1 大賢者、転生を決意する
「これで、完成だ」
大賢者はようやく転生魔法を完成させ、そのことに歓喜した。だが、叫ぶような真似もしなければ、その場で踊り出すこともない。今まで数多の魔法を開発してきたとき、完成したら歓喜していたが、今回は安堵しかなかった。
完成したことは嬉しいが、ここまでこぎつけるまでに長い道のりがあった。天才と呼ばれ、大賢者と呼ばれ、あまたの魔法を極め、世界最高の魔法使いと呼ばれた。
しかし、ある時を境に大賢者は人前から姿を消し、一人研究に没頭するようになった。その研究が、転生魔法の開発だ。
万人が使えるようなものである必要はなく、ただ大賢者だけが使えていればそれでいい。大賢者自身が転生するためだけに、転生魔法を開発したのだ。
理由は至極単純、大賢者は幼き時からやり直したかったのだ。大賢者はずっと魔法のことだけに心血を注ぎ、それ以外のことはあまり手を出さなかった。全てが、魔法のためのついで。
大賢者は別に一つのことに手中することを否定したいわけではない。転生した後も、何かに没頭するのも悪くはないと思っている。
ただ、魔法を極めることには飽きてしまったのだ。前人未到の領域を歩き続けることに疲れたのだ。
だからこそ、この時代から遥か未来へと転生し、そこで発展している技術について学ぼうと、そう思ったのだ。魔法があるに越したことはないが、別に廃れていても良い。ただ大賢者の欲望を満たすことができればいいのだ。
「さて、チェックは万全。試運転をしても確認できないから、しても意味ないのは仕方がない。少し不安は残るが、このままやるしかないな」
いまだかつて誰も成したことのない転生魔法。それを始めて自分が使うとなり、大賢者は久しぶりに緊張というものを味わっていた。
呼吸が少し浅くなり、胸の動悸も早くなる。冷や汗が背中を伝い、手が震えている。何度もチェックを行い、安全にも配慮していても、確証がないことを大賢者は分かっている。それでも自分の望みのために一歩を踏み出すなら、勇気を振り絞らなければならない。
そして、そんな勇気は今まで何度も絞り出してきた。それをまた絞り出すだけだ。
結局、この転生魔法に失敗したとしても死ぬだけだ。魔法を極めることに飽きて転生しようとしているのだ。それで死んだとしても、もはやそれまでだ、と思って終わり。大賢者は理性的にそのことを考え、恐れることはないと考えた。
すると、不思議と緊張が解けてきて、手の震えは収まり、汗も引き、心音も呼吸も元通りになった。
「よし、やるか」
大賢者は魔法陣の中心に立ち、魔素を注ぎ込む。その魔素の流れにはどこにも揺らぎはなく、大賢者の腕を存分に振るっている。
ここまで踏ん切りがつくと、死への恐怖よりこの先の未来への期待が高まってくる。一体どのような時代に転生するのか。魔法がさらに進化した世界か。それとも魔法が廃れた世界か。何にせよ、大賢者は自らの転生魔法を信じ、魔素を注ぎ続ける。
そして、大賢者の持つ魔素のほとんどと使い切って、魔法陣の起動準備が完了する。効率化はあまりしておらず、大賢者だけが使える出来立ての魔法であるため、大賢者でも大量の魔素を使う必要がある。
だが、何とか足りた。
「この時代ともおさらばだな。転生魔法、発動」
そう言った瞬間、大賢者の意識は薄れていき、体の感覚がなくなっていく。大賢者はふと視線を落として見ると、体がだんだんと薄くなっているのが見えた。
「痛みがないのは幸いだな。体の感覚がなくなっていくのは、妙な感覚だが」
その言葉を最後に、大賢者の意識は途切れ、体は完全に消えてなくなった。残されたのは大賢者がきていた衣服の身で、発動した転生魔法が大賢者を送り終わると、魔法陣は完全に消えてなくなってしまった。
この瞬間、歴代最高の魔法使いと呼ばれた大賢者は世界から姿を消した。