絶対に来なかった未来
九十九の質問の意味が分からなかったわけではない。
だけど、内容的に閉口するしかなかった。
「…………」
だから、思わず無言となる。
なんてことを聞いてくるんだ?
いや、護衛だから?
ああ、護衛だからか。
そんなことまで確認しなければいけないのは大変だね。
だから、真面目に聞かれたなら、真面目に答えなきゃ。
彼のことだ。
ソウと違って、わたしを揶揄う意図は一切ないだろう。
この瞳は……、嘘を許さない瞳だから。
そうなると……、どこまでの話を聞かれているのだろうか?
一応、異性のわたしに気を遣ったのか、直接的な言葉ではなく、どうとでも取れるような質問だった。
彼が言う「する」「しない」って、一般的には、えっちをしたかどうかだと思うけど……、それをどこまでの意味で聞いているかが分からない。
「えっちなことをした」と「えっちをした」では、かなり意味が変わってしまう。
いっそのこと、ぼかさずに、はっきり言ってくれって思ってしまったが、実際、口にされてしまっても、それはそれで困るかもしれない。
暫く、考えて……。
「九十九からされたほどのことはしてないよ」
わたしは、そう答えた。
キスは浅いのも深いのも含めて、どう考えても九十九からの方が多い。
それに、ソウはわたしの身体に触れても、基本は服の上からだったのだ。
素肌に直接、触れたのは、顔や手、首筋ぐらいで、その点においても、九十九の方が圧倒的にわたしに直接触れている。
わたしの答えを聞いて、九十九は何故か、頭を抱えた。
あれ?
わたしは返答を間違った?
もしかしなくても、そこまで聞く気はなかった?
それとも、比較みたいに言ったことが良くない?
「でも、いちいち確認しなくても、九十九なら、わたしの体内魔気の状態で分かるんじゃないの?」
少なくとも、わたしにでも分かったのだ。
九十九に纏わりつく別の気配。
そして、その相手に残る九十九の気配。
さらに、相手からは、念を押されるかのように事細かに状況説明までされた。
でも、この言い方はちょっと感じが悪かったかな?
それだけ、九十九の敵娼さんから説明されたことが嫌だったってことなのだけど。
「オレは、お前の口から聞きたかったんだよ」
九十九はそう言いながら、顔を上げてわたしを見た。
「なんで?」
「魔気は……、誤魔化せるから」
確かに普通の魔気は誤魔化せることは知っているけど、そういった行為中のことまで、誤魔化すことなんてできるものだろうか?
その辺り、わたしに知識がないからはっきりと言いきれないけど、余裕がなければ無理だと思う。
でも、そんな歯切れの悪い言葉の後、九十九は再び、黙り込んだ。
まあ、これ以上、追求されてもいろいろと気まずい。
どちらの行為もしっかりと覚えている。
いろいろ衝撃的だったし、まだ生々しい感覚も、この身体に残っている気がする。
そして、思い出すたびに、その場で穴を掘りたくなるほど恥ずかしくなる。
あんなに簡単に流されてしまう自分なんて本当に知りたくなかった!
それに、正直、仕事とは言っても、他人の行為を聞く方も嫌だろう。
わたしは…………、ミオリさんの話はすっごく、嫌だったから。
九十九は何も言わず、わたしを見る。
わたしも、何も言わずに九十九を見た。
その黒い瞳は、今、何を考えているのだろう?
わたしのこと、ふしだらな女だとか思っているかな?
昔の知人とはいっても、何日か、あの人と夜を過ごしていることは、九十九も知っているだろう。
そして、今回に関しては、そこに全く色気がなかったわけでもない。
そのことだって、気付かれているはずだ。
わたしが、気付いたように。
長い沈黙の後、九十九がわたしに向き直る。
「その……、悪かった」
そう言って、彼は深々と頭を下げた。
「何が?」
「オレの身勝手で、お前を深く傷つけた」
九十九は頭を上げずにそう続ける。
そのことで、彼が何を言いたいのか、理解した。
「身勝手って言うか……、アレは……」
全て、「発情期」のせいだ。
九十九は、悪くない。
そう言いかけたのに、何故か言葉が続かなかった。
喉の奥でひっかかったように言葉が詰まって、出てこない。
「どんな理由であっても、オレがお前を傷つけたことに変わりはないんだ。オレは言い訳をしたくない。だから、だから、お前から与えられる罰を受ける」
そう言って、彼はわたしに強い瞳を向けた。
彼の言う通り、どんな理由があっても、わたしが傷ついたことに変わりはなく、彼が犯した罪が消えることはない。
そして、わたしはこの問題から目を背けて、逃げ出してしまった。
甘く優しい場所に逃げ込んだのだ。
だけど、それじゃ、ダメだったのだ。
問題は残ったまま。
まるで、しこりのようにずっと残り続けるしかない。
だから、わたしもちゃんと向き合わないと。
そうでなければ、これから先、彼の「主人」を名乗れない。
彼はわたしから罰を受けると言った。
それなら、わたしが罰を与えるしかないのだ。
他の誰から言われるでもなく、わたしが自分で考えて、与える罰を……。
「あの時は、本当に怖かった」
わたしはポツリと呟いた。
その言葉が聞こえたのか。
彼の肩がピクリと震える。
「九十九が、別人みたいに見えて……」
あの時のことを思い出すと、やっぱり怖くて、震えてしまう。
本当に、九十九が知らない男の人に見えたのだ。
「本当に、怖かった」
だから、もう一度、そう言った。
「ごめん」
九十九は顔も上げずにそう返す。
彼の表情は見えない。
でも、その全身は小刻みに震えていた。
こんな九十九は初めて見る気がする。
そして、何故かわたしの方が、悪者になった気がして、居たたまれない。
でも、わたしは怒ってはいないのだ。
怖かったけど、ただそれだけの話だった。
「九十九、顔を上げて?」
わたしがそう言うと、彼はゆっくりと顔を上げた。
あの時とは全く違う顔。
この顔なら、わたしは怖くない。
わたしは、屈んで九十九と目線を合わせた。
彼も目線を逸らさない。
震えながらも、怯えた色を浮かべながらも、真っすぐにわたしを見ている。
黒く綺麗な瞳に自分が映り込んでいるのが見える距離。
恐らく、わたしの瞳にも、彼の姿が映っているだろう。
こんな顔は彼には似合わない。
彼に似合うのはもっと強い瞳。
眩しいぐらいの光を帯びた……、何もかも見通すような不思議で綺麗な瞳。
「言っておくけど、わたしはあなたに罰を与える気はないから」
そう言うと、九十九は少し顔を歪ませた。
「本当にわたしに対して悪いと思うなら、罰を受けることで自分だけが楽になろうなんて考えないで」
彼に罰を与えた所で、わたし自身は絶対に楽にはなれない。
それに、あの時の怖さはなかったことにはできないのだ。
何より、ここで、彼に罰を与えてしまっては、完全に主従の扱いとなってしまう。
そうなれば、前のような関係には戻れない。
それだけは絶対に嫌だった。
「だけど……」
どこか九十九は納得できないらしい。
「本当に心底、反省しているなら、今後の働きで償ってくれた方がわたしはずっと嬉しい」
「え……?」
彼はその瞳をぱちくりとさせた。
それがなんか、妙に可愛らしくて、少し、不謹慎にも笑みが出てしまう。
「あなたは、わたしの専属護衛でしょう?」
だから、素直にそう口にできた。
不思議だ……。
わたし自身、どこかで迷っていたはずなのに。
こんな落ち着いて気持ちで、彼と向き合うことになれるとは思っていなかったのに。
ふと赤い髪の青年の笑った顔が頭を過った。
―――― ああ、そうだね。
これは、あなたがいなければ、絶対に来なかった未来の姿だ。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。




