一度だけで良いから
「オレは……、お前の護衛でいて良いのか?」
九十九は戸惑いがちにそう言った。
「わたし、『護衛を外す』とも『辞めてくれ』とも一言も言った覚えはないよ?」
わたしが口にしたのは確か、「近付くな」って言葉だったと思う。
あの時は、まだわたしの心が落ち着く前だったし、九十九が部屋にいきなり来て混乱してしまった。
その上、感情的にもかなり興奮していたから、はっきりと覚えてはいないけど。
「護衛を辞めても生きていけるって……」
ああ、それは言ってしまったかもしれない。
その件に関してはわたしが全面的に悪いだろう。
「あなたは、わたしの護衛を辞めても生きてけると思うよ」
それは本当のことだ。
九十九の顔が悲痛に歪む。
「でも、わたしにはちょっと無理かな」
わたしはそう言って、溜息を吐いた。
こればかりは、認めなければいけない事実だから、はっきりと口にしておく必要がある。
「わたしは、あなたと雄也さんなしで、この世界を生きていける気がしない」
物理的にも、魔力的にも、経済的にも、精神的にも、生活的な意味ですら、彼ら以上に信頼できる人間などいるはずもなく……。
「だから、こちらから『辞めないで』って、改めてお願いしたいと思っている」
感情的で、我がままで、周りの忠告も無視して突っ走っていくようなわたしなのに……。
「だから、これからもずっとわたしを護ってくれる?」
それでも、彼らは傍にいてくれるというのなら。
わたしは、彼らに傍にいて欲しいと願いたい。
それでも、わたしとしては、かなり勇気を必要とする言葉だった。
自分勝手な申し出でもある。
だけど、もともと護衛の任務は王命で、わたしからちゃんとお願いしていたとは言い難かった。
だから、仕切り直しの意味でも、ちゃんとしておきたい。
だが、それに対して、彼は何故かまた顔を伏せた。
さらに、その肩は震えている。
「オレを……、簡単に許すな……」
そう言う声も震えていた。
「簡単じゃないよ。かなり迷ったんだから」
もともと怒っていたわけではないけれど、それでも、暫くはまともな精神状態と言いにくいところまで追い詰められはしたのだ。
そこを救ってくれたのは、あの赤い髪の青年だった。
「お前、自分が何をされかけたのか、本当に分かってるのか?」
「勿論、分かっているよ!」
いくら何でも、そこまで子供じゃない。
「アレは! こ、子作りの強要でしょう?」
あの「発情期」と言うのは、つまり、神さまの力による強制的な人類の子孫繁栄だと大神官様である恭哉兄ちゃんから聞いたことがある。
だから、あの行為の果てにあるものは、妊娠とか出産とかそういったものだ。
たった一回で妊娠するかは置いておいて、あのまま、九十九に流されていたら、そんな未来があったかもしれない。
そのことを考えると、かなりゾッとしてしまうけど。
「…………は?」
だけど、何故か九十九は疑問符を浮かべてわたしを見た。
「あれ? 何か違ったっけ……?」
わたしはそう説明されていたのだけど?
九十九はそのまま少し、奇妙な顔をしていたけど、ぐしゃっと潰れるようにまた地面に顔を落とした。
そして、そのまま震えながら……。
「そうだな。確かに『発情期』は、お前の言う通りだった」
その声はどこか……、笑っているような気がした。
「九十九……?」
わたしは思わず手を伸ばしかけ、そのまま止める。
「それを、勝手に捻じ曲げて受け止めていただけ……だな」
「何を……?」
「いや……」
そう言いながら、九十九はまた顔を上げる。
「高田、本当にオレで良いのか?」
彼が何度もわたしの意思を確認するようにそんなことを言うから……。
「『九十九で良いか?』……じゃなくて、わたしは『九十九が良い』のだけど?」
そう素直に答えた。
どうして、そこを信じてもらえないのだろう?
わたしが一番信じて欲しいのは、その部分なのに。
だけど……。
「本当に甘い主人だよな、お前はいつも……」
九十九の声がどこか呆れたように変わる。
「その分、あなたがしっかりしてくれるでしょう?」
「おお」
先ほどよりずっとしっかりした声で。
「どこまでも甘いお前のために、誰よりも強くなるよ」
と、九十九は少しだけ笑みを浮かべて言った。
「それは心強いね」
今でも、十分すぎるぐらい強いのに。
彼は、それ以上に強くなろうとする。
しかも、それが「わたしのため」と言ってくれるのは、なんとなく照れくさかったけど、ちょっと嬉しかった。
「本当に罰を与える気はないんだな?」
「ないよ」
「そのことで後悔はないか?」
「それは、分からないけど、現状では罰を与えた方が絶対に後悔しそうだなって思う」
どう考えても、彼に罰を与えるのは心苦しい。
「じゃあ、何か望みはあるか?」
「望み?」
「罰の替わりだ。どんな願いでも一つだけ叶えてやろう」
それが、昔、読んだ少年漫画の言葉と重なって……。
「不老不死?」
思わずそう口にしていた。
「オレを越える願いを躊躇なく口にするなよ」
やはり、限度はあるようだ。
「まあ、本気じゃないよ。ずっと老いず、死なずは苦しそうだ」
周囲の人は次々といなくなり、ずっとただ1人で歩む人生なんて、想像だけでも辛すぎて、耐えられる気がしない。
「一つだけ、お前の我がままを聞いてやるって言ってるんだよ」
割とわたしの我が儘を聞いてくれている青年は、ぶっきらぼうにそう言った。
でも、いきなり言われてもすぐに出てこない。
しかも、改まって我が儘を聞いてくれる……、とか。
「和食のフルコース?」
「それは我が儘に入らん」
「和菓子の満漢全席?」
「それぐらい言われなくても普通に作ってやる」
いつもなら、突っ込まれる言葉の数々にも突っ込まれない。
明らかに九十九が迷走している気がする。
でも、九十九の料理を好きなだけ食べるって、かなりの贅沢で、我が儘な要望だと思うのだけどね。
「……と言うか、なんで料理ばかりなんだよ?」
ようやく、突っ込みが入った。
「九十九の料理が食べたいからじゃないかな? ずっとまともに食べてなかったから、恋しいんだよ」
わたしがそう言うと……。
「ほら」
そう言って、九十九は市松模様のクッキーを差し出した。
「メシは、もう少し待て」
「うん」
すぐに出てくる辺り、まるで心を読まれたみたいだ。
「これぐらい、いつでもしてやる。お前はもっと食え」
「結構、食ってるつもりだけど……」
今もこうして、九十九の作ったクッキーを美味しくいただいている。
「食欲以外に要望はないのか?」
「いきなり言われてもねえ……」
そう考えるとわたしは結構、満たされているのだろう。
九十九から、どんな願いでも叶えてくれると言われても、特に出てこない。
いや、違うな。
わたしが何かを願う前に、彼はいつも先に叶えてしまうのだ。
だから、今更、改めて願うことなどない。
「新しい紙と筆記具……?」
「それもいつもと同じだな」
絵をまた描きたい。
それを最初に叶えてくれたのも、九十九だった。
「本当に願いは何もないのか? 食い物や紙以外に欲しい物とか……」
なんとなく、孫に贈り物をしたがるおじいちゃんみたいだ。
そう言ったら、彼はどんな反応をするだろう?
「う~ん」
自分に物欲がないとは思っていない。
だけど、ずっと欲しかったモノは、既に持っているのだ。
今更、改めて欲しいモノなど、そう思いかけて、一つだけあった。
九十九にしか叶えられない、わたしが願うモノ。
「じゃあ、一つだけ九十九にお願いしたいことがあったのだけど……、良い?」
「おお。なんでも言え」
わたしの言葉に九十九の表情が和らぐ。
でも、その表情がいつまで持つかな?
その先を想像すると少しだけ笑みが零れた。
そして……。
「一度だけで良いから、わたしを名前で呼んで?」
ミオリさんから話を聞いた後、ずっと心にあったことを口にしたのだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。




