アッシュは心臓が跳ねた気がした。今まで対等に話してはいたが、その相手がまさか王子だとは思っていなかった。本来なら、対等に話すことは許されていない。
アッシュは咄嗟に謝罪をしようとしたが、同時に少年の残念そうな顔を思い出した。恐れられ続けて諦めたナシュマンにとって、王子として敬われることもまた億劫なのかもしれない。
「……そうか。お互い、程度は違えど面倒な立場だね」
「っ……」
ナシュマンは驚いた表情をしていた。だが、そこには怒りも悲しみもなかった。アッシュの行動は最悪無礼だと思われても仕方のないことだったが、アッシュの答えは間違っていなかったようだ。
「まぁ、僕はいつか普通の平民にはなるだろうから、そっちの方が大変か。まったく想像はできないけど、君のその態度は今までの苦労の現われかな」
「……貴様には関係ない」
「そうだね。今は関係ないね」
「今は?この先も関わるつもりか。私に関わるのはやめておけ。貴様にとって災いでしかないぞ」
どう言おうと、ナシュマンは言うことを変えないだろう。それだけの気迫があった。それを感じ取ったアッシュは、ため息を吐いた。
「災い、ね。そう言うなら、今は仕方ないかな。でも、少し面白そうだからちょっかいをかけてしまうかも」
「鬱陶しいやかやめろ」
「君の言うことを聞くかどうかは別として……偶然というものがあれば、それに従うよ。その時はよろしく」
「……勝手に言っていろ」
「はいはい。それじゃ、僕はもう行くね」
これ以上話しても得るものはなさそうだったので、アッシュはその場を去ることにした。しかし、これから一切関りがなくなるとはどうしても思えなかった。




