外敵排除のために
その日は平和に終わりそうな気がしていたのだ。
外出から部屋に戻った後、鏡から飛び出す自分と同じ姿の誰かが現れることもなく、黒髪の護衛がいきなり部屋に入って来る気配もなかった。
さらには自分が借りている部屋の扉を叩く音も聞こえず、本当に、のんびりと部屋で過ごすことができた。
久しぶりに思いっきり何も手足を伸ばせた気がする。
だけど、日が暮れかかった頃、ふと、妙な胸騒ぎを覚えたのだ。
これを、このまま放置すれば、一生後悔する。
何故か、そんな予感すらあって、気が付いたら、わたしは部屋を飛び出していた。
向かうべき場所は、よく分からない。
なんとなく、こっちの方向?
そんな自分の感覚に引きずられるように、わたしは走った。
途中、誰かから声を掛けられたような気がするけど、今は、その声に応えている余裕はなく、ただひたすら、何も考えず目的地と思われる方向に足を向ける。
「ここ……、は……?」
無我夢中で走った先にあったのは、広い場所だった。
広場……と言うより、単に何もないだけのように見える。
でも……。
「九十九の……、気配……?」
誰もいないはずのその場所から、不意に、見知った護衛の気配を感じた。
そう言えば、今日は彼の気配を近くに感じていなかった気がする。
だからこそ、平和な感覚もあったような気も無きにしも非ず?
でも、それはわたしが部屋からほとんど出ていなかったせいだと思ったけど、もしかして、それが違ったら?
彼の本業は、わたしのお守りではなく、護衛だ。
それも王命と言う、抗いがたいもの。
そして、本来はわたしを護る立場。
では、その対象に危険なものが近づいたと判断されたら?
雄也さんならともかく、彼の性格上、どうする?
外敵の……、排除?
いや、九十九は多分、そこまでしないと思う。
逆に外敵排除は雄也さんの方がしそうだ。
こっそりと気付かれないように。
だから、もし、九十九が敵とみなした相手に対して行うのなら、牽制。もしくは、警告だと思う。
その広場に思い切って、足を踏み入れた途端、見える風景と巡っている大気魔気が一気に変化した。
慣れ親しんだ風の気配に思わず目を細める。
このスカルウォーク大陸の大気魔気は当然ながら、空属性が濃い。
だけど、記憶がなくても、シルヴァーレン大陸生まれのわたしは風属性の方が馴染み深いらしいのだ。
しかも、それを放っているのが、いつも近くにいる護衛。
わたしが居心地よく感じてしまうってことは、ここに漂っている風属性の魔気はかなり濃いのだろう。
結界が張られているのか、この広場だけが別空間になっていた。
いや、ここまで違うと異空間かもしれない。
そして、周囲の大気魔気を自身の体内魔気を放出するだけで、まるで色を塗り替えるかのように影響を与える人間はそう多くないだろう。
王族なら分かる。
存在が規格外だから。
だが、普通の貴族となれば、並の労苦じゃないと、魔法国家の王女は言っていた。
だけど、そんなことはどうでも良い。
事態は、もっと悪かったようだ。
「ああ! もうっ!!」
そう叫ぶしかない。
それとほぼ同時に、視界にヒビを入れたかのような眩しい光を放つ線と、少し遅れて発生した音の衝撃波でわたしの身体が吹っ飛ばされそうになった。
そして、抵抗ではなく、対抗しようとする自動防御を必死に抑え込む。
真央先輩の話では、わたしの「魔気の護り」は、「護り」と言うよりも、外敵排除に近いらしい。
自分を護る防御膜の強化ではなく、そこに至った原因を排除しようとする浄化作用が優先されているとか。
だから、気を抜けば、軽い揶揄いや悪ふざけに対してでも、身体が反応し、ぶっ飛ばそうとしてしまうそうな。
なんて厄介なのだろう。
俺の背後に立つな系の狙撃手かな?
かなり離れた所に、黒い髪の青年と、赤い髪の青年がいた。
それは予想通り。
だけど、その上空は予想外だ。
黒く厚い雨雲ではなく、なんで、光が集まっているのか?
思い出してみる。
彼は確か、屋内でも雷撃魔法を使った。
しかも、それを束ねて剣のように振るったという過去がある。
いや、その発案者はわたしだったし、そのことは今、問題ではない。
それって、普通の自然現象ではないってことだ。
わたしは、今まで魔法って、なんとなく自然現象を利用したものだと思っていたけど、それとは違うってこと?
でも、九十九は「無から有は創れない」ってよく言っている。
その法則性がよく分からない。
分かることはただ一つ。
あの光に貫かれたら、結構な確率で人は死ぬだろう。
あんな魔法が、ただの警告や牽制であるはずがない。
彼は、本気なのだ。
だけど、そこまでする理由が分からない。
なんで、あんなことをしているの?
わたしが、彼の話を聞こうとしなかったから?
『「考えるな、感じろ」って言うだろ?』
不意にそんな言葉が脳裏に蘇る。
実際、言われた状況とは全く違う。
でも、その言葉は今こそ相応しい。
ごちゃごちゃ考える時期はもう過ぎた。
この2年、いや、もう3年になる。
九十九と再会して、ミラージュの人たちに捕らえられかけて、それからずっと考えてきた。
王族の血が入ってるとか、神子の素質があるとか、そんなことはどうだって良い。
―――― わたしは高田栞以外の何者にもなれない!!
それなら、わたしは自分がしたいようにする!
わたしは考えるのを放棄し、感覚のまま行動することにした。
考えることは嫌いじゃないけど、考えすぎて後悔するような選択はしたくない。
その結果、どうなっても、自分の思い通りに動くだけだ!
わたしは両手を広げて、目標に飛びつく。
眩しい光が降り注ぐが、大丈夫!
彼の魔法でわたしが傷を負うことは絶対にない!
滑り込んで、両腕に目標物を抱え込んだまま、すぐ傍で光がいくつも弾け、わたしの視界を白く染め上げる。
多少の衝撃や大きな音ぐらいは覚悟したけれど、それすらなく静かなものだった。
どれぐらいの時間、そうしていたかは分からないけれど、ようやく光がおさまり、視界が開けていく。
「高田……」
どこか呆然とするような声が聞こえた。
それなら、今しかない。
「目晦まし!」
上半身を起こし、声が聞こえた場所を頼りに右手を突き出して叫んだ。
先ほどの光ほどじゃないけど、眩い何かが、わたしの指先から生じる。
一か八かに近かったけど、成功だ!
「ぐっ!?」
まさか、わたしからそんな攻撃を食らうとは思っていなかったようで、彼は両目を押さえて、よろめく。
これだけでなんとかなる相手とは思っていない。
だから、わたしは……。
「吹っ飛べ!」
今度は両手を付き出して、そう願った。
どぉんっと、特撮の爆発音みたいな効果音と共に、目の前から黒髪の青年がその場から、激しい勢いで吹っ飛ばされる。
風魔法とは言い難い何か。
だけど、その効果はわたしのイメージ通りだった。
そして、これぐらいで、彼がどうにかなるとは思っていない。
「おいこら」
わたしのすぐ下から不機嫌な声がする。
「人を塁代わりにするな」
赤い髪の青年は、髪と息を乱しながらそう言った。
「ああ、ごめん」
慌てて、わたしは、彼の身体から離れる。
「どういうつもりだ?」
鋭い瞳をわたしに向ける赤い髪の青年。
それはまるで、何かの邪魔をされたと言わんばかりの表情だった。
「殿方たちの逢瀬のお邪魔を少々?」
「ふざけるな」
「ふざけてなんかないよ。でも……」
吹っ飛ばした黒髪の青年の方向を見る。
彼は……、表情のない顔で、わたしを見ていた。
「わたしは名ばかりの主人だけどね。それでも、彼の行動に対する責任はあるんだよ」
そう言って、わたしは黒髪の青年へと身体を向ける。
この背で、赤い髪の青年を庇うように両手を広げて。
そうして、わたしは数日振りに、黒髪の青年の顔をまともに見たのだった。
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