争いのない世界
「お前は、誰にも……、何も言わないつもりか?」
先輩たちの家からの帰り道。
九十九がそんなことを言った。
日が少しずつ傾いて、並んで歩いた影がゆっくりと伸びていく。
「何を?」
なんとなく分かっているけど、そう聞き返す。
「別れだよ。さっきの二人はともかく、若宮や高瀬ぐらいにはそれとなく伝えるかと思っていたんだが……」
「言わない。言えるはずがないじゃないか。大体、なんて説明すれば良い? 新住所とかを聞かれても答えられないのに」
決まってから連絡するねとかいうわけにもいかない。
そもそもお互いに連絡なんて出来やしないだろう。
「言わなくて、後悔……、するかもしれねえぞ?」
「誰か一人にでも言ったら他の人にも言わないといけなくなるじゃない。後悔は仕方ないよ」
だけど、わたしのそんな言葉に対して、九十九はどこか意外なことを言った。
「いや、そう言う意味じゃねえんだが……、」
九十九は口篭ったのだけど……。
「お前が本当にそう決めたなら良いか。一応、オレは忠告したからな」
そう結論付けた。
そんな風に気を回してしまう辺り、本当に彼は世話焼きだよね。
「出発は……、4月1日……。明後日か」
「明後日だな」
「なんか、実感湧かないや。明日、明後日、明々後日……、それ以降もわたしはここにいる気がしてる」
「いるという選択肢もあるんだぞ? お前が心から望みさえすればな」
「それができないことぐらい分かってるよ」
わたしだってそこまで馬鹿じゃない。
わたしじゃ誰一人として護ることは出来ないし、九十九たちだって限度がある。
周り全てを護り続けるなんて出来るはずがないのだ。
相手が人を巻き込むことをなんとも思っていないなら尚のことだろう。
わたしがこの場から離れれば、全てが丸く収まるなら、それが一番良いことなんだと思う。
温泉から帰る前に見た夢。
あれがわたしの瞼の裏に焼き付いていて離れない。
ワカを飲み込む黒い炎。
あんな光景を現実に見せつけられるぐらいなら、知り合いを巻き込んで身が裂けるほどの後悔するぐらいならば、わたし一人がぐっと我慢する方がマシだろう。
「魔界に行っても危険なことは変わりないんだけどな」
それでも関係のない人は巻き込まれない。
「でも、九十九たちは今より動きやすくなるんでしょ?」
今みたいに中途半端な距離、他人の目を気にしないで済むようになれば、もっと被害は減らせるだろう。
「相手も同じことが言えるとは思わないか?」
「護るものが少ないほうが九十九も気が楽にならない?」
「それはそうなんだが……」
「おかしいね、九十九。貴方はわたしを魔界に行かせたいんじゃなかったの?」
今の九十九の発言はまるで逆だ。
なんとなく、わたしを止めようとしているようにも感じられる。
「いろいろと複雑なんだよ、オレも……」
「九十九こそ、お別れはしたの? ここに友人だっているでしょ?」
「してない。言ったところで結果が変わるわけでもないし」
「なら、一緒だね」
「そうなるな……」
尤も、九十九の理由とわたしの理由は異なるんだろうけど。
長い影を見ながら考える。
まだ見ぬ魔界と言う世界はどんな世界なんだろう。
ちょっとは話を聞いたけど、どれもピンと来ないのだ。
現実味がないというか……。
「魔界って……どんなところ?」
聞けば、少しくらいは何らかの実感が湧くかもしれない。
「さあ?」
「『さあ? 』って……」
「オレが魔界にいたのは十年前のことだ。それから、一度も帰ってないんだぞ? 今の魔界を知ってるはずがないだろ?」
一度も帰っていないのか。
それはそれで申し訳ない気がした。
「う~ん。別に今の魔界じゃなくても良いんだけど……、単純にどんなところか知りたいだけだから」
「どちらにしても、オレに魔界の空気を伝えるなんてことはできねえな。それって感覚的なことを言葉にしろってことだろ。そんなのオレよりも、兄貴に聞いた方が良くないか?」
まあ、確かに雄也先輩の方が詳しそうだ。
帰ったら、聞いてみることにしよう。
「ところで、九十九はなんで一度も帰ってないの? なんか、制限でもある……とか?」
「いや、オレは単に帰りたくなかっただけ。なんとなく苦手だったんだよな、あの城」
「……城……ですと?」
さりげなく、追加された情報。
「話してなかったっけ? お前たち、城にいたんだよ」
……聞いたような、そうではないような?
いや、考えてみれば、父親が「王さま」なんだから、それまで住んでいたところは城……でもおかしくないのか。
ああ、そんな当たり前のことにも思い至ってないなんて……。
しかし……、城……?
「わたし、宮廷マナーとかさっぱりなんだけど……?」
「安心しろ。オレも自信はない」
「いや、それは……、どうなの?」
記憶がないわたしは仕方がないと思うのだけど、九十九は記憶の封印なんてされてなかったよね?
そして……、どこも安心できる要素がないのだけど?
「心配するな。城下に住居は確保したらしいから」
「城下? ……城下町ってこと?」
なんとなく武家屋敷を思い出しかけて……、どちらかといえばゲームの方がイメージしやすいかなと思い直す。
「魔界の城は大半、高台にあるからな。その下に広がる町って考えれば良い」
「高台……、上空から攻めやすそうだね」
魔界人なら空も飛べることだろう。
航空戦は飛空魔法勝負ってことになるのかな?
「いや、誰が攻めると言うんだ?」
「ん? 魔界は争いとかってないの? 剣と魔法の世界のお約束でしょ?」
小説を見ても、漫画を見ても、ゲームをやってもファンタジーの世界に他国間との争いは多い。
人間同士ではなければ、種族を越えた争いもある。
わたしの夢に出てきた人たちも……、そんな感じだったし。
「争いってやつは、現状に不満があるから起きることだろ? 領地が狭いとか、金が足りないとか。あとは……、優劣を決めたいとか……、か? 昔はあったかもしれないが、今はそれぞれの大陸にある中心国ってのが治めていて、不満があるって話は聞いたことがないな」
つまり……。
「魔界は満たされてるってこと?」
「そうなるな」
わたしの疑問はあっさりと肯定された。
「他国から奪わなくても、自国で民が満足できる。それに変化を嫌う人間が多いから、現状で満たされていれば、ソレ以上は求めない」
「欲がないんだね」
ちょっと意外な話だ。
これまで出会った魔界人……、というより、あの紅い髪の人を見た限り、何かしらの欲はありそうなのに。
「……というより、他者から奪って得られるものの方が少ないんだよ。考えてみろ。魔法で全てがひっくり返る世界だ。リスクを背負う意味がない」
考えてみれば、人間界のように戦争をしかけても、魔法という銃火器以上の凶器や護りも持っているのだ。
加えて、移動魔法などによって途切れぬ援軍や兵站。
さらに互いに可能な開幕王手。
何よりも反則技な治癒魔法での負傷者復活。
それらは……、魔界中、どの国でも可能だと言う。
そうなると、相手の心を完全に折るか、全てが滅ぶまで止まれなくなるだろう。
うん。
争い、良くない。
「じゃあ、何が危険なの?」
わたしがそう言うと、九十九は露骨に怪我な顔を向ける。
「個人間の争い、私情がないわけじゃないんだと……、何度説明すればお前も理解できる?」
「おおう。やっぱり人間の欲望がないわけじゃないんだね」
「自分の世界を守るための、個人の願望がでかいんだよ。お前が危険なのもそのため。お前が無害を主張しても周りがそう思わないことが問題なんだ」
「こんなにも無力で無害なのにね。わたしは魔法とか使える人たちの方がよっぽどか恐いよ」
わたしはそう言って笑うしかなかった。
「……封印を解いて、自覚してから言え」
九十九はじろりと睨みながら言う。
「何を?」
「自覚がない間に言っても無駄だ」
どことなく冷たい対応。
同時に酷く疲れた顔も見せたから、わたしの知らない所で苦労しているのかもしれない。
彼は本当に世話焼きで、要らない苦労も無言で背負っちゃいそうな人だから。
次話で100話目らしいです。
それなのに、あまり話は進んでいない気がします。
ここまでお読みいただきありがとうございました。